国立劇場10月 『双蝶々曲輪日記』(2)

『引窓』は、京都の八幡の里での話である。明るい下座音楽で始まる。この里の家は息子が嫁を連れて帰り倖せな時を過ごしている。嫁は元遊女の都でお早と名を改めている。「笑止」と廓言葉を使い、姑のお幸から注意されたりするが屈託がない。濡髪は大阪から逃れ、この母の嫁ぎ先の家でお早(都)とも再会する。与兵衛とお早が夫婦となったのを知り、「同じ人を殺しても運のよいのと悪いのと」とつぶやく。与兵衛も人を切っていたのである。与兵衛は幇間(たいこもち)佐渡七を殺していたが、グルになっていた若旦那の山﨑屋の番頭・権九郎は贋金師(にせがねし)で、相手が悪人であるゆえに罪にはならなかったのである。<新清水の場>で悪人たちのことは明らかにされているので、濡髪の言葉の意味がわかるし、お早が遊女だったこともわかる。

さらに与兵衛の亡くなった父は、庄屋代官で、与兵衛もその役を引き継ぐことになり名も父の十次兵衛を継ぐ。喜ぶ継母のお幸とお早。十次兵衛はさっそくお役目を仰せつかる。十次兵衛が同道した侍は、濡髪に殺された者の関係者で十次兵衛も共に濡髪を捕らえる立場となる。

それを知ったお幸とお早の驚き。喜びは束の間であった。二人の様子にいぶかる十次兵衛。お幸は十次兵衛に、自分の永代供養のために細々と貯めたお金で濡髪の人相書きを売ってくれと頼む。そこまでしてでも欲しい人相書き。十次兵衛は二階にいる濡髪が、継母が養子に出したという実の子と悟る。生さぬ仲の義理人情。次第に事の次第を理解していくの十次兵衛の様を染五郎さんは浮彫にする。夜になったら自分の役目で科人を捕まえなくてはならないと、逃げ道を教え立ち去る十次兵衛。

濡髪は、自分が十次兵衛に捕らえられなければ義理が立たないと思う。逃がしたいと思う母とお早。前髪も剃り落とし変装させるが、未来のある十次兵衛の人生を潰してしまうのかとの濡髪の言葉に考え直すお幸。自分は実の子を捨てても、継子に手柄をたてさせてやらねばならぬ立場であったと濡髪によくいったと言って、引窓の細縄で濡髪を縛る。この時のお幸は、幸せであったと思う。養子にだしていた我が子が、しっかり自分に意見するまでに成長していたのであるから。十次兵衛があらわれ、その縄を切ると引窓が開き、自分の役目は夜だけで夜が明ければ役目も終わったと濡髪を逃がしてやる。継子の自分に対する思いやり。お幸は、かけがえのない二人の息子を手にしながら別れなくてはならない悲しさ。この天井の明り取りの引窓の開け閉めで、夜と夜明けを解釈するところにこの作品の人の心がある。

母親の心を通して、それぞれの立場としての兄弟愛を描いているともいえる。深く思う人々の心の動きを、染五郎さん、東蔵さん、芝雀さん、幸四郎さんが情感をもって構成していった。

<新清水の場>は、桜が満開で華やかな場面となっている。与兵衛は、鳥笛売りで、傘に鳥笛を下げている。その傘で、清水の舞台から飛び降り、空中散歩である。角力場では、濡髪と放駒の衣装の対比もあり、目を楽しませてくれる。そして次第に家族の話しに移って行き、<引窓>でその奥深さを見せてくれるのである。歌舞伎はこのように華やかさと、心理描写を兼ね備えた作品もあり多種多様である。

出演 / 高麗蔵さん、松江さん、廣太郎さん、廣松さん、宗之助さん、錦吾さん、友右衛門さん 他

 

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