『肉筆浮世絵 美の競艶』展

肉筆浮世絵展をどこかでやっていたはずと調べたら、上野の森美術館であった。版画と違い肉筆であるから一点しかないわけである。

アメリカ・シカゴのロジャー・ウエストさんの個人所蔵なのだそうである。

映画『百日紅』(原作・杉浦日向子/監督・原恵一)の中で北斎さんのところに出入りしている善次郎は、お栄さんに<だめ善>と言われているが、後の渓斎英泉さんである。今回の肉筆浮世絵展で、英泉さんの絵が見たかった。今までも見ているのであるが、これが英泉だという取り込みかたはしていなかった。お栄さんの<だめ善>から俄然興味が湧く。

映画では、酔っ払い頼りなく机に向かいふうーっとため息をつき、絵を描く姿はない。お栄さんに<部類の女好き>と言われ、そうモテる風情でもない。ただお栄さんは軽くは言ってはいるが、その後の絵師としての才能は認めているらしく、最後に鉄蔵が90歳で亡くなり、その一年前に善次郎が死んだことを付け足して告げるのである。これは、善次郎がお栄さんの中で絵師であったとして死んだことを告げているのである。ここら辺りのお栄さんの言葉少ない語りも結構含みが感じられ、たまらないところである。

絵を見終わってチラシをみたら、12人の美人画の載っているうち英泉さんの絵が3作品載っているのである。驚きました。図録を買わなかったので、大切なチラシとなった。

表に「灯火文を読む女」「秋草二美人図』裏に「夏の洗い髪美人図」である。

「夏の洗い髪美人図」は、顔と手足が大きく腰が曲がっていて美しい立ち姿とはいえない。バランスが悪いのである。そのバランスの悪さを落ち着かすように足元なは花を生けた水盤がある。

図書館で美術書の英泉さんの浮世絵を見て来た。英泉さんはお栄さんの言うように<女好き>で、女性のいる色々な場所へ行っている。そして美人画も吉原、岡場所、水茶屋、下働き、町娘など様々な女性をとりあげ、美しさだけでなく、その姿態、媚態、気だるさ、はやる気持ちなど、それぞれの住む世界で生まれる姿を映しだしている。そして美しいと思わせても足をみると甲高で、平面的美しさを拒否しているかのようである。

「灯火文を読む女」は提灯の灯りで文を読む遊女であるが、遊女の身体のひねりと衣装の豪華さが、恋文の域をこえた激しさが伝わってくるようで、何が書かれているの、良い事悪い事と尋ねたくなる雰囲気である。

滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の挿絵を北斎さんは描いていて、英泉さんも描いている。どんな挿絵なのかは見ていないが見たいものである。滝沢馬琴さんも本所深川の生まれであるが、本所にいたのは短いようである。

北斎さんのチラシにも載っている「美人愛猫図」は、女性は美しいがその美人の胸元に抱かれ、着物の襟もとから身体をだしている猫の顔が美人にそぐわないほど可愛くないのが、お栄さんの <へんちきなじじいがありまして> を思い出してしまった。

さらに上野の森美術館のギャラリーでは『江戸から東京へ~浮世絵展』も開催されていた。上野近辺の江戸から東京にへの変遷が浮世絵で展開される。

上野の森美術館の前方に清水観音堂がある。ここは、歌川広重さんの名所江戸百景の「上野清水堂不忍池」の浮世絵になっている。そこに描かれている、くるりと曲った<月の松>が復活している。

英泉さんは広重さんと中山道の名所絵も共作しております。さらに英泉さん「美人東海道」というのもやっておりまして、美人の後ろに東海道宿が描かれているわけです。お栄さんのいう<だめ善>は、色々やってくれていますが、お栄さんからすれば「ふん」かもしれません。そして、死ぬのが早すぎるよと言いたかったのかもしれません。

映画『百日紅』は、浮世絵への興味を一段と増してくれた。永青文庫の『春画展』見ておくべきであった。

『肉筆浮世絵展』は1月17日までである。

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