歌舞伎座『 三國無雙瓢箪久』

  • 三國無雙瓢箪久(さんごくむそうひさごのめでたや) 出世太閤記』。「出世太閤記」とあるように豊臣秀吉さんをモデルにした芝居である。筋書によると鶴屋南北さん作から桜田治助さんが「馬盥の光秀」を取り入れ、これに黙阿弥(新七)さんが「大徳寺」を手直ししたようである。黙阿弥さんはさらに『 三國無雙瓢軍配』を書き、その後歌舞伎座で「大徳寺」が単独で上演される。その後、明治座で猿翁(三代目猿之助)さんが、『千成瓢猿顔見勢 裏表太平記』(脚本・奈河彰輔、演出・藤間勘十郎)で上演されている。今回の補綴・演出は四人のかたの共同ということらしい(織田絋二、石川耕二、川崎哲夫、藤間勘十郎)。

 

  • 大徳寺」は、秀吉が三法師を抱きながら上段に立ち、三法師が信長の後継ぎと告げ、後見人である秀吉にも織田家の家臣が頭を下げるということになってしまう場面である。1953年(昭和28年)10月、歌舞伎座で上演され、その時、秀吉が十一世團十郎さんで、三法師が十二世團十郎さんが本名の夏雄さんで出演している。今回は、秀吉が海老蔵さんで三法師が勸玄さんである。今回の芝居全体の中で、この「大徳寺焼香の場」は面白い場となり、「松下嘉兵衛住家の場」がよかった。

 

  • 秀吉の出世には、明智光秀を討った秀吉の活躍が大きかったわけで、秀吉と光秀の関係は切り離せない。そこを、光秀側にその家臣の明智左馬之助を加え光秀側の層を厚くし、さらに、光秀の子と思っていたのが実は、秀吉の子であったという歌舞伎ならではの意外性である。今回は、筋書を読んでいたので流れはわかっていて期待していた。その事から言えば、秀吉と光秀の関係を芝居の見せ場としてもう少し練り込んで欲しかった。光秀=馬盥のイメージが強いので、詰めの甘さを感じてしまうのが残念であった。

 

  • 幕開きから海老蔵さんが花道のスッポンから素で登場。作品の紹介をしてくれる。その後の出を考えるとサービスのし過ぎと思えるが、観客の集中度が一気に高まりその効果は大きかった。なぜか舞台は西遊記からはじまる。それは、秀吉がサルと呼ばれていることにかけているらしく孫悟空の海老蔵さんが、三蔵法師を助けるために宙乗りとなる。これが、本能寺の森蘭丸の夢であったということで、場所は本能寺に移る。森力丸が明智光秀が謀反を起こしたと報せにくる。

 

  • 光秀の獅童さんの登場である。ここは、先輩たちの「馬盥の光秀」を受けて、しっかりとした立ち姿をみせてくれる。信長が自害したとの知らせに不敵にな高笑いを残して消える。当然、蘭丸と力丸も死すことになる。蘭丸の夢で三尊法師を助けるために飛んだ孫悟空のサルは、秀吉が高松城から飛ぶように引き返し光秀を討った正夢でもあったのかもしれない。本能寺の場は短く、水攻めの備中高松の秀吉の陣中へと移る。

 

  • 驚いたことに秀吉の海老蔵さんは、愛想よく板前になって鯛などをさばく。水攻めという時間のかかる戦に兵士が退屈しないように料理屋などの店をならべ、自ら立ち働くのである。秀吉は人たらしといわれるほど人の扱いが上手い人であるから、面白い設定である。ここへ猿回しと女髪結いがあらわれる。女髪結いは、かつて秀吉が藤吉時代に結ばれた八重で、藤吉は侍になりたくて行方がわからなくなり探していたのである。八重は秀吉が出世した藤吉とわかる。八重の児太郎さんは自分の苦労も知らずにと怒って皿を次々と壊していく。その皿が、猿回しの眉間にあたり眉間が割れるのである。

 

  • ここまではにぎやかに、藤吉と八重の再会と八重の癇癪に突き合う昔の藤吉である。しかし猿回しの存在に不審を抱く秀吉。と行きたいところだが、期待していた腹の探り合いという深さにはならずに、さらに私的質問のお遊びが入って、がっくり。猿回しは、実は明智光秀の家臣の明智左馬之助の獅童さんである。ここで獅童さんは、実はという大事なところである。ここでの軽さに観るほうはつまずいて、秀吉と左馬之助のラストの場面までの牽引力がなくなってしまったのである。先ずこの場面を締めてほしかった。

 

  • 道連れになった八重と左馬之助の出現は、それぞれに次への布石がある。八重は藤吉が奴として仕えていた松下嘉兵衛の娘で、藤吉との間にできた子が行方不明である。左馬之助は、眉間を割られたことが、後に明智光秀の死後光秀になりすますのである。左馬之助から光秀の謀反を知った秀吉は、高松から急きょ光秀を討つため引き返すことができるのである。情報収集の上手さ。現代の情報収集まではいりません。

 

