新橋演舞場初春歌舞伎

  • 十三代目市川團十郎と八代目新之助襲名が2020年と決まり新橋演舞場は賑わっていった。ただ十三代目市川團十郎白猿とあり、白猿は俳名でもあるらしくそれも継ぐということらしいが、十三代目市川團十郎(俳名・白猿)とかでは駄目なのであろうか。すきっとした名前につぎ足しましたという感じである。このあたりがよくわからなかったが、その後皆さん十三代目團十郎と記しているのでそれでいいのであろう。

 

  • 今回の舞台を観ていても思ったが、「團十郎」という名前は知名度が高く重い名前である。それだけ芸の歴史のある名前である。歌舞伎が芸を伝える古典文化とするなら、一つの家では伝えられないほどの重量がある。一代の一生は、成田屋全ての芸をその時代に伝えるには短いのである。そのため成田屋だけでは無理である。歌舞伎界全体に拡散されて伝わってきているのである。一代がその家の芸一つをを身につけるだけでも年数がかかるのである。そうした中で受けついだ当代さんが当代はこんな團十郎であると認識されるまでが大変でもあり、楽しみでもあるわけです。

 

  • 今回も海老蔵さんが大奮闘(人気は堀越麗禾さんと勸玄さんに奪われていたが)で夜の部は『俊寛』の後に『鏡獅子』という並べ方である。『鏡獅子』を生で観るのは久しぶりである。綺麗な弥生であった。ただ二枚扇でもこれといった印象はなく獅子頭へと移る。獅子は予想通り勢いがあった。

 

  • 俊寛』であるが、これが泣かせられたのであるが疑問が浮かんだ。その泣かせ方が、俊寛は千鳥の父の立場であるが芝居の方では、もっと年齢的に近い位置に観える。千鳥の児太郎さんのくどきがいい。よくここまで身体の使い方を練習して作り上げたと感心して観ていた。その後、俊寛が船から降りて千鳥を自分の代わりに乗せようとする。自分には都に帰っても愛する妻はもういないと話す。この時点で、父親的立場でなくて、千鳥に聞いて欲しいという感じなのである。同じ年代に切なさを語っているように見える。

 

  • 瀬尾の市蔵さんがこれまた憎たらしい敵役で、隠れていてこちらも砂を投げつけたいくらいの好演である。そして俊寛は瀬尾を殺すことになるのであるが、清盛に対して妻の仇をとったぞのような雰囲気となる。俊寛の中にその気持ちがわき上がるのもわかるが、あくまでも芯は娘とも思う千鳥を少将成経と共に船に乗せて添わせてやりたいと想う親心であるが、どうも私憤を晴らしてやったぞと伝わってくる。こちらもその気持ちに引きずられて気持ちが入れこむ。最後は俊寛が満足して菩薩の世界に到達したように思えて涙してしまったのである。

 

  • 人間の悲しさ、寂しさというものが飛んでしまった。こう受け取ったこちらの見方がおかしかったのか。海老蔵さんは個人的想いを盛り込み過ぎたのではないだろうか。古典は私的感情に偏るとちがったものとなり、受けつがれるべきものが不確かになってくる。受け継ぐことを基本にするならその芯はしっかりさせるべきである。こちらは観る側であるからいくらでも解釈はでき勝手に鑑賞するが、歌舞伎を受けつぐことを伝統文化とするなら、演じる側の立場は全く違ってくるとおもう。そのことが今回の海老蔵さんを観ていて疑問にも思ったところである。

 

  • 幡随院長兵衛』は、やはり柔らかさの余裕が欲しい海老蔵さん。長松の勸玄さんの「おとっつあん、はやくかえってきておくれよ」のト~ンがいい。女房お時の孝太郎さんの身体での動きから気持ちが伝わってくる。ドーンとしている左團次さんの水野十郎左衛門。長兵衛の子分たちの出来は経験の差あり。『三升曲輪傘売(みますくるわかさうり)』は海老蔵さんが登場したとき、ずいぶん着ぶくれしているなと思ったら傘を次々と手品のようにだす。芝居のなかでこれが挿入されればそれなりの効果があるとおもうが一つの舞踊としては軽すぎる。

 

  • 義経千本桜 鳥居前』は、忠信の荒事である。『道行初音旅 吉野山』の舞踊との違いに驚かされる演目である。弁慶も『勧進帳』と比較するとあれあれである。『勧進帳』は能を取りいれているので別物であるが。歌舞伎は役者さんが荒事の衣裳で出てくればそれに合わせて楽しむしかない。見得があり、引っ込みがありで荒事の勇壮さを愉しませてくれるかどうか。獅童さんは愉しませてくれた。弁慶の九團次さんと静の廣松さんが少し軽すぎであった。

 

  • 鳴神』の児太郎さんの絶間姫の手練手管がいい。そして、絶間姫が亡くなった夫とのなりそめを語るとき、夫からもらった歌の下の句が出てこない。(この句は『伊勢物語』によるらしい)経験はないが教養のある鳴神上人はこの下の句がスラスラでてしまう。これが言霊の恐ろしさでもある。右團次さんの鳴神上人ここから、話しから実体験へと入り込んでいくのである。お二人の息も会っていて楽しませてもらった。

 

  • 牡丹花十一代』は十一世團十郎生誕百十年を寿いでの舞踏である。その舞台に麗禾さんと勸玄さんが元気に出演し明るい舞台となる。十三代團十郎、八代目新之助の襲名を控え、その名跡の重圧に負けることなく一歩一歩、歩まれてほしい。

 

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