歌舞伎座 11月 『御存鈴ケ森』『熊谷陣屋』『井伊大老』

『御存鈴ケ森(ごぞんじすずかもり)』は、侠客の幡随院長兵衛と白井権八の出会いである。<御存(ごぞんじ)>と付くのが、皆知っていたという事である。鳥取藩で父が侮辱されたとして、相手を殺し江戸に逃げてくる。前髪の美しいお尋ね者と、江戸で男の中の男として人気の幡随院長兵衛とを、会わせて並べようとの趣向である。それも、権八が後に処刑される鈴ケ森で会わせるのである。権八の菊之助さんは若く美しく、たむろして賞金目当てのならず者たちを相手に優雅に切り倒していく。

その様子を駕籠の中で見ていた幡随院長兵衛の松緑さんが声をかけるのである。「お若けえの お待ちなせえやし。」声も良いし、駕籠からの出方もよいが、どうしても貫禄を要求してしまう。血気はやる若者を、まあ、まあ、まあ、となだめつつそこに留まらせる大きさである。特に短い場面では、そこが難しい。どうしても、同世代に見てしまう。ところが、同世代でも、年齢がいくと、芸で若さと貫禄を作りあげてしまうのである。今月の松緑さんは、何か粛々と役の心根を探られているように映る。

『熊谷陣屋』で今までと違う印象を持った。熊谷の幸四郎さんが出家して、花道にきて、「ああ十六年はひと昔。夢だ。夢だ。」と嘆くとき、何気なく舞台を観た。煌びやかな衣装を着て並ぶそれぞれの立場の人が熊谷を見つめている。その時、十六年を小次郎と重ねて子を想う親心だけではなく、そうか、今いる熊谷の位置からすると、舞台側は夢なのだ。その世界から自分は今こそ抜け出したのだ。という想いが伝わって来た。そして、戦闘の音に身構え、そんな自分に苦笑する熊谷。

熊谷が本当に抜け出すには時間を要したであろうが、舞台と花道は違う世界になったという二つの世界がはっきりと分かれて見えた。そうしなければ、生きていけない熊谷の苦しさ、そうした状況の人々の代弁者としていの幸四郎さんの熊谷がそこにいた。今まで演じていた舞台の人々が美しくも哀しい亡霊のように思えた。不思議な感覚であった。相模(魁春)、藤の方(高麗蔵)、弥陀六(左團次)、義経(菊五郎)

『井伊大老』は、井伊直弼(吉右衛門)の心情を側室のお静(芝雀)に語ることによって、直弼の人間性を浮き彫りにする作品で、北條秀司作である。北條さんの作品は、歴史的人物の公の姿とは違う心情を表現して見せるのが上手い。そして、吉右衛門さんと芝雀さんも、今となっては望んでも戻らぬ慎ましかった埋木舎での生活を懐かしみ、息の合った情愛を伝える。正室の昌子の方(菊之助)には言えないことでもお静には本心の苦しみを吐露できる直弼。直弼を討とうとして失敗した水無部六臣(錦之助)に、攘夷派は帝を自分たちの思想に利用しているだけなのだと諭す直弼。これから将来ある若者たちの助命を長野主膳(又五郎)にうったえる直弼。直弼の死を予感する仙英禅師(歌六)。その渦中にあって、国賊となることの無念さをお静に語る。お静は「それでよいでは。」と答える。直弼は、その言葉に捨石となる決心をし、桜田門外で討たれ最後に「大義をあやまるな。」との言葉を絞り出す。吉右衛門さんは公私の直弼を表裏をきちんと出された。

今月は、家来が若手で、顔の作りもよく、動きも綺麗で舞台に張りがあり緊張感が増し、見ていて気持ちがしっかりした。

廣太郎さん、種之助さん、廣松さん、隼人さん、萬太郎さん、巳之助さん、宗之助さん

 

 

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