浅草映画『清水の暴れん坊』

映画『清水の暴れん坊』(1959年・松尾昭典監督)は主人公が浅草六区の映画街を闊歩する。それも数秒でどこの映画館の前なのだというのが判別しづらいのである。

石原裕次郎さん主演の『紅の翼』に赤木圭一郎さんはエキストラ的役で出ているらしく、『清水の暴れん坊』はお二人の初共演作品となる。

放送局の清水局から東京の本局に転勤になった石松俊雄(石原裕次郎)は、東京駅ホームに立つ。当時は、今のようにホームの足元に乗車位置の表示がなく、柱に8入口とか表示があり乗車するときそこに並んだのであろう。ホームで待つのは先輩プロデューサーの児島美紀(北原三枝)である。石松は当分山登りができないであろうと穂高に登ってその登山姿で降りたつのである。

あきれる美紀。石松は寮を寮へ行く途中お腹がすきソバ屋に入る。ソバ屋は待ち人来るとばかりに、石松のリュックに白い粉の袋を入れる。石松が帰った後、同じ格好の男があらわれる。品物を受け取りに来た戸川健司(赤木圭一郎)である。赤木さんの登場は、裕次郎さんのイメージから一変させる印象付けは効果的である。健司は品物が間違って渡してしまったのを知る。

石松のリュックから見つかった不審物が麻薬であると判明する。ラジオのプロデューサーである石松は、麻薬の実態をリポートして放送で流したいと企画を出す。石松はかつて、クスリによる悲劇に立ち会っていた。新劇の役者が仕事が上手く行かずクスリに手を出し奥さんを殺害してしまう。その時、姉と弟は逃げるのであるが鉄道自殺をしようとしているのを危機一髪で石松が助けたことがあったのである。

クスリを持ち去られた健司は、クスリを取り返すべく仲間と石松を追いかける。健司の顔をみて石松は「健坊!」と声をあげる。「兄貴!」。健司は命を助けた弟のほうであった。

健次の姉・令子(芦川いづみ)も田舎から出て来て、健次をいさめるがそう簡単には悪事から足をあらうことは出来なかった。石松はそれとは関係なく、麻薬取締官(内藤武敏)の力も借りて、自分なりの情報をあつめに動き出す。それらしき恰好をして「にいちゃん、ヤクあらへんか?」とさぐりをいれる。

そして、学生服を着てワル大学生気取りで浅草の六区の映画館街を大股に歩く姿が。石松の右手の映画館が映るが、名前がはっきりしない。電気館と千代田館かなと思うのであるが。そうなると映っていない左手は浅草日活劇場ということか。その辺りが確信がもてないのである。映るのは数秒である。

小沢昭一さんと川本三郎さんの対談で、小沢さんが話されている。浅草でお客が入れば間違いなく全国制覇できるというきまりがあって、封切の日には各社首脳部が浅草に集まり、石原裕次郎さんや小林旭さんの映画の封切には日活の常務さんが浅草日活の入口に立ち客の入りを点検していたと。

映画のほうは、麻薬組織とのおきまりのアクションがあり、健次は石松の仕事のために利用されたとして石松のことも信用できなくなっていた。そして拳銃を交番から盗み追いかけられる身となる。その健司を説得する石松。若者の何を信じていいのか解らなくなった状況を、まだ俳優として経験の浅い赤木圭一郎さんが上手く役にはまり、ゆとりをもって語りかけ説得する石原裕次郎さんは兄貴として役者の先輩としての貫禄が映る。そういう意味で面白い共演作品といえる。

六区は江戸時代は伝法院の敷地である。国際通りを挟んで国際劇場(現・浅草ビューホテル)側は古地図(1853年・嘉永6年)によると大きなお寺が並び、国際通りを挟んだ向かい側は小さなお寺が並んで、後方に浅草寺がひかえている。そして伝法院があり、その南西部分に蛇骨長屋というのがある。その長屋のあったところに蛇骨湯という温泉の銭湯がある。江戸時代から続く銭湯であるが5月31日で閉店となってしまった。何んとも残念である。蛇骨(じゃこつ)の名前が何かの形で残って欲しいものである。

追記: http://saint-girl.hateblo.jp/entry/2014/11/01/184035  こちらのかたが、古地図の蛇骨長屋を載せてくれています。蛇骨湯の紹介も。

浅草映画『太陽のない街』『陽気な渡り鳥』

映画『太陽のない街』(1954年)は山本薩夫監督の社会派映画で、独立プロの作品である。1926年(大正15年・昭和元年)の共同印刷労働争議を題材にした徳永直さんの小説を原作にしている。明治憲法下であるから労働争議に対する弾圧も厳しい。

大同印刷の工場の大きな建物の外には長屋が並んでいる。大同印刷に勤めている人々の家族が住んでいる。長屋の家の中は気の毒なくらい貧しさがわかる。従業員38名の解雇に対しスト中で女子は従業員は小間物の外商をして生活と組合運動をささえている。

高枝も病気の父と妹・加代との生活を守りつつ、争議の手伝いもしている。父は長く会社には世話になっていたので高枝の行動を苦々しくおもっている。父が機械で指を失った時、会社は何もしてくれなかったではないかとさとす。

仲間のおきみは、5人の家族を抱え、カフェに働きに出ている。そのことを責める女性の組合員もいるし、それをかばう組合員もいる。頑張っていたおきみも家族のために玉ノ井に身を沈めることとなる。

会社の社長宅が放火される。加代は自分の恋人の宮地が血気早まったのではと心配するが心配は当ってしまう。高枝は放火を疑われて検挙された仲間のために宮地に自首をすすめる。加代は妊娠しており、宮地は加代の事を高枝に託す。炊き立てのご飯を食べ宮地は自首する。

その後も闘争は苦難の連続で、高枝の恋人・萩村も会社の雇った組の者に暴力を受け大怪我をする。宮地は警察で痛めつけられその苦しい中で加代と浅草木馬館で木馬に乗って笑いあったことを思い出す。木馬館はセットである。なんとも虐げられた人々のささやかな楽しみの場所というのが切なさをさそう。

宮地の恋人ということで加代も警察に連れていかれ痛ましい状態で戻され亡くなってしまう。18歳であった。萩村が検挙され、父は自ら命を絶ち、高枝は絶望の淵をさまようように組合の大会に参加していた。組合は、ストをしている者と、新しく雇われた者とで意見が分かれて混乱し、旗の奪い合いとなった。争議派の次の世代の若者が争議の象徴である旗を奪い取り、高らかになびかせるのを見て、高枝にやっと笑顔がもどるのである。

独立プロ映画特選としてDVD化されている。特典映像でサード助監督だった橘祐典さんが語られている。長屋は巨大なオープンセットで、駒沢オリンピック競技場ができる前の空き地に作られた。エキストラの人数が多く、撮影の最後の方はエキストラに払うお金がなくエキストラがストライキをするような状態だったと。オープンセットでなければこれだけのリアルな動線は映せなかったかもしれない。群像劇でもある。

編集助手の中に、岸富美子さんの名前があった。何かのきっかけで、「あっ!この人は。」と目に留まるのは嬉しい事です。様々な経験をした映画人の力が集結した映画だったのである。  劇団民藝『時を接ぐ』 満映とわたし』の嵯峨野時代』 

