松竹座七月歌舞伎と尾張荒子観音(1)

  • 松竹座7月歌舞伎のチラシをみてからこれは観たいと思った。先ずは、幸四郎さんと猿之助さんの『女殺油地獄』。猿之助さんは8月歌舞伎座も新作なので、ここで古典を観ておかなくてはと思うし、大阪で、仁左衛門さん監修での幸四郎さん共々での挑戦である。この心意気が気に入る。幸四郎さんの『勧進帳』の弁慶どう変化しているであろうか。『御浜御殿綱豊卿』の仁左衛門さんにぶつかる中車さん、つぶされないで面白い心理台詞劇となるであろうか。『車引』はなんと上方役者である鴈治郎さんの荒事である。『廓三番叟』は三番叟を郭での趣向で太夫の孝太郎さんいかに大きくみせられるか。『河内山』は手慣れた白鸚さんの河内山の「ばかめ!」で溜飲を下げたいところである。

 

  • 歌舞伎だけのために大阪までは考えてしまう。15分片づけで、友人からかつてもらった『荒子観音寺』の資料が出て来た。「荒子観音寺の円空仏特別公開と非公開の尾張の秘仏ご開扉」の催しがあってその資料のコピーを参考にと渡してくれたものである。これはすぐ出せるところに移動しておいた。『荒子観音寺』の円空作の仏様は月に一回第二土曜日に一般公開されるのである。そのためなかなか実行できなかった。円空さんのお導きと、都合よく解釈してこれに合わせることにした。ほかの歩く計画を入れていたら、この暑さである。おそらく計画変更をしていたであろう。

 

  • 廓三番叟(くるわさんばそう)』。『三番叟』は御目出度い時に演じられ、今回は二代目白鸚さんと十代目幸四郎さんの襲名披露興行でもあるのでこの演目が寿ぎとして入ったのであろう。『三番叟』の変形として『操り三番叟』『舌出し三番叟』などがあるが、郭の座敷での『廓三番叟』である。翁が花魁、千歳が新造、三番が太鼓持ちという設定である。ちょこっと余興でやってみますの趣向であるが、花魁の孝太郎さんが、花魁の格があがっていて、格の高い花魁が引っ張る三番叟となっていた。花魁の格の差はどこがどう違うかという表現はできないが、その所作と雰囲気から、格があがったと感じるのである。そして格のある花魁の空気があるからこそ郭という場所での三番叟という面白さに乗せてもらえたのである。新造の壱太郎さんと太鼓持ちの歌昇さんもすんなりと雰囲気にはまってくれていた。衣裳の豪華さも眼をたのしませてくれる。

 

  • 車引』は『菅原伝授手習鑑』に出てくる三つ子の兄弟、桜丸、梅王丸、松王丸がそれぞれ別の主人に仕えていて対面のような舞台である。梅王丸は 菅丞相(菅原道真)の舎人、桜丸は天皇の弟・斎世(ときよ)親王の舎人である。桜丸は斎世親王と菅丞相の娘・苅屋姫との逢引の手助けをしたことが原因で藤原時平(しへい)によって 菅丞相は流罪となってしまう。梅王丸と桜丸の時平に対する恨みは大きく、二人は時平を襲うため待ち受けている。

 

  • 梅王丸の鴈治郎さんは気持ちをそのまま表現する荒事系である。桜丸は自分の失態の心傷みをも垣間見せる和事系の柔らかさもだす。曽我の五郎と十郎兄弟と似たところがある。鴈治郎さんの梅王丸が威勢が良いのである。一本気で稚気もあり形もきまり面白い。桜丸の扇雀さんは、うしろめたさもあり、憂いもでる。そんなこと考えて何になるとばかりに梅王丸は突き進んでいき暴れる。そこへ現れるのが時平の舎人の松王丸の又五郎さんである。舎人は牛車の世話をしたり警備にあたる仕事で、兄弟といえどもご主人・時平に楯突くなど認めるわけにいかない。なんだおまえたちはの押し出しの又五郎さんである。

 

  • ここは三人の仕える主人の違いから別れ別れになってしまう悲劇が起る前哨戦でもある。この三つ子は菅丞相に名前をつけてもらい、幼い頃は菅丞相対する想いは同じだったのである。大人になっていくということはなかなか厳しい現実と向き合わなければならないものである。そんなことは深く考えず、それぞれキャラが違うなと思ってその身体表現を楽しむだけでもよい。そのけん引となったのが、鴈治郎さんである。この場面だけだとそんなことわしゃ知らんわとばかりの乗りのよさである。敵役の時平の彌十郎さんが二人に壊された牛車から登場。少しびびる桜丸と梅王丸。どうだの松王丸。それでも最後は、顔を正面にぐっと向けて負けん気の梅王丸の鴈治郎さんである。お持ち帰りして飾っておくと元気が出るであろうななどとおもってしまった。
  • 杉王丸(種之助)、金棒引藤内(寿治郎)

