歌舞伎座 八月 『京人形』『芋掘長者』『祇園恋づくし』

『京人形』はかつて観たとき、面白い作品とは思えなかったが、今回は面白かった。その第一の要因は、七之助さんの人形である。左甚五郎(勘九郎)が廓で見た太夫が忘れられず自分で太夫の人形を彫ってしまうのである。そして出来上がった人形を前に、本物の太夫と逢っている気分を味わうのであるが、この時は女房(新悟)も気をきかしてお酒を用意して人形と夫だけにしてやるのである。

人形の箱を開けると太夫の人形が現れる。この場面の人形(七之助)がいい。箱から出しこれからお座敷遊びと甚五郎はわくわくである。ところが、さらに嬉しいことにこの人形が動くのである。甚五郎が彫った人形なので、動きが男の動きである。そこで、廓で拾った太夫の鏡を人形の懐に入れると太夫の動きになり、甚五郎は太夫との逢瀬を愉しむのである。この、人形の動きの変化が、人形の基本を保ちつつ甚五郎と共に観客をも楽しませてくれる。

もう一つの話しが隠れていて、甚五郎は元ご主人の妹(鶴松)を匿っていて立ち回りとなる。この立ち回り、甚五郎は右手を切られ左手での大工道具を使っての動きとなる。左甚五郎にかけた立ち回りで、勘九郎さん爽やかにきめた。

『芋掘長者』。十世三津五郎さんが、45年ぶりに復活させた演目で、これから再演されて深めてゆく作品であった。この作品、再び一に戻っての形となった。踊りの腕の見せ合いという作品で、そこの部分が難しい作品である。芋掘りを踊りを加えることにより笑いとなるのであるが、踊りの上手さの落差も出さなくてはならない作品で難易度の高い作品と思う。芋掘り(橋之助)がお姫様(七之助)を好きになり、姫の婿選びの舞いの会に、踊りの上手い友人(巳之助)にお面を付けさせ代わりに舞わせ上手くいくが、もう一舞い所望されて芋掘り踊りを踊り、その面白さに姫に気に入られるのである。橋之助さんと巳之助さんのコンビ、味は薄いが爽やかであった。

『祇園恋づくし』は、上方と江戸の文化や人柄の違いのぶつかりあいが如実に現れる作品で、言葉、仕草、間などの相違が面白、可笑しく演じられた。

江戸っ子の代表が勘九郎さんで、上方が扇雀さん。扇雀さんは、茶道具屋の主人と女房の二役でこれが上方の男と女をもきちんと見せてくれて二役の効果が上手くいった。勘九郎さんも上方で一人で江戸っ子奮闘記で頑張り、その頑張りもウケる。その間に入って、お嬢さんと駆け落ちしようとする手代の巳之助さんが、あんたは何なのと思わせる弱者の自己主張が笑わせる。歴代三津五郎路線にはない空気である。

この作品は、勘三郎さんと藤十郎さんに当てて作られた作品らしいが、新たな違う面白さを出したのではなかろうか。

場所が京の三条で、時間が祇園祭りの時期で山鉾当日の床でのやり取りもある。祇園祭りはよくしらないが、色々な行事が一か月あるのだそうで、こちらは、中村錦之助さん(萬屋錦之助)の制作した映画『祇園祭』を是非観たいと思っている。年に一回京都の京都文化博物館のフイルムシアターでだけで上映されるのであるが、なかなか日にちが合わない。ここのシアターは、かなり以前から京都に行って予定の無い夜利用させてもらっている。

京茶道具屋の次郎八(扇雀)は江戸でお世話になった息子の留五郎(勘九郎)が伊勢参りに来たおり京に寄るよう誘い、留五郎は次郎八宅に世話になる。祇園祭とあって次郎八は忙し忙しいと言って出歩いている。お祭りだけではなく、芸妓染香(七之助)に逢うのがお目当てなのであるが、染香は渋ちんの次郎八を上手くあしらい他に旦那がいるのである。お茶屋の女将(高麗蔵)の雰囲気もいい。

次郎八の女房おつぎ(扇雀)の妹おその(鶴松)は手代の文七と恋仲であるが許されずひょんなことから、留五郎は若い二人の肩を持ち、おつぎに染香のことを、教えてしまう。それを知った次郎八と留五郎は犬猿のなかとなり上方と江戸の自慢とけなし合いとなり、祇園囃子と江戸の祭り囃子の競争になったりもする。

ちとら江戸っ子が、祭りを一か月も悠長にやってられるか。何んといっても祇園囃子どす。コンチキチン・・・。てやんで。テンテンテレツク・・・。

間のいい丁稚や、江戸っ子が嫌いな女中なども配置され緩急自在な上方と江戸のリズム感や言い回しの違いが楽しめる。夏の夜、お江戸の芝居小屋に京の鴨川の風が渡る。

仁左衛門さんが重要無形文化財保持者(人間国宝)となられ、より一層、上方の芸が若い役者さんに伝わり、江戸と上方の歌舞伎のそれぞれの面白さが浸透することであろう。

八月納涼歌舞伎に出演できることは、若手の役者さんにとっても、良い汗をかく価値ある機会である。

 

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