高枝(日高澄子)、加代(桂通子)、父(薄田研二)、高柳(二本柳寛)、宮地(原保美)、おきみ(岸旗江)(多々良純、北林谷栄、東野英治郎、宮口精二、新欣三、加藤嘉、殿山泰司、安倍徹、清水将夫、三島雅夫、花沢徳衛、西村晃、原泉、小田切みき、赤木蘭子 等)

映画『陽気な渡り鳥』(1952年・加藤康監督)は、美空ひばりさん主演の歌謡映画ともいえる。浅草が出てくる映画は、1951年、1952年、1953年に結構多い。浅草の出てくる美空ひばりさん主演の『お嬢さん社長』は1953年である。1954年に『太陽のない街』が、1955年に『青春怪談』がある。

みどり(美空ひばり)は3歳の時お父さんが戦争に行って便りが無く、預けられた保育園から子供のいない夫婦に引き取られるが、その夫婦に男の子が生まれ邪険にされてしまう。

お芝居を観るのが好きで保育園を尋ねた帰りに一度観た事のある一座と遭遇し一座の小屋を尋ね、置いて貰えないか相談するが一座もやっとの収入で無理であった。行くところが無いので楽屋の張りぼての馬の中で寝てしまう。芝居小屋の売り子の仕事をもらい歌を披露する。優しい座員の奇術師・春江(淡島千景)と弟子の三平(堺俊二)が次の興行先にみどりを荷物と一緒に運んでくれる。

一座の内部分裂もあり、吉澤(阿部徹)と光代(桜むつ子)は一座のお金を持って逃げてしまう。春江とその恋人・(高橋貞二)らの座員が残り、みどりもひょんなことから、歌で一座を助けることとなる。みどりは一座の看板にまでなり東京の浅草の劇場に立つことになる。

浅草六区のみどりの看板を見て悪巧みを考える吉澤。そのバックに浅草松竹映画劇場浅草日活劇場が映る。吉澤はみどりのニセの父親を仕立て上げる指示の場所の背後に花やしきの観覧車、さらに浅草本願寺の境内となる。邪険にした育ての親もしゃーしゃーとでてくる。吉澤はみどりを腕ずくでさらおうとする。逃げるのが国際劇場の裏で国際劇場はやはり大きい。助けたのが本当のお父さんであるがお互いに知らない。

彼女はもう父親はいらないという。それを聞いていた父親は帰ろうとするが、保育園の先生と会い、みどりと再会する。みどりも本当の父とわかり一座で一緒に暮らすことになりめでたしめでたしである。

一座は最初は桜むつ子さんの女剣劇の場面で、肩もろ肌脱いで、着物のすそは翻りなるほどこれが女剣劇のお色気かと思わされる。後は淡島千景さんの舞台場面が多い。ひばりさんの狐忠信の場面が少しと最後は松竹歌劇団の踊りの応援でひばりさんの歌とステップを踏む場面を多くしての幕切れである。やはりその堂々ぶりには驚いてしまう。

ひばりさんは、トップスターを歩み始めてどう進むべきかの迷いがあったのではないだろうか。『鞍馬天狗』などの演技と比べると硬い。次の段階への狭間か。仕事なら大人として受けるという甘えのない心情が感じとれるが深読みか。

(斎藤達雄、桂木洋子、望月優子、河村黎吉、坂本武 / 殺陣・堺俊二)

追記: 友人がダンサーの菅原小春さんを教えてくれた。身体の軸の移動とキレのよさが魅力的。映画『ジョーカー』のホアキン・フェニックスが他のジョーカーと違うのは、あのダンスというかステップと両腕の動きでジョーカーの誕生を表現。

追記2:『陽気な渡り鳥』の映像に、国際劇場裏の場面で『昭和浅草映画地図』には日輪寺も書かれている。この屋根がそうであろうかとはっきりとしたことがわからない。神田山日輪寺は、かつてその名を目にしていたが調べなかった。 将門の人気 かなり経ってから思いがけない出現である。

追記3:『太陽のない街』の長屋の玄関の柱に大山阿夫利神社のお札が貼ってあった。かなり時間が経った感じである。大正時代にも庶民信仰として盛んだったのでしょう。それをきちんと作り上げる美術さんの意気込みも素晴らしい。映像は様々な技術を映し込んでいる。今のような時期だからこそ、先輩たちの技術や芸、演技などを学ぶ方法を若い人は模索して聴いて置くことが必要なのではないでしょうか。こちらもそのお裾分けをちょこっと触れれると嬉しいのですが。

浅草映画『青春怪談』

映画『青春怪談』(1955年・市川崑監督)は、昭和30年にこんな感覚の映画がコメディータッチで撮られていたのかとそのモダンさに驚かされる。原作は獅子文六さんで『ちんちん電車』を書かれているので浅草の何処がでてくるのか楽しみである。脚本は和田夏十さん。芦川いづみさんの日活入社第一回作品ということである。

芦川いづみさん(新子・シンデレラを短くしたシンディが愛称)は、バレエ学校の先輩である北原三枝さんを慕う後輩役である。北原三枝さん(千春)の男の子ような話し方や性格のさっぱり感が魅力的で、魅かれるシンディの芦川いづみさんが少女のような可憐さで千春に接する。北原三枝さんの日本人離れしたスタイルが、役にピッタリである。二人はレスビアンともとれるが、その辺は勝手にそちらで自由にどうぞ、あなた達の見方に私たちは左右されないはという雰囲気が漂っているのがなかなかである。

千春にはボーイフレンドで美男子の慎一(三橋達也)がいる。慎一は女性にモテるが近づく女性はビジネスのパートナーとして考えていて、千春の男っぽさが気にいっている。千春は父親・鉄也(山村聰)だけで、慎一は母親・蝶子(轟夕起子)だけである。千春と慎一は父と母を結婚させることにするが、その前に千春と慎一が結婚することが得策となり、二人はあっさりと結婚式を決めてしまうのである。

そして、それぞれ父と母を伴い浅草で合流し、二人だけをタクシーに乗せてデートさせる。この時の浅草の待ち合わせ場所が吾妻橋のところである。千春と哲也は吾妻橋側の地下鉄浅草駅(寺院形式)から慎一と蝶子の待つ吾妻橋たもとへ。東武鉄橋がみえる。吾妻橋交差点がしっかり映り、そして対岸のビール工場、タクシーを止めて都電の走る雷門通り東武浅草駅神谷バー地下鉄ビル仁丹塔等が映る。さらに花川戸交番。『昭和浅草映画地図』(中村実男著)を参考に観ているのであるが、旧浅草駅ビルはわからない。他の映画でもこちらが確定できない物は載せていない。

都電がしっかり映っていて獅子文六さんも満足でしょう。こちらも満足です。

鉄也と蝶子が去った後に、慎一に色香で接する芸者・筆駒(嵯峨美智子)が現れる。慎一は女性の色香には全然興味がなく、千春も気にしないで用事があるからと帰ってしまう。そんな千春を見て芸者は千春が男っぽくて私も好きだわという。女でも惚れてしまうという千春のさばさば感を言い当てている。この時代に慎一と千春を登場させたのが新しい世代、『青春怪談』である。

昭和30年の浅草の映像も魅力的であるが、鉄也と蝶子が向かった先が向島百花園なのである。映画の中で向島百花園を観るのは初めてと思う。それもたっぷりなのである。鉄也は蝶子の気持ちを知っていながらなかなか結婚を承諾しないのである。しかし乙女のような蝶子の勝ちとなる。

