第20回『音の会』(国立小劇場)

  • かなり日にちが過ぎてしまいましたが。『音の会』というのは、国立劇場での歌舞伎音楽の研修修了者が成果を発表する会である。歌舞伎俳優養成研修者の終了者の発表は『稚魚の会』でこちらは観た事があるが、『音の会』は初めてである。竹本、鳴物、長唄の研修修了者さんたちである。『稚魚の会』と同じように若手の先輩たちや、熟練された先輩達も助演ということで手をかしてくれる。そして、歌舞伎の役者さんたちも参加しての舞台もあり、聴いたり観たりするほうもめったに主では観れない役者さんたちの演技を楽しませてもらった。

 

  • いつもながらの解説と詞章ありのパンフつきなのがこれまた嬉しい。鳴物・義太夫『寿式三番叟』。本来は鳴物・義太夫の方々を紹介しなければならないのであるが、人数が多いので演者紹介とします。詳しくは「伝統歌舞伎保存会」を検索してください。翁・中村吉兵衛さん、千歳・市川蔦之助さん、三番叟・市川新十郎さんです。いつもは脇を守っておられる役者さんですが、さすが身体がしっかりしていて、どうどうとされていて驚きました。格式高い三番叟でした。鳴物も義太夫もしっかりしていて浄瑠璃のかたりは硬いかなと思わせられましたが、緊張感に負けることなくこなされていました。

 

  • 解説によりますと、人形浄瑠璃の三番叟は、二世豊沢団平さんが従来のものに増補作曲したものを主に上演していて、それを歌舞伎に移したものを踊ったのが二代目猿之助さんだそうである。二世豊沢団平さんは、『浪花女』で映画や芝居にも描かれていて、新派の若手でのアトリエ新派公演で観たことがある。

 

  • 長唄『矢の音』、長唄『俄獅子』は演者無しなので、詞章をながめつつ聴かせてもらったが、若い方ながらの綺麗な声であるが、助演者のかたの唄になると、何かやはり違うのである。長く声を使ってきたかたの粘りであったり、軽さであったり、重厚さがすっーと挿入されたりと、その差が味わえてなかなか経験できない体験でもありました。『矢の音』などは、メチャクチャ面白い詞章の連続である。今度『矢の音』を観る時は、もっと長唄と演者とが一体化して楽しめるとおもう。おせち料理や、七福神の棚卸は耳にしていたが、兄の十郎が夢に現れて、そりゃ大変だ、飛んでいくぞとの勢いが、大根を積んだ馬にまたがるという場面が浮かび、改めてアニメの世界かと思ってしまった。歌舞伎十八番といわれるとずしっとくるが、結構裏をかいているようでおもしろい。

 

  • 俄獅子』は江戸吉原の俄(にわか)を題材にしているのだそうで、吉原俄というのが興味ひかれる。「俄」というのは即興劇の意もあり、各地にあって大衆演劇の原点のような気がしているのである。作曲した四世杵屋六三郎さんは、吉原のにぎわいが好きで、引手茶屋の二階で本曲を作ったと伝えられている。現代では絶対に作れない曲で、想像の世界だけではなかなかつかみづらい唄である。三味線の音によって、その世界を味わった気分にさせてくれるところがこの長唄のよさでもある。

 

  • 歌舞伎『傾城反魂香』は、浮世又平・中村又之助さん、女房お徳・中村京蔵さんで、お弟子さんに京屋と播磨屋の芸が伝わっているのだと確信した。そばでずーっとみているのであるから当たり前のことではあるが、話しの中とかでは聞くことはあっても、その身体で実際に観る機会がないので、貴重な現場をみせてもらった。おそらくこの場面のこの姿はいいなあとか、そう動くのかとか観られていたことであろう。家の芸というものは、こうして伝わっていくものでもあるのかと納得した。こちらも観るのに力が入ってしまった。近頃の脇の役者さんたちは、上手くなっている。百姓の役者さんたちもそのやり取りの間がうまく、小劇場だったのでじっくりとながめさせてもらった。しっかりとした芝居になりました。(雅楽之助・京純、修理之助・吉二郎、北の方・竹蝶、光信・宇十郎、百姓・吉兵衛、音之助、蝶三郎、仲助、吉助)

 

  • 歌舞伎演技の方が、音よりも上手、下手がわかりやすい。素人にはその楽器などの演奏の微妙さはとらえきれない。その微妙さと闘いつつ修了生のかたはこれから長い道のりを歩かれるわけである。息ながく頑張ってほしいものです。でも面白かったです。素浄瑠璃と同じで、それぞれの声と音を堪能するのもいいものだと改めて思わせてくれました。今回は『稚魚の会』はスルーしてしまいました。

 

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