 

  • 河内山』は河竹黙阿弥さんで江戸末期に六人のワルがいて河内山はその一人である。松江邸広間より玄関先までの舞台でどんなワルなのかを堪能できる。松江邸では、自分になびかない腰元・浪路(壱太郎)に怒り心頭の松江出雲守(歌六)は刀まで抜く。浪路をかばう宮崎数馬(高麗蔵)。その二人に不義があろうとの北村大膳(錦吾)。さらにそこへ、数馬を助け主人に意見する高木小左衛門(彌十郎)。松江邸では松江侯の人柄の悪さからなにやらゴタゴタがあるようである。そこへ、上野寛永寺からの使僧との知らせ。松江侯は会わぬといい、家来たちは、使僧を迎えるためただちにもめごとなど無いようにふるまう。

 

  • 使僧・道海の 白鸚さん、緋の衣で悠々の花道の出である。病気と言っていた松江侯も姿を見せ使僧の用件をきく。松江公が御執心の腰元・浪路を商家の実家にもどすようにとのこと。使僧はさらりと嫌味を加味しつつゆったりと松江侯を納得させてしまう。屋敷内の実情をさらされてはならぬと、家来たちは落ち度のないように献上物を。いやいやと言いつつ山吹の黄金色の物をしっかり受け取る。どうもこの使僧うさん臭いぞとゆっくりと観客に気がつかせる。

 

  • 玄関先では家来たちが平身低頭で送り出そうとするが、ここでハプニング。北村大膳が、上野寛永寺からの使僧とはウソでユスリをはたらく河内山宗俊と見破る。ここから河内山の啖呵。 白鸚さん、見破られたのを楽しんでいるような軽さで爽快である。こっちの正体がばれたとてそれがどうした。ご直参のお数寄屋坊主の宗俊が命と引き換えに、そちらさんの不祥事をあからさまにしようか。おう!それでいいのか。高木小左衛門、このままお引き取り下さいと伝え、松江侯も姿を現す。それをしり目に花道での痛快な「ばかめ!」。 白鸚さんは芝居の解釈を加味したリアルさを出されることが多いが、今回は自在に聞かせて見せる河内山であった。そのあたりは、さじ加減の妙味。

 

  • 河内山はワルであるが、一人大名屋敷に乗り込み言いくるめる明晰さ。昨今、私利私欲で「ばかめ!」と言いたくなる世情が多いなか、ワルがワルに対峙するところが反ってすっきりと格好良く決めてくれる。松江家の近習たちの立ち居振る舞いもそろっていて、大名家と河内山の対決の格を支えてくれていた。

 

  • 勧進帳』は、幸四郎さんの弁慶の声が割れなかった。回数を重ねてきて声の出し方の配分が上手くなってきているのでしょうか。演じているうちに感情がたかぶってきたりして調子が崩れることもあるかもしれないが、経験がものをいうのだなというのが実感である。今回は富樫が仁左衛門さんで、大きさからいうと互角というわけにはいかないが、それに冷静に対応しつつ、押し返そうという意気込みがあふれていた。富樫に呼び止められ、強力が義経ではないかと疑われる。義経が孝太郎さんである。やむなく弁慶は義経を打擲して富樫が疑い晴れたといって、いい形で仁左衛門さんが引っ込む。

 

  • 義経を上座にして皆ほっとする。主人を打擲して恐れ多いことだとおもっている弁慶に義経はよくやったといたわり、それに感動して泣く弁慶にさらに手を差し伸べ、兄頼朝のためにと戦ったのにと悲嘆する。その後である。~鎧にそひじ袖枕、かたしくひまも波の上、ある時は船にうかび~ と弁慶が戦の様子を表すのであるが、ここで、何んとこちらが突然涙がすーっと一筋流れたのには驚いた。扇を波に例えたりして舞う姿に、その戦の風景が浮かび、この主従は共に戦ってきたのだとの想いが涙となったようである。ここでの弁慶の動きは、洗練されたというより勢いある粗削りであった。

 

