国立劇場『日本振袖始』

  • 心中物の近松門左衛門さんが神話も題材にしていたのである。今回初めて「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」のほうにて鑑賞した。これが大盛況なのである。成人の歌舞伎鑑賞をしたいと思っている人も仕事帰りならと寄られるのであろうか。おっ!「社会人のための歌舞伎鑑賞教室上演台本」もいただけた。嬉しい。この台本を読んでいるともう一回竹本を味わいつつ鑑賞したくなる。

 

  • 歌舞伎のみかた」の解説でも新悟さんが説明してくれたが、「振袖」の由来が解った。神話を江戸時代の設定にしているので、岩長姫と稲田姫を江戸時代の振袖の衣裳ということで近松さんが神話と振袖を結び付けたらしいのである。解説書によると、スサノオノミコトが熱病に苦しむ稲田姫の着物の袖を切り開き、姫の熱気を逃がして病を治すのである。熱中症注意のおり、うなずける。その後、ヤマタノオロチの生きにえになる稲田姫の袖の中に一振りの名剣を隠し持たせたことが「振袖」の始まりとするということである。剣を隠せるだけの長い袖を「振袖」というわけである。

 

  • さすが近松さんと思わされる。実際には、着物の華美さが強調され袖も次第に長くなり振れるようになったということであろうが、江戸時代に流行っていた長い振袖が神話の世界で剣を隠すという役目をになったわけである。それを外題の『日本振袖始』としてしまう。神話を現代になおして剣を隠すとしたらさてなんとしよう。

 

  • 稲田姫が隠し持って行く江戸時代であるから刀が紛失してしまって、村人が探しにでてくる。なかなか凝っていて変化にとんでいる。既に歌舞伎の所作の説明で山賊(彌風)がこの刀を持ち去っている。事情の知らない解説者・新悟さんは村人(猿三郎・他)の勢いに押されて客席に逃げる。追いかける村人。村人はすでに芝居の中に入っていて刀を強調してくれる。逃げ切って花道から出て来た新悟さんは舞台の幕の向こうに隠れる。そして幕が開くと映像の新悟さんが大写しで登場。そこからアニメでの作品の説明となり、またお会いしましょうと、次の舞台での稲田姫での登場となる。

 

  • 日本振袖始(にほんふりそではじめ)』は、八岐大蛇(やまたのおろち)が、稲田姫を飲みこみ、素戔嗚尊(すさのおのみこと)に退治されるという「出雲の国簸(ひ)の川川上の場」のみが上演された。ヤマタノオロチは実は岩長姫で、岩長姫がどうして若い美しい娘を生けにえにするのかには理由がある。妹は美しいため后になれたが、岩長姫は美しくなかったので后になれなかったのである。そのため「いでこの上はこの国の、眉目よき娘を絶やしてみせん」となるのであるが、そこは置いておき、八つの頭を持つ大蛇が美女を求めたということでも成立する。

 

  • 太棹の音が身体にズズンと入ってきて太夫の語りが始まる。深山に一人生にえとされ恐ろしさに心震える稲田姫。解説していた新悟さんの変身ぶりが見どころでもある。ところが一帯が怪しい様子になり、稲田姫は気を失ってしまう。現れたのは美しい女でこれが岩長姫の時蔵さんである。矛盾しているようであるが、美しい姫が実は八つの頭をもつ大蛇であったという変化を楽しむためでもある。外目には美しくても太夫の語る心の内は違うのである。

 

  • お酒に誘われ稲田姫を呑み込む前にお酒を飲んでしまう岩長姫。ここからの岩長姫の変化が見どころ。酔うに従い様子がおかしくなり、次第に本性が外に現れてくるさまを時蔵さん地味ながら心根で見せていく。八つの頭の大蛇なので八つ甕に酒を用意していたが次々と飲んでいき、ついに岩長姫は大蛇となり、それに気がついた稲田姫を呑み込んでしまうのである。そこへ駆けつけるスサノオノミコト。貴公子のような錦之助さんが格好良く登場する。

 

  • スサノオは十握(とつか)の宝剣を奪われ探していたのであるが、オロチは宝剣も稲田姫も腹中であるという。ここからヤマタノオロチとスサノオノミコトの立ち回りとなる。激しく闘うスサノオとオロチ。蛇身となり八つの頭はオロチの分身として七人(山崎咲十郎・他)が受け持ち激しく動きまわり立ち回りの見せ所。神話であっても歌舞伎の時代物である。

 

  • スサノオは強い。オロチ弱って来る。オロチの中から稲田姫が振袖に隠していた刀で切り裂いて出てくる。そしてしっかりスサノオが奪われた十握の宝剣も持って居る。よろこぶスサノオ。稲田姫がオロチを切った剣を天叢雲(あまむらくも)と名付け、宝剣が二振りそろう。宝剣と稲田姫を奪われたオロチは無念、口惜しや。八岐大蛇、素戔嗚尊、稲田姫、最後の決めでそろう。

 

  • 日本振袖始』はあまり好きではなかったのであるが、近松門左衛門さんが、神話という勧善懲悪的な決まったものを時代物にするという作業は、実際におこった事件などからの時代物や世話物の作品に比べると楽しかったのではなかろうかと思えてこちらも気楽に楽しめた。スサノオはアマテラスの弟でアマテラスが岩戸に隠れたのはスサノオが乱暴だったからで、随分の変身である。神様も色々な経験をされているわけである。

 

  • 友人がかつて読んだ日本神話の話しをしたことがある。アマテラスが岩戸に隠れてひとびとは困り、にぎにぎしく騒いだ。アマテラスは不思議に思って何事かと少し開けると、新しい神様がきたので皆そちらに夢中なのですと伝える。アマテラスはどんな神様かと出てきてしまった。うそでしょうと笑ってしまった。そう書いてあったのよと友人。凄い発想。絵や映像なら面白く踊った様子が効果的であるが、文字であれば友人のほうが面白いしユーモアとシリアスさがある。アマテラスさまはライバル出現かと思ったかもしれない。

 

  • 黙阿弥さんは、役者さんに当て書きしたが、近松さんは、人よりも人形のほうに行く。そこで歌舞伎役者さんは人形から人の身体的表現をするならどうなるかを探求した。『曽根崎心中』などは、お初は徳兵衛を打掛けの中に隠すのである。刀ではなく人を隠すのである。そして徳兵衛は縁の下へ。お初の足で気持ちを通じ合わせる。近松さんは、人形でなければと思ったのかもしれないが、歌舞伎役者は生身でやってしまうのである。身体表現だけにそれを伝えていくというのは困難を極めるのはあたりまえと思える。そんなことを考えさせられた近頃の近松さんである。

 

  • 国立劇場のロビーには石見神楽の「大蛇」も展示されていて説明文があった。明治の頃までは大蛇はウロコを描いた白衣と股引で表現されていたが、舞手であり神官でもあった上田菊市さんが、吊り下げ式の提灯から「蛇胴」を開発。和紙と竹のみで自在に伸縮しうねりのたうつ蛇の姿を表現するようになったと。あの「大蛇」も明治からなのである。形は改良されても、もっと昔からと思っていたが想像していたよりも新しいのである。

 

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