  • 光秀の最後百姓の竹槍の刺されて亡くなったということで、小栗栖村(おぐるすむら)での竹藪での場となる。光秀の息子・明智重次郎が百姓に見つかるが明智の郎党・村越伍助の鎧櫃にの隠され逃げる。光秀はついに百姓・長兵衛に竹槍でころされてしまう。明智の妻・皐月は息子のことを心配して百姓に襲われるが、松下嘉兵衛に助けられる。ここでだんまりとなり、秀吉が地位を示し長袴で登場し、重次郎の匂い袋を拾う。光秀の家族と秀吉との接点がじわじわと迫って来る。左馬之助は眉間の傷で光秀になり澄まし坂本城へと馬での湖水渡りとなる。ここは馬盥の光秀を思わせるような見せ場がほしかった。光秀が左馬之助か、左馬之助が光秀か。

 

  • 八重が秀吉となった藤吉を連れて実家に帰って来る。(「松下嘉兵衛住家の場」)ここがまた秀吉の人たらしで、自分が奉公していたときの奴の姿で背中を丸くして現れる。その背中に、十二代目團十郎さんを思い出す。松下嘉兵衛の家には、光秀の妻・皐月がかくまわれている。秀吉は、許さないかつての主人嘉兵衛に、鎧櫃を差し出し、重次郎を渡す。嘉兵衛は、藤吉時代の年季証文を返す。さてあの秀吉が拾った匂い袋を見て八重は別れた自分の息子に身に着けさせたものであると告げる。皐月も重次郎は実の子ではないと告白。重次郎は秀吉と八重の子であった。

 

  • それを知りながら、光秀が亡くなったと知ると重次郎は、自害するのである。自分は光秀の子であるとして最期を自らの手で決めるのである。重次郎は市川福之助さんで泣かせられる。松下嘉兵衛が右團次さん。その妻が東蔵さん。光秀の妻・皐月が雀右衛門さん。村越伍助が市蔵さん。時代物の悲劇には手慣れている役者さんたちなので、舞台は、時代の中の家族の悲劇性へと運んでくれる。

 

  • 大徳寺焼香の場>大詰めである。信長の四十九日の法要の場で、信長の家臣たちがずらーっと並び、焼香の順番でそれぞれの言い分を主張している。北畠信雄と神戸信孝を押す二派にわかれ丁々発止である。そこへ前田利家が登場し、法会の施主は信長の孫の三法師だと告げる。出ました利家さん。友右衛門さんの独特の声が響く。納得しかねる柴田勝家たちである。衣冠に身を包んだ秀吉が三法師を抱いて現れる。舞台上段の施主の席に座る三法師。三法師の堀越勸玄さん椅子に座らせられ何か尋ねられたようである。首を横にふった。座り方が納得できなかったのであろう。再度座り直してもらった。きちんと不具合は伝えるのだと安心した。高い椅子なのである。そして座っている時間が長いのである。

 

  • 秀吉は三法師の後見として家臣たちを見下ろした位置にいる。さらに朝廷から三法師が織田家の跡取りであるという許しもえて、自分も中将になったと告げる。勝家は承服できないが、秀吉に光秀を討つために何かしたかと問われれば何もいうことができない。ここが重要なところであるから時間をとる。そこで三法師は勝家をしかりつけるのである。勝家の右團次さんは、はっ、はあーと平身低頭である。勸玄さんそれまで右手に笏(しゃく)を持ち微動だにしない。が途中ちょっと笏が動いた。目がすこし眠そうである。しかし、しっかり間を外さずに台詞をいい、感心してしまった。この場も居並ぶ信長の家臣の役者さんたちがしっかりとした台詞まわしで、それに対する秀吉の海老蔵さんの巧みな台詞がきいて見どころのある場となった。

 

  • 最後の大詰めは、秀吉を討とうとする左馬之助との闘いであるが、口も達者な秀吉であるから、戦のない世の中にするためだといわれて左馬之助なっとくして幕となる。簡単に納得して欲しくなかったですが。孫悟空になってまで、サルの秀吉を印象づけ、板前、奴、などなど、人扱いの自在な秀吉さんを熱演の海老蔵さん大奮闘でした。勸玄さんに短時間で持っていかれましたが。あと数日楽しんで終われるといいですね。

 

  • 出演/三蔵法師・筒井順慶(齊入)、紅少娥(萬次郎)、沙悟浄・滝川一益(亀鶴)、猪八戒・百姓長兵衛(九團次)、加藤清正(亀蔵)、村越伍助・佐久間信盛(市蔵)、百姓畑作・佐々木成政(家橘)、北畠信雄(松江)、丹羽長秀(権十郎)、森蘭丸・片桐且元(廣松)、森力丸(福太郎)、神戸信孝(男寅)、福島正則(竹松)、脇坂安治(玉太郎)、女剣士(芝のぶ、猿紫)

 

  • 三井記念美術館で、能面と能装束の展示を開催している。(「金剛宗家の能面と能装束」) 秀吉が愛蔵していた「雪・月・花」(龍右衛門作)の三面の小面があって、雪の小面と花の小面が並んで展示されていた。確かに表情が違うし眉も違っていた。雪は金春大夫へ、月は徳川家康へ、花は金剛大夫へくだされたが、月は江戸本丸の炎上で焼失してしまった。秀吉さんの名前が出てきたので、ジロジロと少し真剣に眺めさせてもらった。道成寺の般若、「葵上」のときの生霊には般若では品がおちるので使わないのだそうである。「蝉丸」の盲目の面も印象深かった。

 

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