浅草映画・『若者たち』

「君の行く道は~はてしなく遠い~」歌は知っていても、テレビドラマは見ていないし、映画も観ていなっかた。映画『若者たち』(1968年)のDVDに特典映像がついていて、この映画に関する情報を得ることができた。DVD化されたのが2006年である。森川時久監督、脚本家の山内久さん、俳優の山本圭さんの三人が対談されている。

映画『若者たち』は自主上映だったのである。映画は出来上がったが、配給してくれるところがなく、松竹の城戸四郎さんが買っても良いと言われたのだが、製作費よりも安く、損をするのはいやなので自主上映に踏み切った。城戸四郎さんとなると、どうも映画『キネマの天地』の起田所長の白鷗さんを思い出してしまう。「購入してもいいが製作費より安いよ。」といいそうである。

名古屋が初上映で、大成功であった。全国をまわり最後が有楽町のよみうりホールで収益を上げ次の映画の資金となった。その頃、もう一本自主上映していた映画があって『ドレイ工場』(監督・山本薩夫・武田敦監督)とのことである。

森川時久監督はテレビの演出家で、映画監督初デビューでもあった。カメラの宮島義勇さんに映画の撮り方の一から教わり、この映画はテレビ出身監督の映画という事もあってか、当時きちんとした批評がなかったようである。映画人のテレビかという意識があったようだ。映画がDVDによってテレビのフレームに帰ってきたというおもいがあると森川時久監督は言われているが、DVD大好きである。DVDによってどれだけの映画を観ることができているか。

『若者たち』もDVD化されていなければ観れなかったのであるから。何となく風のたよりに聞いていた、羽仁進監督の『不良少年』も観ることができた。そういう意味では、浅草映画に感謝である。(もちろん、中村実男著『昭和浅草映画地図』にもである。)

山本圭さんは、宮島義勇さんに映画はカメラのフレームの中で演技してくれと言われたそうであるが、これが難しかったそうである。ヒッチコック映画のDVDも解説付きがあって、その中である役者さんが、端にいて驚く場面で驚いて後ろに下がってしまい監督に消えるなと怒られるのだそうであるがどうしてもできなくて、もういいといって許してもらったというインタビューを思い出した。

とにかく資金難で、ロケ現場では、昼時になると弁当が出せないためチーフ助監督が姿を消すのだそうである。ある時は、仕方なく焼き芋屋さんを田中邦衛さん等と買い切って配ったりしたそうで、そうした苦労話は数々あるようである。それと、1960年代は生放送に近いテレビの原点でリハーサルを何回もして寝不足のまま撮影現場に移動したそうで、とにかくリハーサルが長かったようである。

森川時久監督は戦争孤児のことをやりたくて一度失敗してずーっとやり残していたがやっと、両親のいない5人が生きていくということで実現させた。時代は高度成長期で、そこで置いて行かれる人々の議論劇としている。

長男・太郎(田中邦衛)は、三男・三郎(山本圭)と四男・末吉(松山省二)を大学に行かせることにし、さらにりっぱな家を建てるのが目標である。三男は大学に進んだが世の中の現実から目を離して学業だけに専念することはできない。四男は、兄たちに負担をかけつつ追い詰められるような気持ちで大学を目指すのがいやになってくる。長女・オリエ(佐藤オリエ)は一人で兄弟たちのために家事をがんばり、兄弟たちの喧嘩の後始末などごめんだと友人のところに逃げてしまう。次男・二郎(橋本功)は、トラックの運転手で、事故ってしまうが、これまた一本気で身近な人の苦労がほっとけない。

長男の家父長的な決め方に三男は理論でぶつかっていく。長男はその家父長さを職場でも発揮する。事故のため怪我をした下請けの労働者に対する扱いが許せなくて本社に掛け合いクビになってしまう。三男は、長男に対し兄貴だって世の中の矛盾と対峙しているのにそれを感情論だけでぶつかっているとまたまた激論の喧嘩となる。それぞれが矛盾を感じつつそれぞれのやり方で世の中で闘っていくエネルギーとぶつかれる仲間のあった時代のドラマでもある。

そしてこれだけぶつかりあえる家族がいた時代ともいえる。近頃は、手出しの出来ない弱い子供を一方的に攻撃してしまう事件が多すぎる。あの時代から見ると行先がこんな時代になっているのかと落胆してしまうであろう。あの兄弟の喧嘩の方が意味があり対等のエネルギーがあった。言い合える場所と均衡があったのである。

長男は上司の妹と結婚するつもりであった。彼女はクビになった彼の就職の世話もしてくれた。しかし、彼女は長男との結婚を断るのである。その場面が隅田川の向島側で堤防がカミソリ堤防といわれるコンクリートの高い壁になっていて台に上がってやっと隅田川がみえるという情景である。吾妻橋、東武鉄道の鉄橋、浅草側には松屋や神谷バーなどが並んでみえる。

覆い隠すことのない人間性をだしている映画の内容もよいが、この隅田川の堤防を映して置いてくれたことも貴重な映像である。今の隅田川テラスからは想像できない情景である。伊勢湾台風の教訓から整備されたのであるが、このカミソリ堤防で水辺と人間が切り離される結果となり、再度整備される。ゆるやかな傾斜がある堤防と遊歩道を備えた親水テラスとなったのである。

この隅田川テラスを調べてみるとかなりの距離つながっていたのである。勝鬨橋から千住大橋までつながっている。というわけで歩いて見た。なかなか面白い散策であった。早めに実行しておいてよかった。この暑さでは水辺といえども体力的にゆとりがなかったであろう。

「空に また 陽が昇るとき 若者は また 歩きはじめる」テレビドラマと映画の主題歌は一緒である。(作詞・藤田敏雄、作曲・佐藤勝) 佐藤勝さんは映画音楽では外せないほど多くの映画音楽を担当をされている。

出演・栗原小巻、小川真由美、石立鉄男、井川比佐志、大滝秀治、江守徹

昨夜ここまで記入し、読み返して公開しようと思ったら、今朝の事件である。痛ましすぎる。暴力は最低である。悪である。それも、何で無抵抗の人を攻撃するのか。卑怯すぎる。時代を遡って今という時代を思い起こす時間が必要なのかもしれないが、時代の波は速度を増すばかりである。事件に会われた方々のこれからの時間・・・

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