歌舞伎座6月『菅原伝授手習鑑 車引』『猪八戒』

歌舞伎座の一部です。

菅原伝授手習鑑 車引』がなぜか荒事になっていて、度々単独で上演されますが、今回もそうです。

ただ今回は、桜丸が上方の型で隈取がなく上の衣装を脱ぐと襦袢がトキ色となります。江戸型ですと、桜丸はむきみ隈で梅王丸と同じ赤の襦袢なのです。襦袢と言っても刺繡のある豪華なもので普通の襦袢のイメージとは違います。

三つ子の三兄弟がけんかをするのです。江戸型だと桜丸と梅王丸が赤の襦袢で、松王丸が白の襦袢なので、二対一という構図がはっきりするのですが今回は違う見方ができました。梅王丸は赤の筋隈で松王丸は二本隈で、東京型では桜丸はむきみ隈です。その隈取がないため桜丸と梅王丸が笠を取り顔を見せたとき、桜丸の悲劇性がぱっとこちらに見えました。隈取の無いことで、桜丸の窮地が透けて見えるといった感じでした。

桜丸は菅丞相の流罪の原因を作ってしまっていたのです。そのことは知らなくても、襦袢がトキ色ということで、二対一の対立というより三つ子でありながら一人一人の生き方があり、それぞれの背負っている人生はちがっているのだといことが明確になりました。

ただ荒事の様式美でみていたとしても、かえって、『菅原伝授手習鑑』のこの三人の前後の芝居を観たとき、えっ、そういうことだったのと謎解きができて引き込まれていくと思います。

綿入れの入った衣装に刀三本を差し竹本に合わせて声を張り上げリズミカルに動くのですから驚きです。壱太郎さんは上方型でやらせてもらえるということで、和事風の愁いさもよく伝わりその責任は果たされていました。巳之助さんは、荒事の舞台でとにかく声を張ることにつとめられていたので、今回はそのセリフ回しに味わいが加わってきていましたし赤の筋隈に負けない動きでした。松緑さんは、黒の筋隈をしているような雰囲気で大きさの中に稚気さもあり、面白い三兄弟でした。猿之助さんの時平も桜丸と梅王丸をすくませる力があり、あくどい権力者として異様さも十分でした。

三つ子はそれぞれ別の主人に仕えたことが運命の分かれ道でした。権力闘争の渦に巻き込まれて相対する立場になってしまうわけです。汚い手を使って権力を握った藤原時平の前では、桜丸も梅王丸も憎っくき時平に挑もうとしますが、にらまれるとすくんでしまうのです。時平に仕える松王丸はおれのご主人様に何やってんだお前たちは、おれが相手だと兄弟げんかとなるわけですが、ここは実際に三つ子が生まれたという世間の事件を違う形で舞台上で登場させ見せてもいるわけです。珍しい事があればすぐに舞台上で見せるという手際の良さです。

ただ物語性はしっかりしています。歌舞伎はこの後、「賀の祝(佐太村)」となります。佐太村に住む三兄弟の父・白太夫の七十歳の祝いがあるのです。

文楽では『菅原伝授手習鑑』の三段目として「車曳の段」「佐太村茶筅酒の段」「佐太村喧嘩の段」「佐太村訴訟の段」「佐太村桜丸切腹の段」と分かれていますので、桜丸が切腹するということが解るわけで物語の先の想像がつくわけです。

2014年4月に大阪・国立文楽劇場で引退公演をされた七世・竹本住太夫さんの狂言が『菅原伝授手習鑑』の「佐太村桜丸切腹の段」で、テレビの「古典芸能への招待」で放送され録画していました。「車曳の段」はなくて、その後の「佐太村茶筅酒の段」「佐太村喧嘩の段」「佐太村訴訟の段」「佐太村桜丸切腹の段」でした。三兄弟のその後をじっくり観ることができ、この作品はある意味それぞれの人生の成長していく過程でもあるのだとおもえました。

そして途中で命を絶った桜丸を「寺子屋」での松王丸は涙を流すのです。そこで松王丸の本当の心の内がわかり、松王丸のそれまでの孤独さも見えてくるのです。

それらの事をフィルターにかけて荒事として「車引」だけを役者によってみせるという試みは歌舞伎ならではの見せ方とも言えます。荒事がそこからどう人の心の機微を見せてくれるのか、出発点として若い役者さんとそれをけん引する役者さんの組み合わせでみれるというのも楽しいことでした。男寅さんも復帰できよかったです。その時期、時期で出会える貴重な役ですから。

録画するだけして見過ごしているものがあり、この時期それらのえりすぐりの舞台映像と出会えるのが目下の至福のときでもあります。

菅原伝授手習鑑』はまだまだ名場面がありますからそのとき今回の「車引」とどうつながるのか楽しみなきっかけになるでしょう。

猪八戒』は、澤瀉屋十種の一つで歌舞伎座初演が1926年で今回は96年ぶりの歌舞伎座公演なのだそうです。今回鑑賞して、これはやる演者の年齢的なことが関係すると思いました。一時間近くずーっと踊り続けさらに立ち廻りがあるのです。

振り付けは二世藤間勘祖さんと藤間勘十郎さんで、演者も演者なら、振付師も振付師と思いつつしっかり観ているつもりでしたが、過ぎてみれば、あれよあれよのラストに向かっていきました。

