6月新派『新釈 金色夜叉』

作・宮本研/補綴・演出・成瀬芳一

<金色夜叉>とは字を眺めていると<金色に輝く夜叉><金色に惑わされる夜叉><金色そのものの夜叉>などと浮かんでくる。

6月新派の『新釈 金色夜叉』は、間貫一、鴫沢宮、赤樫満枝、3人の夜叉である。自分の生き方に疑問を感じたとき、それぞれが夜叉に操られるのである。一番貧乏クジを引くのは宮を妻とした富山唯継である。富山は金持ちの御曹司ゆえにお金目的ではない妻を求めている。その相手として宮は美しく、自分をお金の対象として見ていないと熱烈なる求婚をする。(富山を気障な人間として登場させるが、そこが判らない。それは貫一の目から見た富山であって台詞を聞いていると、富山自身は自分を見る世間の目をはっきり意識している。)

宮は富山の言葉に酔いしれてしまい、自分が今まで想像したことのない世界があるかのように思ってしまう。貧しい士族出の家庭に育った宮が明治という時代のまやかしの西洋化に翻弄されたともいえる。貫一に「なぜ」と聞かれると「飛びたいのよ」と答える。どこに飛びたいのか宮自身分からない。先に何か光を感じてしまい、その光に抗しきれ無くなったのである。貫一はそんな訳の分からない理由で納得などできない。お金に目が眩んだとしか思えない。貫一は両親がなく親戚の鴫沢家に引き取られ宮とは兄妹のように育っている。貫一は宮を娶るつもりだし、宮もそう思っていたのであるが、宮は違う世界の光を感じてしまうのである。

貫一は宮の目を眩ましたお金の世界に自分を追い込んでいき、高利貸し屋に勤めその才覚を伸ばしてゆく。宮は感じていた世界が現実に見てみると自分を受け入れるような世界ではなく、そこからの救いを貫一に求め次第に気がふれてしまう。

もう一人、貧しさゆえに高利貸しの妻となっている赤樫満枝が貫一に惹かれ、自分の果たせなかった恋の相手とする。貫一の中に宮の存在があることを知っている満枝は「美しい人は自分の美しさを値踏みにかけるものなのよ」と言ってのける。<美しさ>と<金>は一緒なのか。宮が感じた<光>は宮の<美しさ>の照り返しであったのか。

貫一の夢の中で宮は満枝を刺し殺す。貫一は宮に「あなたには、あなたより一生懸命生きている満枝を殺す資格はない」と叱責する。それを聞いた宮は自害する。

満枝は死んだ夫の骨を持って、夫の故郷に旅立つ時、貫一は、今は心を病んで病院にいる宮を見舞い、「宮を自分の所に引き取ります」と告げる。それぞれが<金色夜叉>に翻弄されるわけである。<金色夜叉>は一番無垢の宮に狙いを定めたのである。

「わたしここから飛びたいんです」

波乃久里子さん(宮)はここが一番難問だったのではないだろうか。風間杜夫さん(貫一)もずっと恨みっぱなしの貫一の理論を通されたが頑なさに留まった。水谷八重子さん(満枝)がしどころがあり作り易かったのか生き生きしていた。英太郎さんの雰囲気が、アングラ劇団の役者さんのような演技で面白かった。高利貸しにひどい目にあったのか気のふれた老女役で、履いてるズック靴から砂を出す様子は、かつてのテントの中のある女優さんを思い出していた。砂。熱海の海岸の砂を指しているのか。

<金色>はお金なのか。それだけでは無いような気がするのであるが、解らない。この解らなさが、別の宮本研さんを探すことになるのであるから解らないのも悪くはない。

 

 

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