ビジネスのパートナーであるバーのマダム・トミ子(山根寿子)は慎一をあきらめることなく嫉妬が爆発する。その事で、千春とシンディの関係が面白おかしく新聞に載ってしまう。千春は一生の仕事としているバレエの主役の座を失ってしまい、シンディが喀血。シンディは自分の思いこみはこれで全て身体から出てしまったからと千春に告げる。そのことから千春は自分のこれかたの生き方を決め、慎一に伝える。慎一は納得する。理想的なカップルである。

おネエ的アクセントもある慎一の合理主義は、ビジネスから日常生活にまで及んでいる。利益に対してもきちんと計算するが、相手の経営が悪ければ賃貸料も下げるのである。強欲ではないところがいい。

慎一と金銭的に接する宇野重吉さんやバーの内装を語る滝沢修さんの台詞の操り方が面白い。壁に耳ありのばあやの北林谷栄さん、バレエ教師の三戸部スエさん、鉄也の兄に千田是也さんなど脇役怪談である。撮影は『愛のお荷物』の峰重義さん。

驚いたことに新東宝でも同じ年に獅子文六さん原作の同じ映画を撮っていた。新東宝のも観てみたいものである。慎一(宇津井健)、母・蝶子(高峰三枝子)、千春(安西郷子)、父・鉄也(上原謙)、新子(江畑絢子)、トミ子(越路吹雪)、筆駒(築紫あけみ)

追記: アマゾンの偽メールが横行しているようですのでご注意を!

追記2: フードバンクボックスを設置してくれているスーパーがある。少し気持ちを伝えられるかなと利用させてもらっている。

追記3: これから検察庁はどう動いてくれるのでしょうか。なんだやはり現政権と癒着していたのかでは、新型コロナと闘う意欲が全て怨みと怒りに倍増です。← 有志の弁護士ら662人、安倍首相を刑事告発 「桜を見る会」を。その他、晴れない私利私欲の疑惑。

浅草映画『堂堂たる人生』『その人は遠く』

映画『堂堂たる人生』(1961年・牛原陽一監督)原作は源氏鶏太さんの同名小説。裕次郎さんの熱血サラリーマン映画である。『天下を取る』(1960年)が成功し興行高収入で、『喧嘩太郎』(1960年)と続きさらに『堂堂たる人生』へと至る。

タイトル映像がオモチャの汽車の線路レールの輪の真ん中にでんと石原裕次郎さんが座っている。その回りを汽車が走り沢山のオモチャが並んでいる。

映画始まりから浅草寺境内である。バスガイドが本堂の説明をしている。バスガイドに声をかける友人。そのガイドさんの足元にオモチャの自動車がぶつかりガイドさんは転んでしまう。怒る友人。相手は老田玩具の社員であった。気の強い友人は口数の減らないもう一人の社員の足を下駄で踏む。洋服の彼女の足元は足袋と下駄であった。その可笑しさでこの映画のコメディさが感じとれる。撮影は高村倉太郎さんである。

下駄の女性は浅草の寿司屋寿し龍の娘・いさみ(芦川いづみ)。老田玩具の社員は中部(石原裕次郎)と足を踏まれた方は紺屋(長門裕之)である。老田玩具会社の社長(宇野重吉)は寿し龍の常連客で、いさみは老田の会社で働きたいと頼みこんでいる。ところが老田の会社は老舗であるが経営破たん寸前で無理だと断られる。

そこへ現れたのが中部と連れのバー・サレムのママ(中原早苗)である。いさみは中部につんつんしながらも中部が気になる存在となる。それを見守るいさみの両親(桂小金吾、清川虹子)。

その夜、再び雷門で二人は顔を合わす。雷門が再建されたのが1960年である。ただ、本堂側の天龍像と金龍像はまだ奉納設置されていない。現在、大提灯の本堂側は風雷神門と書かれているが、映画では雷門とあった。二人がお参りする姿を本堂側から撮っていて二人の背後は闇である。高い建物の灯りやイルミネーションがない。1961年の浅草周辺の姿である。

中部と紺屋は金策のため大阪へ出張となる。その列車にいさみも現れ勝手に一緒に大阪へ。大阪で色々あるがいさみの手助けもあり金策に成功しいさみも老田玩具に採用となる。もどってから三人は観音様にお礼にいく。背後に凱旋記念塔大灯籠、遠くにちらっと地下鉄ビルの塔の先端が見える。かなり見つけられるようになった。

中部はバー・サレムのママや大阪のバー・八千代のマダム(浦里はるみ)にも気に入られているが、八千代のママのパトロン・原(東野英治郎)にも気にいられる。そのことが、その後、会社にとって良い方向へと動かすのである。大阪では大阪城がばっちりである。

臨時総会の前、中部、いさみ、紺屋の三人が隅田公園に立ち会社のことを相談する。言問橋、対岸に松屋地下鉄ビル東武鉄橋がみえる。老田社長も中部もとにかく玩具が大好きで、中部は新しい煙を吐くアメリカ西部を走る汽車を発明する。煙は輪も描く。それがアメリカ人のオモチャ王に認められ発注をうけ老田玩具は持ちこたえることとなる。

ライバル社の息子が藤村有弘さんで、得意な国際語を次々と披露するが、それにきちんとゆるいコメディさで中部の裕次郎さんは答えている。コンビとして長門裕之さんが達者なひょうきんぶりで、芦川いづみさんの機転のきく気の強さも好演。ドタバタ感を押さえ裕次郎さんの茶目っ気な表情を上手く捉えている。

中原早苗さんはバーのマダムであるが衣裳がシックな色使いで、芦川いづみさんのスカイブルーのカーディガンや異国人変装の衣裳の色などが際立ち画面のアクセントになり、芦川いづみさんを印象づけている。明朗痛快なサラリーマンものである。

煙を出して走る汽車の玩具はあるのだろうかと検索したら、水が水蒸気の煙となって走る汽車があった。日本の会社である。このほうが安全そうで可愛らしい。それにしても、映画の方は小道具さんがつくったのであろうか。どんな仕掛けだったのであろう。存在感のある玩具であった。そのあと、例のトリオは外国出張で羽田空港から飛び立つのである。老舗の玩具会社もグローバル時代の幕開けである。

映画『その人は遠く』(1963年・堀池清監督)は、浅草は松屋屋上遊園地のスカイクルーザーに乗っている場面である。

京都に住む遠縁の奈津子(芦川いづみ)が父の死により一人になる。量介(山内賢)の母は息子と二人ぐらしなので、奈津子を東京に呼び同居することを決める。大学受験勉強中の量介は気が進まなかったが、彼女と会って恋い心を抱いてしまう。量介の受験勉強も危ぶまれたがなんとか試験が終わり解放され、奈津子を東京観光に連れ出す。その一つが浅草の松屋屋上のスカイクルーザーである。浅草寺などが下に見える。

奈津子は量介の気持ちをそれとなく感じつつ、どこかで心の支えとしつつ量介と一緒にいる時間を大切にする。しかし、奈津子は大阪にお嫁にいってしまう。その結婚も失敗で東京に戻って来る。量介は一人暮らしを始めており、恵以子(和泉雅子)という家庭に事情のある友人に手を貸していた。

量介は奈津子に対する気持ちは変わらないが、奈津子は誰にも頼らないで生きて行くため九州の教師の道を選ぶ。恵以子も自立することを決め、それぞれが、新しい道を目指すことにする。年上の人に憧れる微妙な年齢の淡い恋物語である。

