国立劇場 『日本の太鼓』

国立劇場での企画公演『日本の太鼓』が9月24日25日の二日間おこなわれた。残念ながら24日しか観覧できませんでしたが、日本の民俗芸能の深さと新しさを堪能させてもらいました。

太鼓を劇場で聴いたのは、山下洋輔さんと林英哲さんのセッション、玉三郎さんと鼓動共演の『アマテラス』、長唄の伝の会での太鼓とのセッションは記憶に残っています。林英哲さんは他でも聴いたような気もしていますがはっきりしません。あとは友人が太鼓を習い始めその発表会に本人の出番は絶対に来ないでとのことなので、その指導の方たちの出番の時間に聴きににいったことがあります。

その友人の練習の話しで腕を伸ばすように言われるけれど、しっかり伸ばすと打つのが遅れてしまうというのを思い出しなるほどと思って見ていました。皆さん綺麗な態勢で打たれていますが、それだけの修練をしてのことなのでしょう。そして以前よりも、そのリズム感と強弱を快く受け入れている自分がいました。

鶴の寿』『八丈太鼓』『尾張新次郎太鼓』『石見神楽 大蛇』『千年の寡黙2016』『七星

鶴の寿』は国立劇場開場50周年を祝してこの公演のために邦楽のお囃子方の藤舎呂英さんが作られたもので、曲は鶴の飛来、朝焼けの景色、五穀豊穣と泰平の世という三章からなり、舞台は太鼓を中心に据え、鼓でそれを末広がりに位置するという構成で見た目にも新鮮でした。

パンフは読まないで曲の内容は気に留めず、ただ、音に聴き入っていました。途中で唄が入りましたが詞が聴き取れなかったので、声も一つの音として聴いていました。音が空気を押し開いていくような感じでした。(藤舎呂英連中)

八丈太鼓』は、聴いていると八丈島へ行きたくなります。パンフの説明によると関ヶ原で敗れた宇喜多秀家公が流された島でもあります。「八丈太鼓は、武器(刀)を失った流人が、その鬱憤を二本の桴(ばち)に託して打ち鳴らしたもの」でもあるとのこと。お祭りの太鼓として聴いていましたが、一つの太鼓を両面で二人で打ち軽さよりも重層感に充ちていましたので、説明を読んでなるほどとおもいました。(八丈太鼓の会)

尾張新次郎太鼓』は、友人の指導者が愛知出身で小さい頃から太鼓をやっていたらしく名古屋は盛んらしいと聴き、どうして名古屋なのか、太鼓といえば島とか漁港とかだろうにと思っていたので引きつけられました。そろえた膝から上半身を立て中腰で太鼓を打つのを初めて見ました。右に長胴太鼓、真正面下に締太鼓(しめだいこ)を置き、左右のバチで連打するのです。そしてバチをくるくると手の指で回しながら打つということも加わわり曲太鼓といわれています。落としてしまうこともありますが、すぐ用意しているバチを持ちあっという間に何事もなかったように進みます。これも見事でした。

説明によると、愛知県の西部、尾張の地で育まれた熱田神宮の神楽から発生しており、秋祭りを復活させることに生涯を捧げた西川新次郎の名前に由来していて、それを保存されているのです。

もともとは個人打ちだったのが、昭和55年の国立劇場『日本の太鼓』出演以来数人による揃い打ちが主流となったということで、揃い打ちのほうが見応え、聴きごたえがありました。このように劇場から新しい形態が発生していくのも継承にとっては刺激となり良いことです。

曲太鼓は江戸時代の名古屋城下町を取り囲むように、その北部から西部の農村地域に分布する太鼓芸ということで、愛知と太鼓の盛んな関係がわかりました。(尾張新次郎太鼓保存会)

熱田神宮は旧東海道歩きのとき、予定を完歩してから友人の御朱印もあるので寄ったのですが、駅から想像よりも遠い位置に入口があり、二箇所で御朱印が貰えてその場所が離れており、慌ててお詣りをして走り廻り時間内に無事御朱印を貰えた思い出があります。走りの熱田神宮でした。

石見神楽 大蛇』(いわみかぐら おろち)は、チラシに作り物の大蛇が写っていたのでこれまた楽しみでした。石見神楽は島根県西部石見地方に伝わるもので、明治になって神職演舞禁止令がでて土地の人々が受け継ぐことになったのですが変化しすぎたので国学者たちによって神楽台本が改訂され今に至っているそうで、神話を基本にしたものが中心で今回は「ヤマタノオロチ」を主題としていました。

人が中で操作する八大蛇が出て来て神楽に合わせて激しく動きまわります。ジャバラの部分をつかんで操作するのでしょうかトグロを巻いたり、八大蛇が絡み合って造形したりと見どころ満載でした。

村人が四つの桶にお酒を入れておきますとそれを上手く飲み廻し酔った所で須佐之男命が滅ぼしてしまうのですが、村人や須佐之男命が大蛇に締められてしまったりする場面もあり物語性の強いものです。大蛇の首が抜けるようになっていて、須佐之男命は八つの首を斬り並べます。胴体だけの大蛇は幕の中に消えていきます。早いテンポの神楽と見応えのある「大蛇」でした。(谷住郷神楽社中)

同じような主題で歌舞伎舞踊『日本振袖始』があります。玉三郎さんの踊りはシネマ歌舞伎にもなっています。

新藤兼人監督の『一枚のハガキ』にもこの大蛇が出てくるので、再度DVDを見直しましたら、新藤監督は故郷の広島の神楽で見ていたので映画に挿入したようで、広島にも石見から伝わった芸能が継承されていたのです。

最後がプロの林英哲さんの独演『千年の寡黙』と英哲さんと英哲風雲の会の九人による『七星』の太鼓でした。『千年の寡黙』は靜と動、弱と強、高低の音、テンポの相違などの流れを身体に受けつつ聴きいりました。『七星』のほうは、九人の太鼓の響きをズドンと受けてその豪快さが心地よい振動となって伝わってきます。心を空っぽにしていましたので、その時だけ受ける音を楽しませてもらいました。

忘れていたように置いてけぼりされていたCD『英哲』を聞き直しましたが、尺八、能管、篠笛、手振鉦も加わり、時間の経った音も新鮮に味わえました。古さ新しさって何なんでしょう。

25日の演目は『鶴の寿』『佐原囃子(さわらばやし)』『気仙町けんか七夕太鼓』『沖縄エイサー』『千年の寡黙2016』『七星』でしたが、聴けなくて残念。

劇場での伝統芸能は閉じこめられ閉ざされたようにイメージしますが、身体的には楽に沢山の場所を集約されて比較もでき、それぞれの地域を想像の世界に誘い良いものです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です