井原西鶴作品と映画『好色一代男』(3)

最高級の色里での三大太夫と世之介の話を少し。

先ず、京島原の吉野太夫

「吉野は生まれつき、品がよく、世間の知恵も身につけ、その賢さは比類がなかった。仏の宗旨も、旦那と同じ法華宗に変え、煙草が嫌いと聞けば、きっぱりとやめ、万事において申し分がなかった。」

世之介は身請けし吉野を正妻に迎えますが親戚一同猛反対で見限られてしまう。吉野は別邸に住むから通ってきてくれればよいと言いますが、世之介は首を縦に振りません。そこで吉野は暇をいただき里へ帰るのでその前にご婦人方をご招待したいとしてうるさがたを招きます。

世之介は大丈夫であろうかと心配します。ところが、琴、歌、お茶、お花、囲碁などの腕前も申し分なく、会話の話題も豊富でお客の誰一人飽きさせることがなかった。そしてどうして吉野を里に帰してしまうのかと言われてしまうことになり、無事「相生の松風、世之介は百吉野は九十九まで」と祝言を挙げるのです。しかし、世之介の色道には何の影響もありません。世之介35歳。

大阪新町の夕霧太夫

世之介の仲間五人が夕霧を絶賛しています。「命を投げうつほど思い詰めた客には冷静に道理を説いて、距離を置き、自分との仲が公然となれば、説得して、通うのをやめさせ、思い上がった客には義理を説いて突き放し、体面を気にする人には世間がどう見るか意見をいい、女房のある男には女の恨みは怖いことを納得させ、、、」相手が魚屋でも手を握らせ、八百屋でも喜ぶコトバをかけ、決して人を見捨てない真心に仲間たちはその情けに話しているうちに感極まって涙するのです。

世之介は何とか夕霧と会うことができ小座敷で心ゆくまで語り合います。夕霧は急に炬燵の火を消させます。その日のお客が来た知らせに夕霧は世之介を炬燵の下に隠し、上手く客を誘導し、その間に世之介は逃げるのでした。世之介はその気転に焼け死んでもいいと思いますが、「思わぬところに恋の抜け道が開けたという次第。」となります。世之介43歳。

江戸吉原の高尾太夫

高尾太夫に会うため、「紅葉重ねの旅衣装で、八人交代で担ぐ大駕籠に乗り、5人の太鼓持ちを引き連れて、京都を出立した。」 紫草ゆかりの江戸紫の染物屋、平吉の宿に着きます。

吉原の揚屋では名前が知れているので、八畳敷の小座敷を新しくしつらえ、京の世之介様御床と札を張り出し、さらに食器一切が世之介の撫子紋(なでしこもん)を散らしています。ところが高尾はさるお客の契約がびっしり埋まり、年内は空きがないからここで年越しをして春まで待ってはいかがですかとのこと。世之介は1億ほど使い捨てるつもりでしたがどうも歯がたちません。やっと忍び逢いできることになります。

高尾の道中。「総鹿子の唐織などまとい、帯は胸の高さに締め、腰を落として八文字で歩く、上方とは違って、珍しく目につくものである。顔見知りに逢ってもコトバを掛けず、お付きの娘二人も対の着物で、遣り手や下男にまで高尾の紅葉の紋をつけさせ、それこそ色好みの山が動くがごとしだった。」

そして、初対面なのにその気の使い方は細やかでした。世之介52歳。

世之介は、放浪時代も様々な職種につきます。そのあたりがまた庶民生活が垣間見えるところであり、それぞれの立場での色好みに遭遇するのです。遺産相続しても商売はしているようなのです。「出羽の国の庄内に出かけ、米など調達し、大阪への舟がくるのが遅いのをもどかしく思っていたので、、、」

そして世之介の仲間が島原の朝の景色の面白さに「西行はどんなつもりで松島の曙や象潟の夕暮れを讃えたのかね。」とし外国にもこんな楽しみはないだろうといいますと、もちろん世之介は、もっともだと賛同しています。西行さんも何のそのです。ということは、西鶴さん、芭蕉さんの風雅さも何のそのということなのです。このお二人のバトルもなかなかです。

そうした楽しみ方も、よくわからない井原西鶴について調べてくださった先人たちのおかげです。資料は検証のために大切なものでして次の世代への考える楽しさを増やしてくれます。

追記: 本によっては検証に検証を重ねているのでちょっと気分転換にとDVDの『ブラックペアン』に手をつけてしまった。CMが入らないので流れが良く面白い。まずい、まずい。予想では復讐劇。大丈夫です、きちんとやりますから西鶴さん。西鶴さんだって気が多いではないですか。

追記2: 片岡秀太郎さん、色里の女将役で登場すると全て心得ていますという雰囲気がその場を押さえてくれました。地味な着物の衿と小物の組み合わせ、裾の返し模様など素敵でした。また一つ細やかな空気感が消えてしまいました。合掌。

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