俳優としてもお姉さん的存在である芦川いづみさんが山内賢さんと和泉雅子さんを相手に年上の女性の危うさと強さを演じられた作品である。1963年という日活映画の新旧の時代の流れの重なりを感じさせる映画でもある。

追記: 検察庁法改正への芸能人、映画人、演劇人等の多くの抗議の声は、人としてセンスよく生きられていることの表れである。常に人の本質を探りつつ表現される仕事でもある。

追記2: 『撮影監督 高村倉太郎』(高村倉太郎著)届く。インタビューに淡々と答えられていて頭の中の映像と楽しい葛藤。 

追記3: 友人の息子さんが3月に発熱し例によってやっと診察してもらえた。結果はインフルエンザ。秋から冬のインフルエンザと新型コロナのダブル感染の危惧。それまでの期間の今、緊急事態宣言解除とダブルの対策お願いいたします。その時になって時間がなかったなどとは言わないでくださいね。何をしているのかわからない政治家様たち。(スマフォを持った姉がメールで「張りぼての政治家」と。見事な表現力に負けた。)

追記4: 千葉県船橋市にある太宰治さんが逗留した老舗割烹旅館「玉川」が閉館だそうである。ランチだけのプランの時があり、それを待って居たら手の届かないことになってしまった。 

浅草映画『やくざ先生』

浅草関連映画DVDで探しても無かったのであきらめていたら、その後DVD化されていることを知る。先に紹介した『三羽烏三代記』(1959年・昭和34年)の後の映画、1960年・昭和35年の『やくざ先生』、1961年・昭和36年の『堂堂たる人生』もDVD化されていたのである。

やくざ先生』(松尾昭典監督)は石原裕次郎さん主演で、かつて戦災孤児で自分の世話になった更生施設「愛隣学園」に少年補導員としてやってくる。どうやら学園を出てからはやくざとなっていたようで、今はきちんと社会復帰したようであるが、頭にくると手が出てしまう。

最初は自分も実体験者だからと少年たちの気持ちを分かるつもりであった。しかし、少年たちは、自分の体験談を笠に着る先生としてかえって反発するのである。その度に辞表をだすが、圓長から辞表を印刷しておいたほうがいいのではと言われて反省して職務にもどる。

園長・宇野重吉さん、養護教員・北原三枝さん、職員・北林谷栄さん、台東警察署の刑事・芦田伸介さん等が出演。そして、「愛隣学園」の建物は人家から離れたところに建って居るのであるが、美術は木村威夫さんである。

観始めた時、これは新田先生(石原裕次郎)が生徒を浅草に連れていくのだなとすぐに判った。当りである。反抗するリーダー的少年、スリの少年、富士山に登るのが夢で園を脱走する少年、女優を自分の姉と思い込む少年、ハーフの少年、など様々である。そして、新田は外出許可を取り3人の少年を連れて浅草へ行くのである。

東武電車が鉄橋を渡り、巨大な松屋地下鉄ビルの塔がみえる。さえぎる建物がなく隅田川をはさんでよくわかる。当時ならではの風景である。4人が浅草を眺めおろすのは新世界の屋上からである。松屋でなく新世界というのは新世界のほうがもっと庶民的だったのであろう。やくざ先生らしい選び方かもしれない。新世界の屋上が出てくるのはこの映画だけではないだろうか。(プラネタリウムもある。)そこから望遠鏡で覗く浅草寺花やしきなどの映像が映る。ここで学園で持たされた麦飯の弁当を食べようとするが、少年たちにもっと美味しいものが食べたいといわれ、新田は自分の時計を質に入れる。

予算は一人200円で800円まで。店先に展示してあるメニューから200円のウナギを食べる。勘定になると1200円と言われる。200円のは売り切れたので食べたのは300円なのだと言われる。観ている方も、えっ~!である。(マスク注文したら多数の不良品が届き検品費用も税金から、えっ~!である。)

新田はそのことにも腹が立ったが、一緒にいたハーフの少年を侮辱されたことで完全に切れてしまった。その金銭的後始末を台東警察署刑事に頼み、少年たちを厩橋前からバスで先に学園に帰す。厩橋前バス停も珍しい。引率者がいなくて少年たちはきちんと愛隣学園に帰るであろうか。新田の心配は尽きない。

新田と少年たちとの悪戦苦闘はその後も続き何んとか通じ合えることができたかなと思った時には、愛隣学園にとっての新たな試練が訪れる。そしていつの時代も心の通じない相手の厚生省に嘆願に行った園長は、車に轢かれてしまう。

ついに愛隣学園の少年、職員は、それぞれの道へと旅立つこととなる。国家試験の資格のない新田は雇ってもらえなかった。来年19歳で社会に出なければならない少年たちは不安を口にする。正義感の強い新田はきちんと少年たちに応える。お前たちを受け入れられるように俺もがんばると。俺の所に来い。期待を裏切らない裕次郎さんのやくざ先生である。

この撮影中に石原裕次郎さんと北原三枝さんは婚約発表をしたということで、お二人には記念すべき作品でもあったわけである。映画での二人の関係は、いずれはということであろう。

原作は西村滋さんの『やくざ先生』で、西村滋さん(1925年~2016年)は、6歳の時母を、9歳の時父を亡くし孤児となり、放浪生活を送り少年養護施設の補導員も経験されている。著作4冊が映画化されていた。『やくざ先生』(原作『やくざ先生』)、『不良少年』(原作『笑わない青春の記』)、『悲しみはいつも母に』(原作『ある母の死より」)、『エクレール お菓子放浪記』(原作『お菓子放浪記』)

追記: 日本の三権分立は、新型コロナで国民が闘っている時に、当時の安倍政権が破壊しましたと歴史に残すつもりなのであろうか。

浅草映画『三羽烏三代記』

久方ぶりの浅草映画である。人間関係やストーリーを理解しつつ、浅草を見つけていくのは楽しい鑑賞である。『三羽烏三代記』(1959年・昭和34年・番匠義彰監督)も『昭和浅草映画地図』(中村実男著)によると16か所も浅草風景が映像に出てくるということなので力がはいる。

三羽烏三代とは、初代が、上原謙さん、佐野周二さん、佐分利信さん。二代目が、佐田啓二さん、高橋貞二さん、大木実さん(鶴田浩二さんが抜けて大木実さんに代わる)。三代目が、小坂一也さん、三上真一さん、山本豊三さんということである。

初代にからむ女優が、水戸光子、三宅邦子さん、高峰三枝子さん。二代目には、岡田茉莉子さん、小山明子さん、高千穂ひづるさん。三代目には、九条英子さん、牧紀子さん、桑野みゆきさん。その他、津川雅彦さん、十朱幸代さん、宮口清二さん、渡辺文雄さん、永井達雄さん、浦辺粂子さんらオールスターの出演である。それもそのはず、松竹3千本記念作品とある。

出てくる主な家としては、浅草の老舗のせんべい屋さん(佐野周二、三宅邦子、小山明子、下宿人・高橋貞二)、お茶漬け屋(高峰三枝子、牧紀子)、高見家(大木実、高千穂ひづる、下宿人・小坂一也)で、お茶漬け屋と高見家には特に人が集まる。そしておせんべい屋には店員として雇われた桑野みゆきさんが実は教祖様の孫ということで、探偵の高橋貞二さん、新聞記者の佐田啓二さんがからみ、三代目たちは、同年代の遊び仲間としてにぎやかに楽しみ、町内会の飲み食いに会費を使う役員を懲らしめる。

