7月20日~25日までの6日間、文学に関係する19人(聞き手、対談者を含む)の方々の話しを聴いた。<話しを聴いた>としたが、きちんとそれぞれテーマがあって、そこに集約されていく講義・講演といえるがこれは内容をきちんと伝えないと誤解を要することにもなるので、受けた方は<話しを聴く>というかたちにして、そこからテーマと関係あり、無しの刺激や切り口の面白さから受けた受け手の自分勝手の次の行動や、個人的好みによって進んだ動きについて書く。
<行動>すると書くと格好よいが、DVDを見たり、多少本を読んだということに過ぎない。それと、<話し>のなかで、余談的ことに強く反応するテーマを逸脱する興味本位の楽しみ方もしているので聴いた話しから逸脱している可能性ありでもある。
52回の夏の文学教室自体に大きなテーマが設定されている。『「歴史」を描く、「歴史」を語る』である。<「文学」において、小説や日記など、さまざまなかたちで、「歴史」はつむがれてきました。文学者が見つめ、書いてきた「歴史」を、現在活躍中の作家の方々に大いに語っていただきます。>
水原紫苑さん「谷崎潤一郎の戯曲」
谷崎の戯曲『誕生』『象』『信西』『恐怖時代』『十五夜物語』『お国と五と平』『無明と愛染』『顔世』を紹介。読む戯曲としての面白さがあると。
〔 歌舞伎座での『恐怖時代』は、芝居の出来不出来は別として、こういう世界もあったのかと良い意味で驚いた。小説の『盲目物語』を芝居にしていて、玉三郎さんと勘三郎さんの舞台を思い出すが、もう一工夫して面白いものにして再演してほしい。 〕
藤田宜永さん「谷崎の探偵小説」
「柳湯の事件」「途上」「私」「白昼鬼語」から谷崎の語学力からしても、海外の探偵小説は相当読んでいてその手法を取り込んでいる。登場人物は暇とお金があり、散歩好きで、都会に位置している。
〔 この四作品はよんでいたので、皮膚感覚がもどってきた。同時に大正時代の都会の一角に立ち、周りの景色を眺めているようであった。ちょっとおどろおどろしく、江戸川乱歩の世界も思い起こす。山田風太郎さんの『戦中派復興日記』を読み終わったところで、生身の江戸川乱歩さんも登場する。乱歩さんは、勝手にその作品の世界と共に生身も大正から昭和の初めの作家としていたので、ここでまた、後ろにタイムスリップさせて時間のズレを修正する。 〕
島田雅彦さん「おとぼけの狡智」
谷崎は戦中も『細雪』という作品で戦争には何の関係もないことを事細かに細々と書いていた作家である。自分だけの世界に入っていた。作品として『春琴抄』に触れる。谷崎は語学もでき頭の良いひとなので、自分の性癖にあった文学としての昇華形式を海外の作品にすでに見つけていた。
〔 この機会だからと山口百恵さんと三浦友和さんコンビ映画『春琴抄』の録画を観ていた。よく判らぬ世界であるが、琴と三味線を弾く場面の曲に興味が湧き、佐助が眼を縫い針で突く場面の映像はドキドキした。22日にテレビNHKBSプレミアムで『妖しい文学館 こんなにエグくて大丈夫?“春琴抄”大文豪・谷崎潤一郎』が放送された。島田雅彦さんも参加されていた。国立劇場で12月19日に邦楽公演として『谷崎潤一郎ー文豪の聴いた音曲ー』がある。〕
中島京子さん「『小さいおうち』の資料たち」
『小さいおうち』は、昭和5年~昭和20年まで日中戦争から第二次世界大戦までの15年戦争時代をかいている。その時代の空気、様子を知るために読んだ小説などを紹介。『細雪』(谷崎純一郎)、『十二月八日』(太宰治)、『女中のはなし』(永井荷風)、『女中の手紙』(林芙美子)、『たまの話』(吉屋信子)、『黒薔薇(くろしょうび)』(吉屋信子)、『幻の朱い実』(石井桃子)、『欲しがりません勝つまでは』(田辺聖子)、『古川ロッパ昭和日記』ら、もっと沢山あるがそれをどういうときに参考にしていったか。
〔 こちらも録画『小さいおうち』を観ていたので、資料がどう使われたが想像できた。日清、日露戦争に勝ち、小さいおうちのオモチャ会社に勤めるご主人が、これで中国がオモチャの購買地域となりこれからじゃんじゃんオモチャが売れると張り切っている。簡単に中国との戦争に勝ち、オモチャが売れると思っている。疑うことのない庶民感覚である。ところが、戦争は長引き、ブリキから木のオモチャへと変わってくる。庶民感覚と少しづれた奥様を思うお手伝いのタキさんの不安と心配は一つの行動に出る。いつからが戦争かがわからない怖さ。 〕
和田竜さん「僕が読んできた歴史小説」
鵜飼哲夫さんが聞き役でトークの形である。名前の<竜(りょう)>は、母が坂本竜馬が好きでつけた。大河ドラマの北大路欣也さんの坂本竜馬のときである。好きな歴史小説は司馬遼太郎と海音寺潮五郎。『のぼうの城』は、『武将列伝』にも出てこないような人を書きたかった。今の漫画の人気は、何の努力もせずに備わっている何んとか一族の主人公とか、超能力を持って居る主人公ものが受ける。
〔 『村上海賊の娘』と『のぼうの城』が同じ作家であったとは。『のぼうの城』は観たいとは思わなかった。レンタルで『陰陽師』のそばにあっても無視であった。おふざけ過ぎよと思っていたのである。観たら八王子城と同じ時に秀吉に託され石田三成と聞いたこともない成田長親との対決である。おふざけと見えたのは、実際は戦を避けることを考えた人であった。建物一つにしても責任をだれもとらない国が、勇ましいことをいっても、だれが責任を持ってくれるのか。忍城は埼玉県行田市である。行かなくては。 〕
浅田次郎さん「戦争と文学」
戦争が終わってから6年たって生まれたのですから戦争のことは知らない。物心ついたときには、戦争の跡というのはほとんどなかった。傷痍軍人がところどころで見かけたが怖かった印象がある。戦前は日本は海洋王国ですから、戦中民間の船が多く沈んだ。そのことを書いたのが『終わらざる夏』。戦争を知らないからウソのないように調べて書く。疲れます。戦争文学は売れなくても書かなくてはならない。『戦争と文学』20巻の編纂をしたが、これらの作品が会話文が少なく地の文が圧倒的に多いのに驚いた。会話文が多いとストーリーがわからない。
〔 残すこと、伝えること、発掘すること等の重要性を思う。受ける方は読むことが重要であるが、今回は映像で短時間決戦である。浅田次郎さん原作の『日輪の遺産』、同じ佐々部清監督ということで横山秀夫さん原作の『出口のない海』を観る。『日輪の遺産』は思いがけない内容であった。こういう事があったとしたら若い人はどう行動するであろうか。純粋であればあるほど内なる純粋さに添い、死を選んでしまうのか。それにしても、大人たちはなぜもっと早く戦争を終わらせなかったのか。どれだけの若い命の青春が幕を下ろされてしまったことか。戦争映画として『死闘の伝説』『一枚のハガキ』も観る。歌舞伎役者さんたちが映像の中で予想を超えて伝えてくれた。浅田さんの、若い優秀な近代歴史の研究者が出てきているの言葉が希望を灯す。どう答えがでようと、きちんと検証されることが大事である。〕