  • 先輩たちの弁慶は大きいので、義経を大きく包んで守るという感覚であったが、超人的な弁慶ではなく、義経と辛苦を共にしたという思いを幸四郎さんの弁慶と孝太郎さんの義経に観たのである。そこからは、その感覚で観ていると、安宅の関で富樫という人に会ったことによるドラマ性にあらためて感慨深さが増した。その後は富樫が一行を見守っているようにもうつる。そしてそこからは、今の幸四郎さんの等身大の弁慶を長唄に乗りつつ愉しんだ。松竹座の空間独特の長唄との一体感の『勧進帳』であった。
  • 常陸坊海尊(錦吾)、亀井六郎(高麗蔵)、片岡八郎(歌昇)、駿河次郎(種之助)

 

  • 御浜御殿綱豊卿』は真山青果さんの『元禄忠臣蔵』のなかの演目である。御浜御殿は今の浜離宮庭園にあった甲府下屋敷で、綱豊卿は6代将軍家宣になった人である。吉良討ち入り前に、綱豊卿と赤穂浪士の富森助右衛門が遭遇し丁々発止のやりとりとなるのである。内蔵助の出した浅野家再興の結果が出ず、内蔵助は動けない状態で祇園などで遊んでいる。その風聞を綱豊卿も耳にしている。さらに、綱豊卿の正室は再興の願いを頼んでいる。

 

  • お浜あそびという華やかな中で、それぞれの想いが交差し入り乱れ一つの方向性へと綱豊卿は導いていくのである。その遊び心を見せつつの綱豊卿が仁左衛門さんである。酔いつつ正室は苦手だと口走ったり、愛妾のお喜世(壱太郎)にはそのままでいろよなどとたわむれる。それでいながら新井勘解由(歌六)を呼んで政道についても教えを乞い、さらに仇討をさせたいとの心中を話す。自分の中でのバランス感覚を常に磨いている人である。

 

  • 富森助右衛門はお喜世の兄なのである。その縁を頼って、吉良上野介が来るというのでお浜あそびを覗かせてもらい吉良の顔もとらえたいと思っている。それを上手く通してくれたのが江島(扇雀)である。綱豊卿は助右衛門と会うという。慌てる助右衛門の中車さんである。ただ吉良の顔を確かめたいだけなのである。綱豊卿はこちらの部屋にとすすめるが、助右衛門はこの敷居はまたげないという。綱豊卿はでは、またがせてみせようとゆとりたっぷりである。ここからの二人の駆け引きが見どころで今回も面白かった。

 

  • お互いの心理作戦であるが、助右衛門は顔の表情で本心をさとられるのが怖いのである。そんなことは百も承知の綱豊卿である。さて今度はどう出ようかの仁左衛門さんと、どう出てくるのであろうかとの中車さんの自分を落ち着かせようとする動きも相当計算されたとおもう。ついに思い余って綱豊卿を怒らせてしまうが、それも手の内のように高らかに笑って出ていく綱豊卿。浅野家再興を願い出ると。

 

  • もう道はない。仇討の大義名分がなくなってしまう。事の次第にお喜世は吉良を討たせると言ってしまう。能支度をした吉良に切りつける助右衛門。しかしそれは綱豊卿であった。全て助右衛門の心の動きは把握していたのである。能装束でさとす綱豊卿は大事も全てお浜あそびの中で納めてしまう恰好よさである。到底助右衛門のかなう相手ではなかった。しかし、中車さんは、かなり仁左衛門さんに迫りました。これだけ観せてくれれば、歌舞伎あそびも満足である。
  • 上臈浦尾(吉弥)、小谷甚内(松之助)

 

  • 口上』。藤十郎さんによる紹介から始まり、笑いあり、歴史ありの口上である。幸四郎さんは十代目である。他の役者さんたちとのその時代、その時代の長い関係があったわけである。そして、大阪でということもあり上方役者さんとのつながりもある。初代歌六さんは大阪出身であり、初代猿之助さんと七代目幸四郎さんは、九代目團十郎さんの弟子として切磋琢磨されている。そんなことがふわっふわっと加わる。

 

  • 仁左衛門さんが、高麗屋三代同時襲名が37年振りで大変お目出度いことであり、次の三代同時襲名にも是非出たいとのユーモアまじえて祝福の言葉。新染五郎さんは学業のため出られていないが、来月は歌舞伎座に出演である。歌舞伎座では、今月夜の部には若い若い役者さん達が出演していて、来月も夏休みということもあり沢山の出演である。このような暑い暑い夏となれば、これからは若いかたに頑張ってもらう必要がありそうである。何はともあれ気が置けない襲名口上であった。

 

  • 女殺油地獄』は、ずばり、与兵衛のような男は身内にいて欲しくない、である。幸四郎さんの与兵衛は何かに憑りつかれているような自己の欲望に翻弄されている人物であった。よくわからない殺人の多い昨今、近松門左衛門さんは時代とは関係なく人間の魔性をもとらえていたのであろうかと考えてしまった。時代的には主従関係や親子やご近所の濃い情が存在していた時代である。そこからはぐれてしまっている若者である。その標的となってしまうのが、与兵衛の親から相談もされていたご近所の同業の油屋の女房・お吉である。

