『満映とわたし』に登場する映画『丹下左膳餘話 百萬両の壺』(2)

  • 山中貞雄監督の映画『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935年)には、富美子さんの兄・福島威さん(五男)が山中監督に指名されるようになり大喜びで参加、福島宏さん(四男)もチーフキャメラマンとして参加している。この映画のユーモアさが好きである。まだ映像にお二人の名前はないが参加したことを知ってさらに裏で頑張る映画人の息を感じる。音楽にも気をつけながら観る。「とうりゃんせ」が色々なバージョンでながれていた。丹下左膳の一作目が大河内傅次郎さんだそうで、それまでの丹下左膳像を見事に変えてコミカルにしている。殺陣も少ない。(古いので完全版なのかどうかはわからない。GHQなどによってもカットされたりしてもいるので。)

 

  • 丹下左膳の大河内傅次郎さんは矢場の用心棒でその経営者の女主人が歌手の喜代三さんで、ふたりのやり取りがいい。大河内さんのコミカルさと歌手の喜代三さんのさらりとした伝法さを上手く引き出しぶっつけている。喜代三さんも三味線を弾きながら『櫛巻きお藤の唄』を歌われていてさりげない粋さをだしている。ただ丹下左膳はお藤の歌を嫌い、熱が出るといって置物の猫を後ろ向きにして抵抗し座をはずす。「お酒がまずくなるなら量が減って結構な事よ」と即、お藤にやり込められる左膳。

 

  • 矢場の客がゴロツキに殺されてしまい、その子を引き取ることになる。お藤は孤児になった子を「こんな汚い子はいやだよ」といいつつ、ぱっと画面が変わるとご飯を食べさせている。「なんでわたしが」といいつつ、パッと画面が変わると一緒に暮らしている。その軽快な転換が上手い。山中監督流で、編集するひとは驚かれながらなるほどとおもったであろう。このテンポがからっとした空気とクスッの可笑しさをさそう。

 

  • 百萬両の壺とは、柳生家の「こけざるの壺」が百萬両のありかを隠している壺と判明する。ところが、この壺は兄が江戸に養子に行った弟に祝いとしてやってしまっていて、それを取り戻そうと家来が江戸におもむく。しかし、あまりにも汚い壺なので弟は屑屋に売ってしまい、屑屋は長屋の子供の金魚入れにやってしまったのである。この子が孤児となり矢場で暮らすことになった安である。この矢場に養子の侍が遊びに来てすったもんだのすえ、壺は安が持ってきた金魚の壺とわかり、養子の手もとに百萬両の壺はもどるのである。しかし呑気なもので養子は壺を探すと言って盛り場で遊んでいられるため、手に入れたことは隠して左膳にしばらく壺を預かってくれといってエンドである。

 

  • 途中、左膳がどうしてもお金が入用になって道場破りにいった先の道場主がこの養子でお互い驚く。左膳は養子に頼まれて負けてやりお金を受け取りお金を作ることができるのである。これも安のためであった。そして道場の弟子たちとの試合が唯一立ち廻りといえる。一歩を大きく飛んで勝負がついているという殺陣である。痛快時代劇としては立ち廻りが少い。左膳とお藤と安の偶然に出来上がったホームコメディーともいえる。教育方針でも二人は対立し、相手の様子をうかがいつつ安のことを心配するのである。左膳は暴漢に襲われるとき安に目をつぶって10数えろといって一刀のもと斬ってしまい二人が通りすぎてから暴漢は倒れる。左膳は自分の腕を見せるのではなく、安に人を殺すところをみせないのである。

 

  • 大河内傅次郎さんの丹下左膳の映画に出演した高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』によると、大河内傳次郎さんは強度の近眼で、それでいながら本身の刀を使うので切られ役の俳優さんは大変だったようである。ご本人がチャンバラの最中に縁側を踏み外して庭へ転落したり、石燈籠にぶつかったりするのでまわりの人間はハラハラしながら左膳を目で追っていたという。高峰秀子さんはさらに、大河内さんはセリフおぼえも悪く、運動神経もあまり優れているとは思えない。しかし、「近眼だからこそ、思慮深く見え、セリフを思い出し、思い出ししながらする芝居の「間」が、なんともいわれぬ「味」になっていた。」と書かれている。

 