夫婦関係、恋人関係、友人関係が交差して最後はそれぞれ落ち着くところにといった展開である。作品として軽い娯楽映画というところであるが、これだけの登場人物を人間関係を簡潔に上手く動かしている。

映画の出だしの高橋貞二さんが国際劇場で偵察しているのは、清川虹子さんと若い男性。舞台ではSKDのラインダンスが。舞台に見とれているわけにはいかない。清川虹子さんが連れの若い男性と劇場を後にする。国際通りから観音堂の前に移動。清川虹子さんは夫にやきもちを焼かせるために息子を若い恋人にしてのデート戦略であった。そこへ夫のトニー谷さんが出現。探偵の高橋貞二さんはな~んだとなる。

昭和34年であるから観音堂前もようすが違う。人は少なく大きな灯籠があって、ベンチがある。恋人の小山明子さんが登場しておせんべい談義。座るのが石橋を背にしたベンチ。宝蔵門(仁王門)もまだない。再建されたのは1964年(昭和39年)である。そのため征清軍凱旋記念塔がある。

今回、石橋について調べたら、現存する都内最古の石橋だそうで、元和4年(1618年)浅草に東照宮(現存しない)が造営された際、参詣のための神橋として造られたものだった。寄進者は徳川家康の娘の振姫(ふりひめ)の婿・紀伊国若山藩主浅野長晟(あさのながあきら)とある。

浅草に東照宮があったのだ。三峰社はありました。埼玉の秩父まで参詣に行くのはたいへんだったからでしょう。さて、浅野家となるとやはり気になります。浅野長晟はその後、安芸広島藩主になり浅野家宗家。赤穂浅野家は別家で、赤穂事件のとき浅野内匠頭(長矩)の弟・浅野大学(長広)はこの広島浅野宗家に預けられたのである。浅草寺の石橋が浅野家につながるとは面白い発見でした。

『勘九郎ぶらり旅~因果はめぐる歌舞伎の不思議~』の本に、大河ドラマ『元禄繚乱』で赤穂城を去る場面は実際に赤穂で撮ったと言う。こちらも行った場所なのでさっそくDVDをレンタルしてその周辺と討ち入りあたりを観た。当時内蔵助崩し過ぎと観たいと思わなかったのであるが、勘九郎(勘三郎)さんの大石内蔵助なかなか良かった。なるほどであった。

さて宝蔵門の本堂側に大わらじが奉納されているが、大わらじは魔除けなのだそうである。どうしてかなとおもったら、ここにはこんな大きなわらじを履くおおきなものがいるというアピールなのだそうで、高知県では大きなわらじの半分まで作ったものをかかげるところもあるようだ。半分というのが面白い。何かいわれがあるのか。日本では履物をぬいで家の中に入るが、衛生面では上首尾のような気がする。

映画のほうにもどると、当時の隅田公園が『青春サイクリング』の歌にあう風景だった。三代目が三人で小坂一也さんの歌を歌いながらサイクリングしているのである。サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー。

「首都高の建設で破壊される以前の隅田公園を撮った最上の映像」「川沿いの遊歩道、歩道、車道、芝生帯など、隅田公園の様子がよくわかる映像である。ただし、三列ある芝生帯の桜はまだ若木。植え替えられて間もない。」(『昭和浅草映画地図』)隅田川沿いに松屋や東武鉄橋などのお馴染みの風景画みえる。映像で見ていても気分が清々しくなる風景である。

1959年(昭和34年)代に活躍する松竹の俳優さんと浅草の風景を確かめられる映画でもあった。

追記: 『仮設の映画館』でドキュメンタリー映画『精神0』を観たいのであるが行きつけないのである。インターネットで行きつくというのも身体を動かすよりも困難な場合がある。新しい仮設の生活も大変である。

追記2: 検察庁法改正に抗議します。 ← 与党改正案に対し

追記3: 想田和弘監督のドキュメンタリー映画『選挙』を観ました。この映画から河井議員夫婦が選挙戦にどれだけお金をつぎ込んだか想像ができました。法定以上の金額を払ってでもウグイス嬢を確保したいかなど。観察映画手法面白い。

追記4: 「黒川氏の定年延長議事録」で検索しましたら「無し」と。関心のある方検索してみてください。こちらは、届くはずの10万円をあてにして浅草関連映画の購入したDVDの到着を楽しみに待って巣ごもりしているのですが、待ちくたびれて検索してしまった。頭痛がしてきます。

浅草映画・『若者たち』

「君の行く道は~はてしなく遠い~」歌は知っていても、テレビドラマは見ていないし、映画も観ていなっかた。映画『若者たち』(1968年)のDVDに特典映像がついていて、この映画に関する情報を得ることができた。DVD化されたのが2006年である。森川時久監督、脚本家の山内久さん、俳優の山本圭さんの三人が対談されている。

映画『若者たち』は自主上映だったのである。映画は出来上がったが、配給してくれるところがなく、松竹の城戸四郎さんが買っても良いと言われたのだが、製作費よりも安く、損をするのはいやなので自主上映に踏み切った。城戸四郎さんとなると、どうも映画『キネマの天地』の起田所長の白鷗さんを思い出してしまう。「購入してもいいが製作費より安いよ。」といいそうである。

名古屋が初上映で、大成功であった。全国をまわり最後が有楽町のよみうりホールで収益を上げ次の映画の資金となった。その頃、もう一本自主上映していた映画があって『ドレイ工場』(監督・山本薩夫・武田敦監督)とのことである。

森川時久監督はテレビの演出家で、映画監督初デビューでもあった。カメラの宮島義勇さんに映画の撮り方の一から教わり、この映画はテレビ出身監督の映画という事もあってか、当時きちんとした批評がなかったようである。映画人のテレビかという意識があったようだ。映画がDVDによってテレビのフレームに帰ってきたというおもいがあると森川時久監督は言われているが、DVD大好きである。DVDによってどれだけの映画を観ることができているか。

『若者たち』もDVD化されていなければ観れなかったのであるから。何となく風のたよりに聞いていた、羽仁進監督の『不良少年』も観ることができた。そういう意味では、浅草映画に感謝である。(もちろん、中村実男著『昭和浅草映画地図』にもである。)

山本圭さんは、宮島義勇さんに映画はカメラのフレームの中で演技してくれと言われたそうであるが、これが難しかったそうである。ヒッチコック映画のDVDも解説付きがあって、その中である役者さんが、端にいて驚く場面で驚いて後ろに下がってしまい監督に消えるなと怒られるのだそうであるがどうしてもできなくて、もういいといって許してもらったというインタビューを思い出した。

とにかく資金難で、ロケ現場では、昼時になると弁当が出せないためチーフ助監督が姿を消すのだそうである。ある時は、仕方なく焼き芋屋さんを田中邦衛さん等と買い切って配ったりしたそうで、そうした苦労話は数々あるようである。それと、1960年代は生放送に近いテレビの原点でリハーサルを何回もして寝不足のまま撮影現場に移動したそうで、とにかくリハーサルが長かったようである。

森川時久監督は戦争孤児のことをやりたくて一度失敗してずーっとやり残していたがやっと、両親のいない5人が生きていくということで実現させた。時代は高度成長期で、そこで置いて行かれる人々の議論劇としている。

