井原西鶴作品と映画『西鶴一代女』(1)

映画『西鶴一代女』(1952年)は言わずと知れた溝口健二監督と田中絹代さんの記念すべき作品です。お二人とも色々あってスランプを乗り越えられた作品なんですね。

今回この映画の元になった井原西鶴の『好色一代女』を読んで、読んだ感じと映画が違うので井原西鶴読んでよかったとおもいました。ただ、現代語訳ですが、訳されたのが富岡多恵子さんだったのがよかったのかもしれません。大阪出身で詩人でもありますから、文章のリズムや言葉に関しても富岡さんならではの俳諧師西鶴に対する想いも強く、その辺を信頼してスラスラと読ませてもらいました。

女一人生きていくのはいつの世も大変ですが、江戸時代に恋をしてしまった若き娘がそのことでつまずくと崖っぷちに立たされ、死ぬも生きるもどちらの選択もしんどい事なのです。『好色一代女』の主人公は、自分の過去を語りますが客観的にさばさばとした語り口です。それは西鶴がそう筆を進めているわけです。

最初の恋が身分違いゆえ、相手の男は命をとられてしまうのです。

主人公はとにかく色々な仕事につきますがどうしてもそこには肉体関係がからんできてしまうのです。そのことも隠し立てなく語り、そこに金銭関係もきちんと書かれているのです。そうすると読む方もそういう仕組みになっていて、そういうふうに搾取されてしまうのかと身一つで生きていく主人公の大変さが垣間見られ、さらに時には手練手管もご披露してくれますから、苦笑してしまったりします。

美形で稼ぐ太夫のところでは次のようにあります。「情目(なさけめ)づかいといいまして、知りあいでもないひとが辻に立って太夫の道中を見物しておりますと、そのひとを振り返って好きな男のようにおもわせます。また揚屋で、夕方店先に腰かけております時、知ったひとがやってきますと、遠くからそのひとに目をやってうっとりとながめます。」

前の方は歌舞伎の『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)』の八ツ橋が浮かびます。江戸みやげにと吉原見物で花魁の八ツ橋が自分に微笑んでくれたと思い込んでしまう佐野次郎左衛門なのです。たしかにそうなんですがね。

その他幇間(ほうかん)にもきちんと手をつくしておくとお金持ちの客との間を上手くとりなしてくれたりします。そして「頭の悪い遊女はこの程度のこともおもいつきません。」とかいております。ところが、主人公は太夫から位がおちて天神になってしまいます。それは自分の出自を鼻にかけたゆえです。

文化・風俗研究家のように立場立場によって女性の着物や持ち物なども事細かに書かれていて、そちらにも感心してしまいます。何となくおぼろげで、ぱっぱっと脳裏に浮かんでこないのが残念です。髪型しかりです。島田とか兵庫などはわかりますが主人公の好みなどもあり微妙に変えたりするのです。髪飾りなども違いそういうカラーの映像がその場その場であるといいのですが。さらにお客の身なりの様子などもきちんと書かれています。

小説『阿蘭陀西鶴』でも西鶴が読みながら作品を書いているのを聞いているおえいが、父は随分着物のことをよくしっていると感心しています。

時代劇映画なども監督さんや俳優さんの好みなどでちがいますから、時代考証にはなりません。

富岡多恵子さんの『西鶴のかたり』では、『俳諧大句数』の一部分からその句のつながり方を解説してくれています。さらに独断で短くします。

「蘆間(あしま)を分けて立ちさわぐ波」の波は、「白波五人男」のように泥棒や盗賊をあらわします。そこでさわぐ波をうけて次の句は「盗人と思ひながらもそら寝入り」(泥棒だとわかるが怖いので寝たふりをしている)。盗人から恋の盗人にして夜這(よば)いが親子のあいだに足をさしこむことになります。「親子の中へあしをさしこみ」。足をさしこむのが置炬燵(おきこたつ)と受けて「胸の火やすこし心を置ごたつ」。

ただやみくもに詠んでいるのではなくつながっているのです。富岡多恵子さんは夜這いなどと「芭蕉ならおそらくこういう下世話なのはきらいでしょうね。」としています。しかり。

好色一代女』の主人公は宇治の出らしいのです。そして京を始め大阪、さらに江戸にも行っており、ある時、松島へも行っておりその時の感想を語っています。

「当初はなるほどと感心して「こんなところをこそ、歌人や詩人にみせたい」と思っておりましたが、朝に晩に眺めておりますと、美しく散らばった島々も磯臭く思えてきますし、末の松山の波も耳にうるさく、塩釜の桜もみにゆかずに過ごしてしまいました。金華山の雪の朝にも寝坊して、雄島の月の夕べも別になんとも思わず、入江に散らばる白黒の小石を拾っては、子供相手の五目並べに夢中になってしまうていたらくです。」

その前に結論が書かれています。「美人でも美景でも、いつもいつもみておりますとかならず飽きるのは、経験しますとよくわかりますね。」

西鶴さん、松島を美人にたとえた芭蕉さんに対抗して書いているのではありません。『奥の細道』はあとに書かれているのです。

西鶴さんと芭蕉さんは目指す新しさが違いますから読者にとっては大変ありがたいことです。

富岡多恵子の好色五人女わたしの古典16

富岡多恵子さんの本は『好色五人女』と『好色一代女』に二作品の現代語訳が載っているのです。これから『好色五人女』のほうに入りますが、井原西鶴の本や、『好色一代男』の訳本などが積んでありまして、さらに有料配信などが数多くでておりまして時間のやりくりに大変な日々なのです。

追記: <「不易流行」部屋子の部屋 総集編> 無頓着さと生真面目さの落差に爆笑しました。後見の後見って弥次さん喜多さんのアルバイトと同じではありませんか。

【GW特別企画】「部屋子の部屋」総集編 配信決定 | 部屋子の部屋|市川弘太郎主催「不易流行」オンライントークイベント (fueki-ryuko.org)

追記2: 1682年に仙台の大淀三千風が松島を詠んだ千五百句を『松島眺望集』にまとめました。そこに西鶴さんと芭蕉さんが並んで載っているのだそうです。

松しまや大淀の浪に連枝の月  西鶴

武蔵野の月の若ばへや松島種  芭蕉

西鶴さんは選者の大淀の名前を詠みこみ、芭蕉さんは武蔵野の月も松島の月が種としていてそれぞれの作風が出ていて面白いと思いました。(大谷晃一著『井原西鶴』より)

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