歌舞伎座 11月 『すし屋』

『義経千本桜』の中の『すし屋』の段である。平維盛が高野山にいると聞いて、その妻・若葉内侍(わかばのないし)と六代君親子は、吉野を通て高野山へ向かうところでの、吉野下市村での話である。

現在の 下市町のマスコットキャラクターが<いがみの権太>にちなんだ<ごんたくん>である。 熊野三山、吉野、高野山の三大霊場は世界遺産になっている。今週のどこかで、友人は熊野の小辺路を歩いているはずである。奈良の旅を計画していた時、奈良から熊野への、日本一長い路線バスを見つけ、これで、小辺路を歩く足掛かりができたと喜んでいた。今回はその旅はパスさせてもらう。帰ってきてからの報告が楽しみである。

吉野とか高野山とかが使われるのは、霊場の意味も含んでいるのであろうか。武蔵坊弁慶は熊野で生まれたという説もあるようだ。近頃舞台を見ていても、山道が浮かんでくる。江戸の人々は暗い舞台を自然の木々の中として、今よりもっとリアルな気分でお芝居に見入っていたかもしれない。そして、今のように無数にある道とは違って、ここと言えば、ほとんどの人の頭の中では、こことして同じ認識を持てたのである。舞台のすし屋の左手の風景の絵が、奈良の田舎の感じで、よく解っているな、と楽しかった。

その小さな吉野の村に大きな事件が勃発するわけである。平維盛親子の出現である。その凄い方のために、いがみの権太は命を張り、自分の妻子を身代わりに差し出すのである。そして、誤解されて父の弥左衛門に殺される。暗い。重い。と思っていたが、時蔵さんの維盛は安心して見ていれる動きで、維盛を慕うすし屋の娘・お里の梅枝さんが初々しくそれでいて娘のほのかな色気がありなかなかよい。そこへ、父には勘当されているが、母親の右之助が甘くなるのも仕方がない思える、どこか憎めない、いがみの権太の菊五郎さんが登場である。

悪人が改心して、忠臣に目覚めたというのではなく、そんなこと考えてもいなかった親泣かせの子が、ひょんなことからそういう事に巻き込まれてしまった。その感じが面白かった。弥左衛門もお里も納得づくでの自分の行動である。ところが、こうすれば、まあ親父も喜ぶだろうとの気持ちが、権太の妻子は、これで夫の舅への孝行となると後押ししてくれる。その気持ちを受けて仕組んだことが、梶原にはお見通しだったのである。幸四郎さんの梶原は、「親の命より褒美を」という権太を面白いやつとして笑い、だまされているのにゆとりがあり、褒美の陣羽織の内に隠された、維盛を出家させよの歌の暗示で、そうか解っていたのかと納得させられる。

「褒美」の言葉に怒り心頭の弥左衛門の左團次さんは、権太を刺す。そして、真実を知り嘆き悲しみ、そうかそうか、そうであったかと親の情があふれる。

どこかで、親のためにと思っていた権太の気持ちがすし屋のすし桶を隠し場所にしたことが、悲劇の序章である。その時の軽い世話の形の権太からは想像のできない結末となる。このあたりの庶民の雰囲気が、がらっとかわるところが、菊五郎さんの権太であった。

今度、柿の葉寿司を食べるときは、よく味わって食べることとする。

いがみの権太の着付けは黒の<弁慶格子>である。そして、弁慶の着付けは、弁慶格子でなく、<翁格子>である。弁慶が着ているのを<弁慶格子>と思っていました。どこかで間違って書いていたならご勘弁を願います。

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