長男・太郎(田中邦衛)は、三男・三郎(山本圭)と四男・末吉(松山省二)を大学に行かせることにし、さらにりっぱな家を建てるのが目標である。三男は大学に進んだが世の中の現実から目を離して学業だけに専念することはできない。四男は、兄たちに負担をかけつつ追い詰められるような気持ちで大学を目指すのがいやになってくる。長女・オリエ(佐藤オリエ)は一人で兄弟たちのために家事をがんばり、兄弟たちの喧嘩の後始末などごめんだと友人のところに逃げてしまう。次男・二郎(橋本功)は、トラックの運転手で、事故ってしまうが、これまた一本気で身近な人の苦労がほっとけない。

長男の家父長的な決め方に三男は理論でぶつかっていく。長男はその家父長さを職場でも発揮する。事故のため怪我をした下請けの労働者に対する扱いが許せなくて本社に掛け合いクビになってしまう。三男は、長男に対し兄貴だって世の中の矛盾と対峙しているのにそれを感情論だけでぶつかっているとまたまた激論の喧嘩となる。それぞれが矛盾を感じつつそれぞれのやり方で世の中で闘っていくエネルギーとぶつかれる仲間のあった時代のドラマでもある。

そしてこれだけぶつかりあえる家族がいた時代ともいえる。近頃は、手出しの出来ない弱い子供を一方的に攻撃してしまう事件が多すぎる。あの時代から見ると行先がこんな時代になっているのかと落胆してしまうであろう。あの兄弟の喧嘩の方が意味があり対等のエネルギーがあった。言い合える場所と均衡があったのである。

長男は上司の妹と結婚するつもりであった。彼女はクビになった彼の就職の世話もしてくれた。しかし、彼女は長男との結婚を断るのである。その場面が隅田川の向島側で堤防がカミソリ堤防といわれるコンクリートの高い壁になっていて台に上がってやっと隅田川がみえるという情景である。吾妻橋、東武鉄道の鉄橋、浅草側には松屋や神谷バーなどが並んでみえる。

覆い隠すことのない人間性をだしている映画の内容もよいが、この隅田川の堤防を映して置いてくれたことも貴重な映像である。今の隅田川テラスからは想像できない情景である。伊勢湾台風の教訓から整備されたのであるが、このカミソリ堤防で水辺と人間が切り離される結果となり、再度整備される。ゆるやかな傾斜がある堤防と遊歩道を備えた親水テラスとなったのである。

この隅田川テラスを調べてみるとかなりの距離つながっていたのである。勝鬨橋から千住大橋までつながっている。というわけで歩いて見た。なかなか面白い散策であった。早めに実行しておいてよかった。この暑さでは水辺といえども体力的にゆとりがなかったであろう。

「空に また 陽が昇るとき 若者は また 歩きはじめる」テレビドラマと映画の主題歌は一緒である。(作詞・藤田敏雄、作曲・佐藤勝) 佐藤勝さんは映画音楽では外せないほど多くの映画音楽を担当をされている。

出演・栗原小巻、小川真由美、石立鉄男、井川比佐志、大滝秀治、江守徹

昨夜ここまで記入し、読み返して公開しようと思ったら、今朝の事件である。痛ましすぎる。暴力は最低である。悪である。それも、何で無抵抗の人を攻撃するのか。卑怯すぎる。時代を遡って今という時代を思い起こす時間が必要なのかもしれないが、時代の波は速度を増すばかりである。事件に会われた方々のこれからの時間・・・

浅草映画『抱かれた花嫁』『喜劇 駅前女将』『キネマの天地』(2)

映画『キネマの天地』は、松竹が蒲田撮影所から大船撮影所に移る前の1934年(昭和9年)頃の松竹蒲田撮影所の様子、新しい映画スターが誕生していく過程、世の中の様子などをみることができる。時代的には贈賄事件や東北の大凶作、大火、自然災害などがあり、庶民は暗い時代に押し込められていく時代でもある。そんな時代、まだ幼く若い労働者は手にお金を握りしめ活動写真小屋へいく。握りしめていたお金は湿っていた。

浅草の長屋に住み、浅草六区の活動写真館・帝国館で休憩時間にパンや飲み物などを客席で売る娘・田中小春(有森也実)が、小倉金之助監督(すまけい)の目に留まり撮影所に来るように声を掛けられる。撮影所に行ったところ、病室で危篤の父と娘が再会する場面で、監督がどうして看護婦がいないのだというので、急遽、小春は看護婦にさせられる。立ち位置も分からず、女優(美保純)のじゃまとなり、どうして泣かないのだといわれ大泣きして怒られ、女優はこりごりだと小春は思う。

そんな小春の住む長屋に、助監督の島田(中井貴一)が謝りにきて小春は再び映画女優を目指し、大部屋からのスタートであった。スタジオ外の守衛さん(桜井センリ)から用務員のおじさん(笠智衆)に始まって映画つくりに係わっている熱い映画人が映される。

役の上で実際の監督や映画俳優のモデルとする人物も現れ、わかる人もいる。小津安二郎監督がモデルの緒方監督(岸部一徳)はすぐわかる。あと逃避行した岡田嘉子さん(松坂慶子)と杉本良吉さん(津嘉山正種)も判りやすい。実名ではなくあくまでモデルとして名前は変えてある。田中小春は田中絹代さんがモデルというが、こちらはそうなのかと思う程度で田中絹代さんを意識しなかった。とにかく大勢の俳優さんが出演している。

小春の父・喜八(渥美清)は旅回りの役者だった人で、演技に関してはちょっとうるさいのである。小春がうなぎ屋の女中の役で台詞を一言いうことになる。喜八は、まずどんなうなぎ屋かで女中の演じ方もちがうと解説する。うなぎ屋の格によって女中もそれなりの立ち居振る舞いが違ってきて、庶民的なところであればこうなると例の寅さんの語りが始まるのである。

それを小春と一緒に喜八の話しを聴く隣の奥さん。隣の一家(倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆)は寅さんのさくらの家族である。『男はつらいよ』のメンバー(下条正巳、三崎千恵子、佐藤蛾次郎、関敬六)があちらこちらに登場する。津嘉山正種さんは、『男はつらいよ』のオープニングシーンの常連らしい。どんな俳優さんが受け持っているのかな、見た事があるようなと思っていたので今度注目して観ることにする。脚本は井上ひさしさん、山田太一さん、朝間義隆さん、山田洋次さんである。

面白いのは幸四郎さん時代の白鷗さんの起田所長である。城戸四郎さんがモデルであるが、実際の城戸四郎さんと似ているのかどうかはわからないが所長として監督たちを指導するところが面白い。一筋縄ではいかない映画監督たちである。時代的に傾向映画をつくる監督もいるし、政府からの引き締めもきつくなってきている。映画会社としては客に入ってもらわなくてはやっていけないしで、監督たちを刺激させないように上手く話をもっていくのである。その懐柔作戦のテンポがなんともいいのである。

次の映画『浮草』の主役予定の女優が逃避行をしてしまいその代役が決まらない。小倉監督は小春を押す。緒方監督もいけるかもしれないと口添えする。起田所長は小雪を主役に抜擢するかどうか迷う。所長は用務員に小春はどうかねと尋ねる。用務員は好い女優になると思いますと答えるのである。こういうところも、何がきっかけでスターになっていくかわからない映画界がみえてくる。シンデレラムービーの一つでもある。脇からの攻めも計算されている。

