映画『金色夜叉』

映画監督清水(東京国立近代美術館フイルムセンターにて「映画監督清水宏の生誕110年」)の『金色夜叉』を見る。

監督・清水宏/脚本・源尊彦・中村能行/出演・夏川大二郎(貫一)・川崎弘子(宮)・近衛敏明(富山)・三宅邦子(満枝)

映画では宮と富山の出会うカルタ遊びの場から始まる。富山は人が札を取るとすぐそちらに目が行きそちらに手を伸ばし皆の失笑をかう、気のいいぼんぼんである。この場は宮の友人が富山と宮を引き合わせる見合いである。カルタ遊びで目合わせるというのは当時としてはおしゃれな設定だったのかもしれない。

富山に車で送られるお宮は貫一のことを尋ねられ「お兄さんのような人」と答え、富山を安心させる。家の近くで貫一の姿を見つけ、お宮は車から降りる。貫一に会うと、もう宮は幼いころからの貫一との楽しい関係にもどり、貫一も自分のマントにお宮を入れてやる。隠れていた貫一の友人達はそれを見て二人に雪を投げつける。貫一とお宮は周りから祝福される仲である。

富山と結婚を決めた宮に貫一は何故か問いただす。お宮は貫一さんは大学に行き後3、4年は待たなくてはならない。家の方もそんなに余裕のある状態ではないから、自分が今までのように勝手きままには出来ないと話す。貫一は宮に犠牲になってもらってまで学校を続ける気は無い、学校を止めると告げ、宮を足蹴にして宮の前から姿を消す。

宮は結婚し、行方不明の貫一のことは気になるが富山とも上手く行っている。貫一は高利貸しの手代となり頭角を現すが友人の家を差し押さえることになり、かつての友人たちからお前は高利貸しなんぞになってと侮辱される。それでも貫一は自分の意思を貫く。

赤樫満枝は、貫一の勤める高利貸し屋の同僚で主人の鰐淵のお気に入りであるが、それを利用しつつ、仕事もでき、貫一に思いを寄せている。富山とは知り合いで富山はぼんぼんゆえに銀行の経営が上手くいかず、満枝に謝金を申し込む。満枝はその話を貫一に廻し、貫一は富山の担当となりお金を貸すが富山は返済できなくなる。

富山は自分の財産で宮を幸せに出来ると考えていたので、それが出来ない今、何もない宮と貫一の関係も怪しみ、宮に出ていけと告げる。宮はそんなことは出来ないと主張。富山はでは自分が出ていくと去る。宮のもとに差し押さえのため貫一が訪れる。

(ここで不覚にも眠ってしまった。終わると同時に目を覚ます。しまった!ここまできて落ちが分からないなんて。誰に聴こうか。出口へ先に行く若い女性二人が「小説自体が未完だったからね。」と話しているのが聴こえる。「すいません。眠ってしまってラストが分からないのですがどうなったのか教えていただけますか。」「宮が身ごもっていて、そういう状態の女性を苦しめるわけにはいかないと云うことで多分許すという事なんだと思います。」どうやらこうだというはっきりした結論では無かったようである。「舞台の『新釈金色夜叉』を観たのですがそちらも捉えられないんです。」「そちらはどう展開するのですか。」「宮と満枝の対決があるんです。」「そちらの方が面白そうですね。」そこでお別れしたのであるが、「金色夜叉」が解釈によっては若い人にも興味ある話となる可能性があるということである。)

映画の宮は迷ってはいない。貫一の事を心配しているがそれは、恋人とか愛人とかの思いではなく身内としての心配である。もう飛んで着地していて、その位置で困難があればその困難に立ち向かう意思がある。ただメロドラマ的映画作りであるからふうーっと眠りに誘われるのである。

遅ればせながら、これから尾崎紅葉の小説に入るのである。

 

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