『北斎 ボストン美術館 浮世絵名品展』 上野の森美術館

京都国立博物館の「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展で 音声ガイドナビゲーターが、佐々木蔵之介さんであったが、その時思い出した。猿之助さんのナビゲーターもあるのだと。 太田記念美術館 『葛飾応為』 で、まだまだと思っていたら、上野の森美術館で、9月から始まっていたのである。11月9日で終わりである。並ぶのが嫌いな私も開館1時間前から並ぶ。

天才というものは、頭の中から湧きあがるものが、その人を押しつぶしてしまわないかと心配になるほど、次から次へと出てくるものだと呆れてしまう。北斎は90歳まで生きたわけで押しつぶされはしなかったが、その発想と技量は凡人には気が遠くなるような膨大さである。

役者絵から始まって、富嶽三十六景、諸国瀧廻り、花鳥、お化け、百人一首、さらに、切り取って組み立てる組立絵、押し絵のように裏に詰め物をして重ね張りをして厚みをだすようにできるもの、お客の要望の店の包装紙や張り箱絵などの個人的刷り物など、その都度、新しい構図、それぞれの特徴を生かす工夫をしている。それも斬新にである。

そもそも、フェノロッサによって、1892年から1893年にかけ、ボストン美術館で、アメリカで初の日本美術展覧会が開かる。フェノロッサの日本美術に対する貢献度は計り知れないものがある。保存状態も良く、藍色をはじめ実物を見れた満足感に浸れるそのものの色である。次第に館内も混雑してきて一つの作品を長く見つめて居られないし、天才のものを見たからと言ってこちらが天才になるわけではないから、感嘆し、感動し、感心し、どんどん忘れていくしかない。そして、どこかで、またお会いしましたねということになる。その一つが「富嶽三十六景 深川万年橋下」であったりする。

「東海道五十三次 」では日本橋、志な川、川さき、かな川、程がや、戸つか、ふじ沢が展示されている。広重と違い、旅をする人物が主となっている。

花鳥では、花に向かって突進していく鳥類(とんぼ、蝶、つばめ、すずめ等)が印象的であった。枝に止る鳥たちも身体をひねり、ただ鳥を花に対する添え物とはしていない。花は風にゆれるだけであるが、羽のある生き物の風を起こす力も表現している。

歌舞伎の演目に関係したものもあり、「忠臣蔵」(初段から十一段目)などが目を引く。

さてさて、葛飾応為の「三曲合奏図」である。最後に展示されている。<琴><胡弓><三味線>を演奏する女性三人の姿が描かれている。琴を演奏する女性は正面で後ろ向きで顔はわからないが、着物の柄が黒地にすそに蝶が舞い散り鮮やかな色使いである。左上の胡弓の女性は顔は正面で着物は濃い鼠色に黒の格子縞でそでから覗く襦袢に赤を使っている。右上の三味線の女性は横向きで、着物は一番地味で背景の色と同系で色名は表せない。左の女性から考えると、娘、華やかな恋をしている女性、妻女という設定も考えられる。楽器を操る手の指が楽器の違いもあるが、娘は左右しっかりと胡弓を握っていて、恋する女性の指は細く長く踊っており、妻女は右手はバチを握り左の指は三本の糸を押さえ、落ち着きがある。母と二人の娘という設定もなりたつ。これだけ絵はがきを購入したが、眺めているとそれぞれの楽器の音が聞こえてくるようである。それにしても、正面の女性を後ろ向きとは、斬新である。そのことによって、合奏に無心なのか、心ここにあらずなのかなど、色々に想像が働く。応為は面白い。

メナード美術館に問い合わせたところ、葛飾応為の「夜桜美人図」は常設されているのではなく、展覧会の趣旨に合わせて展示されるようである。また、<異才>に会える楽しみが先にのびた。

猿之助さんのガイドナビゲーターは、絵を見つつ、そして、休憩しつつで2回聞いてしまった。一つだけ書いてしまうと、あの有名な高い浪の遥か彼方富士山の「神奈川冲浪裏」を見て、ドヴィシーは「海」を作曲し、ロダンの恋人のカミーユ・クローデルは「波または女たち」の作品をつくったのだそうである。「神奈川冲浪裏」は北斎が72、3歳ころの作品と推定できる。晩年は号を<狂画老人卍>としていたようであるが、<狂>だけでは描けない<真>のあった天才と思う。

 

 

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