助監督の島田も映画について色々悩むが、労働運動をしている大学時代の先輩(平田満)からの言葉と留置所での経験から、映画に賭けてみようと思うのである。撮影所では仲間たちや小春が喜んで迎えてくれる。そして、『浮草』の脚本のクレジットに島田の名が映される。そして、田中小春の名も。

喜八の家に活動好きの屑屋(笹野高史)が入り込んで、蒲田の女優を次々と上げていく。喜八は娘の名前が聞きたくてお酒をすすめるといった場面もある。そんな小春の出世を願う喜八は、幸せなことに小春の主演映画を観ながら亡くなるのである。その時小春は「蒲田まつり」で、高らかに「蒲田行進曲」を歌っていた。

出番が少なくても多くの俳優さんが力量の見せ所となっている。浅草六区の映画館前を通る藤山寛美さんなども、映像に現れるとどうされるのかと観る者を惹きつける。取り上げればきりがないので省くが、個性的な役柄をしっかり役に合わせて印象づけている俳優さんが多い映画であり、映画が好きな映画人集合の映画である。

撮影現場を見せる映画では『ザ・マジックアワー』(三谷幸喜監督)も奇想天外な発想で笑わせてくれる。撮影していないのに撮影していると信じ込ませて俳優に演技させるのである。俳優は信じているので自分なりの工夫で成りきって怖い場所で演じきるのである。

この映画、俳優さんや役者さんが、ちらっと現れて消える場面がある。猿之助さんが亀治郎時代にこの映画にちらっとでている。撮影所の食堂で落ち目の俳優の佐藤浩市さんとマネジャーの小日向文世さんが「亀じゃないか、おーい亀」と呼ぶのであるが、亀さん、会いたくない人に会ったとばかりに映像の左側に少し映り、さーっと消えるのである。DVDだったので何度も戻して観ては笑ってしまった。嫌そうな表情をしていて、歩き方もおもしろかった。それも一瞬というのがいい。

今のはもしかして、というの愉しみもあり油断できないのである。

フランソワ・トリュフォー監督の『アメリカの夜』も撮影現場の人間関係なども描いていて、これまた愉快な映画である。最初から撮影現場とは知らずに見入っていて突然、撮影中なのかと知らされたり、美しい映画の場面が、突然セットが現れてあっけにとられたりするのである。

横道にそれたついでに、山田洋次監督作品に歌舞伎役者さんが登場する映画や舞台を紹介しておきます。全て観ることができた。

『男はつらいよ・私の寅さん』(五代目河原崎國太郎)。『男はつらいよ・寅次郎あじさいの恋』(十四代目片岡仁左衛門)。『キネマの天地』(二代目松本白鴎)。『ダウンタウン・ヒーローズ』(七代目中村芝翫、八代目中村芝翫)。『学校Ⅱ』(中村富十郎)。『十五才 学校Ⅳ』(中村梅雀)。『たそがれ清兵衛』(中村梅雀、嵐圭史、中村錦之助)、『武士の一分』(坂東三津五郎)。『母べえ』(坂東三津五郎、中村梅之助)。シネマ歌舞伎『人情噺文七元結』。シネマ歌舞伎『連獅子』。舞台『さらば八月の大地』(中村勘九郎)。『小さいおうち』(片岡孝太郎、市川福太郎)。『家族はつらいよ』(中村鷹之資)。

京マチ子映画祭・浅草映画・『浅草の夜』『踊子』

今、京マチ子さんの映画祭は大阪(シネ・ヌーヴォ)で開催されているようである。OSK出身でもありその身体的表現は古風な日本女性の規格からはみ出していて魅力的である。踊りも和洋どちらも画面からあふれ出る<生>がある。男を翻弄する役もパターンがない。はじけるような<生>から能面のような表情へと変化したり飛んでいて、こんなに愉しませてくれる女優さんとは思わなかった。

黒蜥蜴』などは、フライヤーで「京マチ子のグラマラスな肢体も必見。」とある。ミュージカル調で鞭をもって京マチ子さんが踊る場面がありそれを強調しているのであろうが、もっと見どころがある。明智小五郎の裏をかき、着物姿の婦人から、背広姿の若い男性になってホテルから逃走するのである。そのときの動きが、OSKの男役のしどころで、軽やかでキュートで、映像でこんな素敵な歌劇団風の動きを観た事がない。これを観れただけで内容はともかく京マチ子さんの「黒蜥蜴」は満足であった。

映画『浅草の夜』(1954年)、『踊子』(1957年)ともに、京マチ子さんは、浅草の劇場でのレビューの踊子という場面が出てくるが、人物設定は全く違っている。『浅草の夜』では、若尾文子さんの姉の役で、『踊子』では、淡島千景さんの妹役である。自ずと立場が違うので役柄も違って来る。浅草の多くの風景が楽しめる。

映画『浅草の夜』は、原作・川口松太郎/脚本・監督・島耕二監督で、情の絡んだ娯楽映画になっている。踊子の節子(京マチ子)には、おでん屋で働く妹・波江(若尾文子)がいて、節子は妹の親代わりで頑張って生きてきた。ところが妹の恋人が画家・都築(根上淳)と知って恋人との付き合いを禁じる。節子の恋人・山浦(鶴田浩二)も節子のその態度が腑に落ちない。そのわけは・・・。

山浦は劇場の脚本家で、そこの古参の演出家が首になる。それに加担しているのが劇場のボス(志村喬)でその息子(高松英郎)は波江に惚れている。これだけの材料がそろえば内容的は何となくわかる。画家の大家に滝澤修さん、おでん屋のおかみに浦辺粂子さんと豪華キャストである。それだけに、今観れば内容的には薄いが、外国で日本映画が認められてきた時代、浅草モノの定番娯楽映画として島耕二監督は腐心している。山浦を好きでありながら自分の主張は変えない節子。そんな性格を知って姉妹のために一肌脱ぐ山浦。それぞれの役者の役どころを何んとかおさめようとしているのがわかる映画で、そういうところが面白い。

島耕二監督は、この映画の前『浅草物語』(1963年)を撮っている。観たいがいつ出会えるであろうか。

映画『踊子』は、原作・永井荷風/監督・清水宏/脚本・田中澄江である。京マチ子さん、『浅草の夜』と違って自由奔放である。というか、感情のおもむくままにこちらの方が自分にとって得であり好みであるといった生き方である。が、それにしがみつくことなく、深く考えることがない。高峰秀子さんの『カルメン純情す』は同じ踊子でも踊りは芸術だと思って嘲笑されながらも自分で考えて一生懸命であるが、『踊子』の千代美(京マチ子)は、全くそんな考えなどなく踊子として華があるがそんなことに執着しないのである。面白いキャラクターである。京マチ子さんならではの役ともいえる。

姉の花枝(淡島千景)さんが浅草の踊子で、一座の楽士で恋人の山野(船越英二)と同棲している。経済的に苦しいから狭いアパート住まいであるが、そこへ妹の千代美が転がり込むのである。踊子になった千代美の京マチ子さんは屈託なく画面いっぱいにその踊りを披露し、淡島さんの踊りが上品にみえるのが面白い。観ていてもこれは人気をとると解るが、楽しくてしょうがないと踊っていながらその踊りもさっさと捨てるあたりが、これまた千代美ならではの生き方なのである。