西遊記』の内容はきちんと把握していないのです。テレビドラマも見ていません。二十一世紀歌舞伎組の『西遊記』の舞台は観ていますがもう記憶のかなた。テレビで放送され録画していたのですが、ダビングに失敗したようで最初のほうで止まってしまいました。無念。

孫悟空がでてきて三蔵法師に頭に輪っかをかぶせられインドまで三蔵法師のおともをするというその程度しかわかりません。その仲間として猪八戒と沙悟浄がいるということなのでしょう。アニメくらいは見ようとおもっていますが。今回は猪八戒が主人公での舞踏劇ということで、三蔵法師は出てきません。

猿之助×壱太郎「二人を観る会」』の座談会のとき、猿之助さんが今回の『お祭り』は清元ですと言われ、清元は語りですから長唄とは踊り方が違いますといわれたのですが、始まったら忘れていてあれよあれよで終わってしまいました。

今回は竹本ですので足のつま先から手のさきまでの全身の動きを竹本を耳にしつつじっとみつめていました。納得できたような気になっていましたが終わってみるとこれまた消えています。もともとよく動く方ですが、今回はさらによく次から次へと動くものだと感心と驚きです。どういう体の構造なのでしょうか。

猿之助×壱太郎「二人を観る会」』の素踊りの時、段四郎さんに似てこられたと思いましたが『猪破戒』の足の動きは段四郎さん系のように思えます。

猿之助さんの口が動いていて猪八戒の浄瑠璃の台詞の部分を言われていたようなんですが、そのほうが体にリズムがなじむのかなと思っていましたら、セリフもすべて浄瑠璃で語られるので耳の不自由な方にもわかるようにということのようです。

この時期思わぬところで不自由な方がさらに負担を負うということなんですよね。

笑也さんと笑三郎さんの衣装と二刀流が素敵でした。一人、童女になりすました猪八戒にいいように遊ばれていた猿弥さんの霊感大王も援軍を得るわけです。が、元気で陽気な右近さんの孫悟空とやるぞ感の青虎さんの沙悟浄が参戦し、アクロバット軍団も登場し敵味方わからなくなるくらいの混戦状態のスピード感です。バックの背景が藍色の波から山水画の岩山にかわり皆さんの動きを静かに見つめていました。空間が広がりました。

村の長老が寿猿さんで村人に澤瀉屋の役者さんが顔を揃えていました。澤瀉屋一門とその仲間たちにひと時楽しませてもらい煙にまかれたうつつのようなうつつでないような時間でした。配信があったら観なおしたいです。

追記: 坂東竹三郎さんがお亡くなりになられた(合掌)。 『仮名手本忠臣蔵 六段目』の映像で仁左衛門さんと猿之助さんのそれぞれの勘平の義母・おかやをつとめられていて、江戸も上方も両方その雰囲気をかもし出されるのに見入っていたので貴重な役者さんがまたおひとり芸を持って行ってしまわれたと残念です。ただこれから歌舞伎の中心となるであろう役者さんや若手の役者さんたちが上方の型が無くなることを危惧され東京も上方も両方に垣根を作らず学ばれているのが心強いですし繋がることでしょう。

追記2: 歌舞伎名作撰の『菅原伝授手習鑑 車引・賀の祝』のDVDを持っていました。松王丸(吉右衛門)、梅王丸(團十郎)、桜丸(梅玉)、時平(芦燕)、白太夫(左團次)、松王女房・千代(玉三郎)、梅王女房(当代雀右衛門)、桜丸女房(福助)。(平成14年歌舞伎座)

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写真の上の松王、梅王は「車引」の隈取で、下の桜丸は「賀の祝」で隈取がありません。松王も梅王も「賀の祝」では違う隈取となります。上方型では桜丸は「車引」から隈取の無い姿で「賀の祝」につながっていくわけです。「賀の祝」自体が謎解きの部分があり、さらに「寺子屋」への暗示がよくわかりました。

追記3: 平成22年(2010年)の初春公演でも「車引」が上演されました。松王丸(当代白鸚)、梅王丸(吉右衛門)、桜丸(前芝翫)、時平(富十郎)。今月の猿之助さんの隈取は富十郎さんに似ていました。藍色の隈取はしていませんでした。令和3年(2021年)には高麗屋三代「車引」。松王丸(白鸚)、梅王丸(幸四郎)、桜丸(染五郎)、時平(彌十郎)。白鸚さんの隈取は平成22年とは違って細い赤でした。時平の袖のクルクルも片袖だけの方もおられ色々なのだということがわかりました。こんなに「車引」に注目したのは初めてです。

追記4: 松竹の社長・会長をつとめられた永山武臣さんの『私の履歴書 歌舞伎五十年』を愉しんで読了。ロック・ミュージカル『ヘアー』を手掛けられたのは知りませんでした。そうそうたる役者さん達の知られざる様子も新鮮でした。六代目菊五郎さんが『吉田屋』の伊左衛門を自分流にしていいならとやっと引き受けられたそうですがどんな感じか観てみたいです。手探りのアメリカ・ソ連・中国公演などいつの時代も文化交流はあってほしいものです。

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