国立劇場 『研修発表会』『伊勢音頭恋寝刃』(2)

『研修発表会』の『伊勢音頭恋寝刃』は<古市油屋店先の場><古市油屋奥庭の場>である。若い役者さんだけではなく、いつもは脇を固めておられるベテランの役者さんも大役に挑まれる。

福岡貢(中村亀鶴)、仲居お万(中村鴈之助)、油屋お紺(中村梅丸)、料理人喜助(松本錦弥)、今田万次郎(中村春之助)、油屋お岸(中村春希)、油屋お鹿(中村東志也)、仲居千野(中村蝶紫)

春之助さんの万次郎を見たとき、〔つっころばし〕というのは難しい役どころだと思った。これは時間のかかる役どころである。貢は〔ぴんとこな〕といわれる型で、柔らかいのであるが、武士の一面をものぞかせるといった役で、亀鶴さんは強さの中に柔らかさがあるといった配分であった。梅丸さんのお紺は、幼さが見受けられ若すぎると思ったが、貢に愛想づかしをするあたりから、乗ってきて不自然ではなくなっていた。鴈之助さんのお万と亀鶴さんの貢とのかけひきも体形的に立派なので上手く見せてくれる。

梅丸さんが、折り紙を貢にぽんと投げるところなどは、幼さが却ってよくやってくれたと思わせる。名刀・青江下坂を抜いてからの亀鶴さんは、妖刀に操られているといった感じを強く出し、刀に引っ張られる感じで、それはそれで面白かった。一回の舞台であるからか、全てを出し切りたいとの思いが強いであろうが、動きは丁寧に次第に芝居に乘って来る感じで邪念なく演じられていたようで、気持ちのよい舞台となった。それぞれが、自分もモチベーションに力を尽くし、それが芝居の形を上手く作り上げ見応えある舞台となった。

『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃』は序幕から初めてであるから興味津々である。油屋のお岸(梅丸)等を連れての今田万次郎(高麗蔵)の花道からの出、放蕩好きの頼りない万次郎を高麗蔵さんがよく表している。この後も、そんな頼りなさでいいのと思わせる程のつっころばしである。将軍家に献上する名刀・青江下坂は質に入れ売り払われ、折紙(おりがみ・刀の鑑定書)は持っているから、刀を捜すようにと奴・林平(亀鶴)にいうが、その折紙も侍に化けた阿波の商人に騙し取られてしまう。

伊勢の御師で、万次郎の叔父・左膳(友右衛門)の配下である貢(梅玉)は、左膳に刀を捜すよう頼まれる。貢の実家は今田家に仕えていたことがあり、貢は今は御師の福岡孫太夫の養子となっていた。左膳の逗留する宿で、貢と万次郎は会い阿波国のお国騒動の絡んでくるのがわかる。

奴・林平は、万次郎のそばにいた大蔵(錦弥)と丈四郎(梅蔵)が裏切者であることを知り、敵がわの密書を手に入れるべき大蔵と丈四郎との追い駆け合いとなり可笑しさを誘う場面となる。亀鶴さんは、研修発表会も終わったためか弾けていた。

貢も加わり、夜明け前の二見ケ浦でのだんまりは綺麗に決まっていた。夫婦岩から朝日が差し手に入れた密書を貢が読むというこれまたユーモアに富んだ場面となる。

貢養子先での場<太々講>である。養父の孫太夫は留守で、弟の彦太夫(錦吾)の甥・正直正太夫(鴈治郎)が、孫太夫の娘を口説いたり、今田家の敵側から刀を手に入れば侍にするとの密書が届いていたため、貢の伯母・おみね(東蔵)がまだお金を払ってはいないが、青江下坂を持参していたのを、手に入れようとする。その為、太々講の奉納金を盗んだりと大忙しである。そこには、油屋のお紺(壱太郎)も貢を訪ねてきていてややこしいことになっているが、伯母はお紺に貢のことを頼み、名刀・青江下坂のいわれを話す。この刀を手に入れた貢の父はその刀で人を斬ってしまい、子孫まで相性が悪い刀だから、心して扱うようにと伝え聴かす。

この刀のいわれと、お金も無いのに刀が貢の手に入るのが、ここでの面白さで、狂言回しが正直ではない正直正太夫の役どころで、あたふたと軽妙に鴈治郎さんは演じられる。

これで、貢と刀との関係、お紺との関係、万次郎との関係が明らかになり、後は、刀を早く万次郎に渡し、折紙を捜すことである。ここから、油屋の場へと移るのである。先は見えてきているのに、油屋の仲居万野がそこに立ちはだかってしまう。父がここ刀で人を斬ったのも、朋輩に罵らからであり、貢も同じ道を歩むこととなる。今度は、お紺の心を知らずに、衆人の中でお紺にまで愛想づかしをされたという義憤が加わり大勢の人を斬り殺す結果となってしまう。

お鹿の松江さんは、身体は女形としてはスムーズではないが、声が女形としても自然の声で台詞はよくわかった。お鹿の出をじっと待って愛想づかしの壱太郎さんの一途さがある。お岸の梅丸さんは、今度は健気に、貢さんの怒りを静めようとする。

貢は武士の出といっても早くに養子に出ているわけで、自然な身体の柔らかさの中に主に仕える志がうかがえる。魁春さんの万野とのやりとりも上手く相対している。伯母に刀のことを言われながらも、違う刀を手にしていると思っているわけで心ならずも妖刀に引きずられていく。

通しで観ることによって、油屋の場面の因果関係がより明確になった。お紺の愛想づかしも、<太々講>で伯母に認められ、ここで貢さんのために何かしなくてはとの想いがあったから、後でことの次第を話せばよいと考えたのであろう。しかし、刀への作用が違う方に傾いてしまうのである。貢と万野のやり取りにしても、可笑し味を誘い、この演目はそうした可笑し味を多く取り入れつつ終局にもってくるように計算されて構成されているのである。

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