  • 高峰秀子さんは女人禁制の嵯峨小倉山の「大河内山荘」に招待され、そこで並んでの写真撮影の許可がおりている。それまで「大河内山荘」の内部の撮影は禁止されていた。秀子さん16歳の乙女の時である。気に入られたのであろう。大河内さんの左膳に秀子さんが出演した映画は、『新篇 丹下左膳 隻眼の巻』(1939年・川口松太郎作・中川信夫監督)である。高峰秀子さんは、この前篇は、千葉周作に片腕を斬り落とされた左膳が土手を突っ走って逃げる長いカットは息をのむ名演であったという。前篇とありここがよくわからないのであるが観たいものである。一作目の左膳も観たいがフイルム残っているかどうか。こういう仕事のお金は「大河内山荘」を作り上げるためにつぎ込まれたらしい。

 

  • 高峰秀子さんがいう「間」は、『丹下左膳余話 百萬両の壺』では喜代三さんに「どうしてよ」とさらさらっと言われると口ごもってしまうあたりがなんともいいのである。左膳がすぐセリフがでないほうが二人のやり取りを面白くさせるのである。大河内さんの不器用さを山中監督は計算に入れて撮っていたであろう。そこがおもしろいのだと。福島威さんは富美子さんにも山中貞雄監督のことは、はすばらしい才能であると話していて喜び勇んで仕事をしていたようである。しかし、その他の仕事も引き受け本人の想いとは反対に身体の方がついていけず肺を患い命とりとなるのである。家族のためと同時に仕事にのめり込んでいった若き映画人の名前が残されたことにより映画や、山中貞雄監督への献花ともなっている。
  • 構成・監督・山中貞雄・(小文字)萩原遼/撮影・安本淳/録音・中村敏夫/音楽・西梧郎/編輯・福田理三郎/出演・大河内傅次郎、喜代三、宗春太郎、沢村国太郎、花井蘭子、深水藤子

 

  • 丹下左膳が映画に登場するのは『新版 大岡政談』(1929年)である。DVD『阪妻 坂東妻三郎』の中にほん少し『新派 大岡政談』の大河内さんの左膳の立ち廻りが映っていた。講談などで大岡越前守の名お裁きが題材とされた話しが多数できあがり、林不忘さんが小説として『新版 大岡政談 鈴木源十郎の巻』のなかに丹下左膳を登場させた。映画『新版 大岡政談』の映画も幾つかつくられ丹下左膳がヒーロー化していって「丹下左膳」が独立したようである。『新版 大岡政談』のなかでも伊藤大輔監督と大河内傅次郎さんの丹下左膳が人気を博した。本来の丹下左膳は斬りまくる。手もとにある『続・丹下左膳』(マキノ雅弘監督)では、大河内さんは大岡越前守と左膳の二役である。

 

  • 続・丹下左膳』(1953年・マキノ雅弘監督)は、続であるので前の続きの映像がスタッフや出演者の字幕のバックに映っている。二人の侍が橋の上で切り合いをしていて回りを捕り方が囲んで御用と叫んでいる。「妖刀乾雲、坤龍の二刀を求めて死を賭して闘う者」と字幕が入る。その一人が川におちる。橋の上の侍は「坤龍」と叫ぶ。これが丹下左膳である。丹下左膳は饗庭藩の武士で藩主に妖刀乾雲、坤龍の二刀を手に入れるよう命じられた。ところが、世を騒がせていると大岡越前守に正された藩主は左膳など知らないと言い切られ左膳は復讐にもえる。最後は大岡越前守に守られながら藩主を倒し妖刀乾雲、坤龍の二刀を投げ出し高笑いする。

 

  • 前篇がないので細かいところはわからないが、この妖刀は別々になると呼び合いその刀を持っている者はその呼び合う力によって人を斬りたくなるようである。その刀に左膳も翻弄される。マキノ雅弘監督は、戦前の丹下左膳の姿を踏襲したらしい。脚本は伊藤大輔・柳川眞一とあり、録音が『丹下左膳余話 百萬両の壺』と同じ中村敏夫とあった。『続 丹下左膳』では、録音助手、撮影助手などの名前もクレジットに記載されている。本来の左膳は悲壮感に満ちた立ち廻りのようである。その中でまったく原作の左膳とは違うパロディ化した左膳なのに、やはり『丹下左膳余話 百萬両の壺』の左膳が魅力的である。どちらの左膳も創り出した大河内傅次郎さんと山中貞雄監督の引き出しかたの上手さに乾杯。

 

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