2014年の<郡上おどり>

2年連続の郡上八幡での<郡上おどり>となった。郡上八幡を訪れるのは、三年連続である。昨年も無計画の思い立ったが吉日の旅であったが、今年もである。友人が今年は踊りに行くというので、<郡上おどり>のDVDを貸す。そしてはたと考える。ここは2日空いている。ここで、そうだ郡上おどりに行こう。

初めて郡上八幡を訪れた時、郡上八幡博覧館で<郡上おどり>に出会い、DVDを購入。かつて日本舞踊一筋だった友人にDVDを送り付け、彼女ににわか仕込みで習い<郡上おどり>に初参加。今年は出かける3日前に、彼女を誘ったところ「行く!」の即決。誘って良かった。一応、教えを受けたお返しの一部となった。付き合いが長いから突然の誘いにも驚かないし、3回目であるからこちらも旅の先導は出来る。

岐阜から郡上八幡へのバスに乘る人たちの中の一団の女性達は、キャリーバックを引きどうやら浴衣を持参でのおどりの参加の方々のようである。こちらは今回も思い立って突発の旅なので、下駄だけはと思ったが、誘った以上は帰るまでが旅なので、靴での参加とする。

<郡上おどり>は有名なので、観光化していない<まち>と<人々>と<おどり>に友人は驚いて 「こんな所が日本に残っていたの!」 と喜んだり、感嘆したりと忙しい。踊ったあとの感想も。「こんなに無心になって踊れるおどりも珍しい。」 「見ている人がほんの少数ね。」 見物するおどりではない。自分が踊るおどりである。そして、いつしか無心になって踊っているのである。「誰が世話役さんなのか、地元の人なのか、よその人なのかわからないわね。」「基本の形を守って美しい踊り方をしている人が沢山いて凄い。」 よそ者でも踊りに参加させえてくれる場を提供してくれることに感謝しつつ、静かに溶け込んでいく。この美しいというのは、優雅というのとは違う。農耕民族の形と私などは思っている。

この日は、宗祇水神祭(そうぎすいじんさい)の日であった。<郡上おどり>は縁日おどりでもあり、神社仏閣の多い郡上八幡では、自然に夏に多い縁日に欠かせないものとなったようである。7月半ばから9月初めにかけて30夜踊られるのも、町内の縁日に合わせている。 <宗祇水>は、藤原定家を祖とする東常縁(とうのつねより)から和歌を学ぶため宗祇がこの泉のそばに草庵を結んだことに由来してつけられた名である。8月20日には、宗祇忌に合わせ宗祇水神祭が行われ、地元本町の自治会が朝から町内を掃除し、宗祇水も丁寧にみがかれる。町内のかたが、御供え物をあげておられ準備されていた。夕刻には神事が執り行われたようである。常縁と宗祇に因み連句奉納もあるらしい。本町に出る石畳の道には両脇に、句の書かれた行灯が下がり、夜にはほのかな灯りで石畳を照らす。

そして、夜には宗祇水のそばの小駄良川(おだらがわ)で水中花火があり、清水橋から水中花火を楽しむのである。水中花火は初めてである。花火筒に点火して川に投げ込むと、一つの火玉が幾つかに分れ、流れの急なところで、その分散した光の玉が水中を潜っていき水の下から見えるのである。可愛らしい涼やかな光の玉である。 花火の終わった頃、本町では<郡上おどり>が始まる。昨年は岸剱神社(きしつるぎじんじゃ)川祭だったので、郡上城の下の城山公園でのおどりであった。今回は町中でのおどりである。何処の場所でも屋形を軸にその地形に沿った輪が出来ておどりが始まる。最初の歌から参加する。「かわさき」から始まった。やはり足がもたつく。

友人と熱中症になったら困るから水分とろうと言っていたのに、二時間近く隣でおどりながら口を利くこともなく自分の世界に入っていた。今年も<郡上おどり>を現地で踊れた! 別の友人達はこれから現地初おどりである。

東常縁が、郡上を発つ宗祇に送った歌

もみぢ葉の ながるる竜田 白雲の 花のみよし野 おもひわするな

宗祇の返歌

三年ごし 心をつくす 思ひ川 春たつさわに わきいづるかな

 

昨年の郡上おどり

郡上八幡での<郡上おどり> (1) 郡上八幡での<郡上おどり> (2)   郡上八幡での<郡上おどり> (3)

 

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