長唄舞踊『小鍛冶』 と 能『小鍛冶』

『十八世 中村勘三郎   一周忌メモリアルイベント』が行なわれ七緒八くんが歌舞伎舞踊に参加されたのをテレビの芸能ニュースでチラリと見たが、足が滑ったのに何事もなかったように踊り続け恐れ入ってしまった。目がいい。身体を動かした方向に遅ればせながら目が動く。能に多少こちらも目がいき、能の『小鍛冶』の録画を見て、勘三郎さんの勘九郎時代の『小鍛冶』も見直したばかりであった。勘三郎さんの『小鍛冶』での三条小鍛冶宗近の形と目が好きである。面白い事があると本当に楽しそうに笑うその顔付ではない。目もきりっとしていて怖いくらいである。あの目でみつめられると、勘九郎さんも七之助さんも、何を言われるかと小さくなったであろうと思われる目である。七緒八くんにもあの目がありそうで嬉しくなった。その世界に入り込んだら入りきる目である。

私が見た歌舞伎の『小鍛冶』は、勘太郎時代の現勘九郎さんも出ていて、17才のときであるから、1999年頃のNHKの「芸能花舞台」の録画である。「芸能花舞台」のほうで『小鍛冶』に関連して、『釣狐』と喜多流の『小鍛冶』を断片的に紹介してくれた。能の『小鍛冶』は後シテに出てくる狐の頭の毛の色によっても演出が違うらしく、赤頭、白頭、黒頭がある。狐の足を表現する狐足なども変わってくるようだ。

能『小鍛冶』は、一条帝の宣旨により、橘道成が勅使で三条小鍛冶宗近(宝生閑)に剣を打つよう伝える。宗近は相槌(あいづち)にふさわしい人が見当たらず途方に暮れ稲荷明神に祈願する。すると一人の童子(観世清和)が現れ、日本武尊の草薙剣(くさなぎのつるぎ)についてなど語り、宗近の討つ剣は草薙剣にも劣らぬと告げ姿を消す。宗近が剣を打つ準備を整えたところへ、稲荷明神の使者の狐(観世清和)が槌を持って現れ、宗近と共に剣を打ち剣はできあがる。表に小鍛冶宗近、裏に小狐と銘を打ち、狐は稲荷山へ帰って行く。

長唄の『小鍛冶』は、小鍛冶(勘三郎)と使者の橘道成(翫雀)が並んで舞台中央からせりあがる。そして能の後半部分の稲荷明神の神霊。(勘太郎)が花道すっぽんから現れ、宗近と共に刀を打つ。歌舞伎の場合、この刀打ちの槌の音をリズミカルに出させ躍動的である。神霊の動きも足を狐足にしたり、跳躍したりと、勘太郎さんは緊張しつつも一心に努めている。勘太郎さんの若いころからの性格をみるようである。

澤瀉屋には、義太夫と長唄とを取り入れた『小鍛冶』があるようである。

この三条小鍛冶宗近の三条は、京の三条に刀打ちの小鍛冶が多く住まいしていたところで、粟田神社、鍛冶神社、三条通りを挟んで相槌稲荷神社あたりにその痕跡があるらしい。粟田神社は行きたいと思っていた場所でいつも青蓮院どまりなので、是非行く機会を作りたい。さらに友人が狂言の和泉流『釣狐』と宝生流『小鍛冶』の録画をダビングしてくれ、そのタイミングの良さに嬉々として臨んだが、映らないのである。機種の相違か未設定であろうが、残念でならないない。クシュン!

 

追記: その後、粟田神社、鍛冶神社、相槌稲荷神社へ行けました。携帯からの写真で写りが不鮮明。

          粟田神社。この境内に鍛冶神社があります。  

          相槌稲荷神社

解説版には次のように書かれていました。

「ここは刀匠三条小鍛冶宗近が常に信仰していた稲荷の祠堂といわれ、その邸宅は三条通りの南側粟田口にあったと伝える。宗近は信濃守粟田藤四郎と号し粟田口三条坊に住んだので三条小鍛冶の名がある。稲荷明神の神助で名剣小狐丸をうった伝説は有名で謡曲「小鍛冶」もこれをもとにして作られているが、その時相槌をつとめた明神を祀ったのがここだともいう。なお宗近は平安中期の人で刀剣の鋳も稲荷山の土を使ったといわれてれる。 謡曲史跡保存会」

追記2:  時間を経て 2021年に和泉流『釣狐』と宝生流『小鍛冶』の録画を観ることができました。

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