 

  • 油屋河内屋の与兵衛が幸四郎さんで、油屋豊嶋屋の女房・お吉が猿之助さんである。お吉は子どもを連れて野崎詣りの茶店で与兵衛と会う。与兵衛の様子とお吉の言葉からお吉は与兵衛の放蕩をかなり知っていて釘をさす。与兵衛には糠に釘で、さっそく喧嘩をして、馬上の侍の衣服を汚してしまう。その侍は叔父の主人で、帰りにお前の首をもらうと言われてしまう。おたおたの与兵衛。強がっていたとおもうと何か事が起きると後始末のできない若者である。そんな与兵衛を助けるお吉。夫の七左衛門にいい加減にしろと怒られる始末である。

 

  • 与兵衛の今の父親・徳兵衛は、実の父親が亡くなり仕えた主人のためにと母・おさわと結婚したのであるが、おさわの気持ちと主人に対する忠誠心から与兵衛の放蕩には我慢しており、妹おかちも兄を想って養子はとらぬという。皆がこうすれば与兵衛が改心してくれるのではないかと考えるがどうにもならなくなり勘当。親に暴力もふるいふてくされて飛び出す与兵衛。

 

  • この親の情が、豊嶋屋のお吉のところで展開される。聴けば涙をさそうもっともな話である。与兵衛はこっそりそれを聞いていて親が帰った後、姿をあらわす。与兵衛にはお吉しか頼るひとがいないのである。いないというよりも、出来のよい兄もいるが身内に顔出しできないような状態で、金策を他人にすがるのである。お吉は夫に黙ってそんなお金は貸せないとつっぱねる。お吉は常識人であるから親からの話しもあって気にかけてやっていたのである。与兵衛は、大きな問題にぶつかると後先の考えがなくなり、人をころしてもお金を手に入れようとの行動しかなくなる。お吉は恐怖の中、必死に逃れようとするが油にすべりつつ執拗な与兵衛の魔の手にかかってしまうのである。

 

  • 与兵衛の幸四郎さんは、その場その場でとらえどころのない表情と体の動きをあらわす。しおれてみたり、慌てふためいたり、強がったり、いきがったり、突然暴力におよんだり。和事としての動きの妙味はまだであるが役柄としては与兵衛の狂気性などがよくでていたが、もう少し親の情に対するやるせなさがほしかった。猿之助さんは、普通の実のある女房の悲劇性がでて、最後の殺しの場面は芝居としてのコンビの息のあった場面となった。

 

  • 実の親ではない徳兵衛の歌六さんとおさわの竹三郎さんとの与兵衛に対する複雑な心模様も映し出され、その中で、ひとりきりきりと自分の闇に入っていく与兵衛を浮き彫りにした。近松さんは、自分勝手な悪に対しては容赦なく突き放すところがあるなと今回感じてしまった。
  • 伯父・山本森右衛門(中車)、芸者小菊(高麗蔵)、小栗八弥(歌昇)、妹・おかち(壱太郎)、刷毛の弥五郎(廣太郎)、口入小兵衛(松之助)、白稲荷法師(橘三郎)、皆朱の善兵衛(宗之助)、豊嶋屋七兵衛(鴈治郎)、兄・太兵衛(又五郎)

 

  • 近松門左衛門さんは浄瑠璃や歌舞伎などの上演と同時に、その本は文学作品としても読まれているというところが面白い。『女殺油地獄』も、世話に和事が上手くでてくると雰囲気が違って来る。きっちり和事が身についてそこから自由自在に出し入れをできる技が必要である。所々でふわっとオブラートで包むような。ここが文学から芝居にかえる面白さでもあり腕の見せ所でもあるように思う。江戸と上方の芝居がこれからももっと交流して、どちらの技も残っていく事が歌舞伎の楽しさを厚くしてくれる。

 

  • 『松竹座』に初めて行った時は驚いて違和感があった。こんなごちゃごやした場所にあるの。今はむしろ何かありそうと周辺の探索ができるのがうれしい。道頓堀川の船も東京の川の風景とは全然違う。道頓堀川というのは、安井道頓が開削し始め道頓の名前をつけて残したというのも時代がつながっているその感触がいい。今回は、暑さのため、法善寺と水掛け不動の辺りの路地をふらふらした。それでいながら、近松作品が多く上演された竹本座跡は目にしていないのである。木津川から東西に流れる道頓堀川から東横堀川脇を歩いて中之島に行ってみたいものである。

 

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