ヘミングウェイの『持つと持たぬと』を映画化した『脱出』を観て、リメイク版『破局』(1950年)を知る。この監督・マイケル・カーティズが映画『カサブランカ』(1942年)の監督であった。さらに、ボギーの『俺たちは天使じゃない』(1955年)とエルヴィスの『闇に響く声』(1958年)も監督していたのである。
無名塾の公演『おれたちは天使じゃない』を観た時、ボギーの映画を観たいとおもっていたが意外なところで出現してくれた。エルヴィスの映画まで監督していたとはなんというタイミングのよさか。
映画『破局』は『脱出』のボギーとローレン・バコールのコンビを観た後でもあり違う違うと否定してしまっていた。気をとりなおして再度見直す。。ハリーは家族がありどんどんまさに破局に向かうのである。海が好きなハリーは漁船を買い独立するが生活も苦しく、奥さんがやりくりしている。子供は二人。家族を大事にしているが受ける仕事が上手く行かずお金が入らない。
ハリーの釣り客はメキシコに着くと連れの女を残して帰ってしまう。女はハリーを気に入り、ハリーは妻帯者だと拒否する。次に入った仕事は中国人の密航の手だすけ。助手のウェズリーは黒人であるが常に冷静でハリーを止めるが耳を貸さない。密航の仕事でハリーは依頼人と争って殺してしまう。次の仕事は競馬場の売り上げを奪った連中を逃がす手助け。
思いもかけずウェズリーが連中に殺されてしまう。ウェズリーの死により、船中でハリーは4対1で強盗を殺し自分も負傷する。救助されハリーは腕を切り落とすことに決まるが命は助かることになり妻・ルーシーと子供たちは安心する。ただそこには父・ウェズリーを探す息子がいる。誰にも声をかけられず「一件落着だ。」と立ち去る人々のあとにひとり取り残される。すっきりしない映画である。ハリーに振り回された感じがのこる。
あとは原作を読むことか。
映画『カサブランカ』のボギーと監督。ボギーの『脱出』をリメイクした監督。喜劇『俺たちは天使じゃない』でのボギーと監督。なかなか面白い関係である。ただボギーはいつものボギーで喜劇性を強調する演技ではない。そのままを上手く喜劇に使っている。無名塾での『おれたちは天使じゃない』はこれだったのかとたのしんで観れた。仲代達矢さんの方がボギーより陽気に演じられていた。
監獄から脱出した囚人三人はお世話になった雑貨屋の一家に強欲な従兄の遺産相続に成功。世の中を生きていくのは大変と監獄にもどることにする。三人の頭上には天使の輪が。
無名塾の感想はこちら。→ https://www.suocean.com/wordpress/2016/03/10
映画『闇に響く声』。エルヴィスはのTV映画『ELVIS エルヴィス』と1956年をドキュメンタリーとしてまとめた『エルヴィス・プレスリー/エルヴィス’56』のDVDをみるとかなりエルヴィスのことがわかる。
エルヴィスは、1956年4月にスクリーン・テストを受けている。その結果パラマウント映画会社と7年間の契約を結ぶ。「夢がかなった。映画のなかで歌を歌うかの質問には今のところノーが答えだ」 エルヴィスは映画の中では歌を歌いたくなかった。それに反対したのがマネジャーのトム・パーカー大佐である。トム・パーカーは軍人ではないが大佐と呼ばせていた。
スクリーン・テストのとき演じたのがバートラン・カスター主演の『雨を降らす男』の一場面である。その時演じた役をもらいエルヴィスは出たかったが大佐が反対する。大佐の方向は、エルヴィスが主演の歌う映画であった。エルヴィスの映画を全て観ているわけではないが映画『闇に響く声』は、明るくて歌があって楽しいエルヴィス映画のイメージからはずれているのでは。
父は職につけず貧乏で、エルヴィスは働きつつ高校に通っているが落第がつづく。姉も働いて家計をささえている。ある女性を助けたことから、歌のうまさが認められナイトクラブで歌うことになる。良心的な経営者で年が離れているが彼と姉は恋仲になる。エルヴィスは人気がでて、女のパトロンでもある違うクラブの経営者から誘いをうける。当然断るが、抜き差しならない状態にさせられ契約せざるおえなくなる。
若者の荒れた屈折さなどは、ジェームス・ディ―ンを崇拝していたエルヴィスにとってはやりがいがあったのではないだろうか。監督もそれを意識しているようにおもうのは深読みしすぎか。クラブの歌手というのも自然な成り行きにさせていて、映画の流れに歌は邪魔せずむしろ聴かせてくれる。
1956年末、映画界は二つの作品が大ヒットとなった。一つはジェームス・ディ―ンの『ジャイアンツ』もう一つがエルヴィス・プレスリーの『やさしく愛して』である。この時点からエルヴィスの映画は方向性が決まったようである。
面白い情報をえた。1956年にエルヴィスはラスベガスでショーに出演している。ところが当時ラスベガスは年配者が多く、不評であった。そのため14年間ラスベガスでの出演はなかった。
若者にはうけ、大人たちからは非難ごうごうのエルヴィス。その頃流行っていたのは「ケセラセラ」のような曲。これで納得である。
追記: エルヴィスのドキュメンタリー映画『THIS IS ELVIS 没後30周年メモリアル・エディション』は生涯を描いていて、没後30年ということでプライベート映像も加えられている。亡くなる6週間前のステージでのフランク・シナトラの「マイ・ウエイ」が声はしっかりしているだけになんとも切ない。