捉えどころがなく、子供までできてしまう。それが誰の子なのか。花枝は、自分はもう子供が産めないとあきらめ、千代美の子供を育てることにする。展開が千代美の行動によって動いて周囲は翻弄されるが、姉の花枝がしっかりしていて、子供がその渦に巻き込まれることはない。そこが、この映画の爽やかなところかもしれない。映画の京マチ子さんの洋の踊りとしてはこれが一番見事かもしれない。

この二つの映画だけでも、その役柄によって対称的な役を愉しませてくれる手腕をみせてくれる。台詞のトーンや間も変化に飛んでいて、聴かせどころも押さえられている。

映画『夜の素顔』などでは、意識的に男を誘い込み日舞の家元の地位を上り詰めていくが、さらに、子供のころから自分を食い物にしてきた母親の浪花千栄子さんとの争うシーンなどは、『有楽町で逢いましょう』のあのお二人がと思わせる場面で、役者さん同士なにが飛び出すかわからない期待感も持たせてくれる。

『美と破戒の女優 京マチ子』(北村匡平著)が手もとにあるが、まだ開かないでいる。もう少し時間がたって京マチ子さんの魅力の強烈さが薄れてから読ませてもらおうと思う。

追記1 : 永井荷風さんの小説『踊子』を読んだ。映画では、山野と花枝は、千代美の産んだ子・雪子を連れて浅草から山野の兄のいる田舎で保育園の手伝いをして静かな生活に入る。雪子は、保育園児と共に山野の弾くオルガンで楽しく踊っている。それを花枝と一緒にそっとみる千代美であった。

原作では、雪子は風邪から脳膜炎を患い亡くなってしまう。雪子の死が、山野と花枝を浅草の地を立ち去らせる動機としている。

小説では、山野は<わたし>として語っている。そして、浅草で十年間一日も休まずに舞台のごみをかぶりながらジャズをひいていられた<平凡な感傷>に触れている。

舞台ざらいの夜明けの浅草を一座の芸人達と話しながらの帰り道。「いつも初めてのように物珍しく感じて、花枝や千代美とわたしの間のみならず、一緒に歩いて行く人達の身の上までを小説的に想像したくなるのです。何んという馬鹿馬鹿しい空想でしょう。何んという卑俗な、平凡な感傷でしょう。

このわたしの<平凡な感傷>は映画では表しえない浅草への感傷でもあろう。

追記2 : 黒澤明監督の『野良犬』を観なおした。拳銃をとられた若き刑事がそれを必死で探すのであるが、<感傷>もテーマとなっていた。犯人と戦後すぐの日本の状況。犯人をかばう浅草の若い踊子と、自分と同じように復員してすぐリュックを盗まれる自分と同じ目に遭った犯人への若き刑事の感傷。それを自戒させるベテラン刑事。やはり説得力のある映像である。

浅草映画・『ひとりぼっちの二人だが』

久しぶりの浅草映画である。近頃、出会えるのに時間がかかる浅草映画となっている。観たり観ないようだったりが『ひとりぼっちの二人だが』である。観ていた。だが、浅草の場面は飛んでいた。観た頃は浅草にそれほど興味が無かったからである。江東区古石場文化センターの「江東区シネマプラザ」で月イチの映画鑑賞会を開催しており、『ふたりぼっちの二人だが』を上映される情報を得た。

 

江東区古石場文化センターには、小津安二郎監督の「小津安二郎紹介展示コーナー」もあり訪れるのは久しぶりである。小津監督の喜八モノと言われる作品には小津監督が子供時代に深川で目にした庶民の姿を作品に挿入されていた。

 

映画『東京画』(1985年)を観たばかりだったので、小津監督作品の解説などもさらに近く感じられた。映画『東京画』は、ドイツの映画監督・ヴィム・ヴェンダースが小津監督の鎌倉のお墓を訪れ、映画『東京物語』(1953年)に出てくる風景を30年後の1985年(昭和60年)に東京と尾道をたずね、東京の風景は様変わりである。笠智衆さんや小津組の名カメラマン・厚田雄春さんにインタビューしているが、厚田雄春さんが、小津監督の死後他の映画に参加したが、どうしても小津監督の撮影法が忘れられず、小津映画に殉死するかたちで映画を辞めることになったと言われたのが強く印象に残った。

 

ひとりぼっちの二人だが』(1962年)は、吉永小百合さん(田島ユキ)が踊りの会で踊る場面から始まる。ユキは芸者置屋の叔母に育てられ水揚げされることが決まったいる。ユキはそれが嫌で逃げるのである。浅草寺でユキはつかまりそうになるが同級生の浜田光夫さん(杉山三郎)と出会い助けられる。そこまでくるとこの映画観ていると気が付いた。とにかく吉永小百合さん浅草を走り回る。1962年(昭和37年)頃の浅草が映される。チンピラの三郎は兄貴分の命令で柳橋一家からユキをかくまうことになる。追われて飛び込んだのがストリップ劇場である。そこで、もう一人の同級生・坂本九さん(浅草九太)に逢うことになる。

 

九太は、コメディアンを目指していた。浅草で育ち小中同級生の三人はそれぞれの道を歩いての再会であった。ところが、三郎の兄貴分がユキをかくまうことが自分の所属する組にとってまずく自分の身も危ぶないこととなる。三郎は兄貴分からユキを連れてくるように言われる。ユキに心を寄せ始めた三郎はそれに逆らいリンチを受けつつもユキを助けることになる。もう一人ユキの兄の高橋英樹さん(田島英二)が登場する。ユキの本当の兄ではないが叔母のところを飛び出し行方不明になっていたが、今はボクシングの新人戦を目指し、ユキの倖せのために助力するのである。三郎が嫌な命令には従うなと仲間たちに訴え、最後はハッピーエンドとなる。

 

先に映画『上を向いて歩こう』(1962年)があり、舛田利雄監督をはじめ出演者も同じである。坂本九さんの主題歌『ひとりぼっちの二人』も作詞・永六輔さん、作曲・中村八大さんである。坂本九さんのキャラが光っていて、九ちゃんの音楽性とコメディぶりが見ものでもある。

 

とにかく浅草たっぷりの映画である。逃げる立場であるから吉永小百合さん中心に走る、走るで、観ている方も浅草の風景を早回しで観ているような感じであるが、花やしきの人口衛星塔のゴンドラが映像の中では主役級であった。この映画の浅草については『昭和浅草映画地図』(中村実男著)で詳しく書かれているので読んでから観ると映画の中の浅草の風景への集中度がちがうであろう。

 

吉永小百合さんの芸者役では『夢千代日記』のどこか儚さの漂う夢千代さんが代表的であるが、映画『長崎ぶらぶら節』の愛八さんもいい。三味線を芸者の刀にしているようなきりっとした名妓ぶりである。大衆演劇で『ぶらぶら節』を踊るのを観たが着流しであった。悪くはなかったが映画の関係上芸者姿でのが観たかった。

 

先頃、松竹映画で吉永さんののデビュー作映画『朝を呼ぶ口笛』(1959年・生駒千里監督)を観た。『ひとりぼっちの二人だが』は高校に行けない若者の屈折した部分も描かれているが、『朝を呼ぶ口笛』は、新聞配達をしつつ高校受験を目指す中学生を周囲の皆が応援するという内容である。吉永さんは、主人公を励ます配達先のお嬢さんの役で、彼女は引っ越すことになるが彼女とさよならしつつも主人公は元気に新聞配達に励むラストとなる。映画『朝を呼ぶ口笛』ではビルの上から浅草方面が見える映像があり、仁丹塔が見えていた。