歌舞伎座團菊祭5月 『壽曽我対面』『勧進帳』『め組の喧嘩』

壽曽我対面』 大先輩たちの力を借りないでの上演である。様式美の演目なので、やはり若すぎるなという感想である。それぞれの役どころの強弱の際立ちが感じられなかった。ただ、立ち位置と衣裳に負けていないところが修業の賜物である。(松緑、梅枝、萬太郎、尾上右近、米吉、鷹之資、玉太郎、菊市郎、吉之丞、歌昇、坂東亀蔵、松江)

勧進帳』 やっとストーンと落ちてくれた。いやいや、いやいや、何か違いますなという想いが今まで続いていた。これぞ十一代目海老蔵さんの弁慶であるとその完成度に納得できた。あくまでも十一代目海老蔵さんの弁慶であり、さらに変化していくであろうが。

とにかく面白かった。張りのある声の台詞の語尾がすっきりしている。無駄なこもりがない。語尾の押さえ方が心地よい。目力に無駄がない。目が物を言うというが、うるさ過ぎる傾向があった。動きと声と目が一致していて、細心さ、闘争心、安堵感、ゆとり、情愛、緊迫感、責任感、感謝などの想いが無理なく伝わってくる。

菊之助さんの義経は弁慶を信頼しつつ任せる。松緑さんの富樫は、疑ったからには逃がしはしないと弁慶に迫る。ガチンコである。迫力あり。じっと静かに弁慶に打たれる義経。そこまでするかとハッキリ見届ける富樫。くっと引く富樫。

弁慶おそらく混乱しているとおもう。自分の気持ちを整理するのに必死である。すっーと義経から差し出された手。救いの手である。勿体ない。やっと自分を取り戻す弁慶。ここがあるから、富樫が再び現れても態勢を整えられたのである。いつも弁慶の踊りに注目するのであるが、今回はどう踊ろうと差しさわり無しの気持ちであった。義経と四天王を先に立たせる弁慶。

今回はオペラグラスが離せなくて、四天王を見るゆとりがなかった。こんなこと初めてである。全体をみる時間がなかったのである。最初に太刀持ちは注目して玉太郎さんのしっかりした動きに満足。ぴたっと決まっていたので安心。

十一代目海老蔵さんの頂点の弁慶を堪能できて満足このうえなし。はや次の十三代目團十郎さんの弁慶がどう変化するのか楽しみなところであるが、こちら好みとなるか、またまた時間がかかるのか、それもまた挑戦のなせる技である。(右團次、九團次、廣松、市蔵、後見・齊入)

神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)・め組の喧嘩』 これは菊五郎劇団が中心なってのチームワークも見せ所であろうからと、ゆったり愉しませてもらう。「江戸の三男」、火消しの頭、力士、与力。その火消しと力士の喧嘩である。火消の頭は、弁天小僧の浜松屋の場でも登場する。ゆすりとわかって収めようと登場する。火消しを鳶ともいうのは、棒のの先に鳶のくちばしのような鉄の鉤をつけた用具をもっていたことから鳶とよばれたようである。『盲目長屋梅加賀鳶』では、花道を引っ込むとき鳶口をくるりとひるがえして格好良くひきかえす。力士といえば、『双蝶々曲輪日記』を思い浮かべる。 

『盲目長屋梅加賀鳶』は、加賀鳶(加賀藩前田家お抱え)は大名火消しと町火消しの争いが出てくるが、乱闘にはならず納められる。町火消しは南町奉行・大岡越前守忠相によって1718年に組織されその二年後には、隅田川の西岸に「いろは48組」と東岸に「本所深川16組」が結成されている。「いろは48組」の「へ、ら、ひ」は音の関係から避けられた。そのかわりであろうか、万、千、百などがある。「め組」は芝が担当地域である。

江戸の火消しには三種類あって、もう一つは旗本お抱えの定(じょう)火消しである。町火消しには、江戸を守っているのは俺たちだという心意気もあるであり、武士お抱えの力士なんぞに負けてなるものかという意識も強いのであろう。力士も江戸の華であるから負けられない。

品川の遊郭で力士の四ツ車大八がお抱えの武士と宴会中に隣の部屋にいため組の火消しと喧嘩になる。め組の頭・辰五郎が間に入り一応おさめるがそうはいかなかった。それで収まらなかったのである。鳶頭の女房が凄い。仕返しをしないのかと夫に詰め寄るのである。火事ともなればその度に覚悟を据えているのであろうし、それだけ命を張っている鳶が、なんという意気地のなさかとの想いであろう。辰五郎にはお仲の性格の知っていての考えがあったのである。

ついに芝の神明で、喧嘩になってしまう。この鳶と力士の喧嘩が見せ場でもある。そして若い役者さんたちの活躍の場でもある。ここぞとばかりに力士と火消しの乱闘である。乱闘をそれらしい立ち回りで見せてくれるわけである。たすきは荒縄である。力はあるが動きの鈍い力士相手にフットワークよろしく果敢に立ち向かっていく。

さすが鳶頭・辰五郎の菊五郎さん、鶴の一声でまとめてしまう。女房・お仲の時蔵さんもただの女房ではなかった。きりきりと夫にせまる。鳶ともなれば一秒を争う火事相手であるから着替えの手伝いも速い。衣裳箱をポンと投げる勢いで刺子半纏に着替えさせるのである。なるほどなと納得しつつ観ていた。『極付幡随院長兵衛』の着替えと妻子との別れの違いなども交差する。

四ツ車大八の左團次さんに貫禄があり、又五郎さんも力士大きさが似合うようになった。若い役者さんたちも鳶の恰好良さが身についてきて、若さっていいなと思わせてくれる。その中でも菊之助さんがやはりすっきりとしている。町火消しの纏(まとい)も組によって違うわけで、舞台に出てくる「め組」の纏は継承しているのであろうか。白の透かしが素敵である。

自分の担当地域が火事になれば一番纏でなければならない。他の町内からも次々と応援がくる。そうすると到着順番に屋根上の纏の花形をゆずるのが習わしであった。火事でありながらそういうところが喝采をあびるゆえんでもあったわけで、家事が多いから庶民の生活道具は少なく、すぐ逃げれるような状態である。逃げつつ、纏を確認していたのかもしれない。

纏は上の飾りで、下のヒラヒラしているのはばれんといい、重さは約11キロ。それを肩に屋根に上るのである。「め組」の鳶たちも、力士は猛火との想いでぶつかっているのであろう。舞台では喜劇性を加えたぐっと若い役者さんたちの見せ場にもなっている。映画などからすれば、江戸の風俗をのぞきからくりを大きくして眺めている感じであろうか。

仲裁にはいるのが、焚出しの喜三郎の歌六さん。この焚出しの喜三郎というのは、町火消人足改(まちびけしにんそくあらため)の相当するのであろうか。火事の際、町火消や火消人足(火消しの見習い)を管理した役人のことである。その辺が疑問に思った次第である。出演者多く記さないが、フライヤーに市村光さん(萬次郎さんの次男)の名前があった。

踊りの『お祭り』が鳶頭で、落語の『火事息子』は、質屋の息子が町火消人足となる噺である。久しぶりで志ん朝さんの『火事息子』をCDで聴く。話題の広がる『め組の喧嘩』である。

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