東京国立博物館『禅 心をかたちに』 映画『禅 ZEN』

11月27日に終わってしまった国立博物館での特別展の『禅 心をかたちに』へ行ったのですが、捉えどころがなくて書きようがなく気にかかっていたのです。

劇団民藝『SOETSU 韓くにの白き太陽』の登場人物、浅川巧さんの映画『道~白磁の人』(監督・高橋伴明)から高橋伴明監督の映画『禅 ZEN』が出現。勘九郎さんが勘太郎時代の映画で、今は観たくないの枠に入っていたのですが、特別展の『禅 心をかたちに』がぼやけているので見ることにしました。

宗教家の伝記映画は、命をかけて修業をし仏の教えを受けて伝導するもので、ほとんど泣かされてしまうパターンとしてわかっているので避けていたのですが、少し解りやすい形で禅を伝えて欲しいとの想いもあったのです。

特別展の『禅 心のかたち』は臨済宗とその流れをくむ黄檗宗(おうばくしゅう)で、京都の萬萬福寺へ行った時には聞きなれなかった黄檗宗がわかりました。萬福寺はJR奈良線黄檗駅から近いので行きやすいお寺で、山門も建物も中国風でお腹の大きな布袋像があって<まんぷく>と重なって親しみやすさがあります。

東博にも来られていましたが、羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)像は、お腹のなかを手でばーっと引き裂いて見せていまして、中に仏さまの顔があり、自分のなかに仏がいるのだということを示しています。最初みたときは驚きます。この黄檗宗は江戸時代に中国から伝わっています。

禅宗が中国から伝わり広まるのは鎌倉から南北時代で京都五山といわれていますが、南禅寺はその五山の上の別格で、そういう意味でも石川五右衛門と南禅寺の山門には劇中の権威に対する思惑が含まれています。この件、かなりしつこいですが。

臨済宗での功名な祖師たちの肖像や肖像画などが多くありましたが、そのあたりはよくわかりません。書や教本などもさらさらとながめました。一応音声ガイドは借りたのですが。

禅のはじまりは<達磨(だるま)>です。インドから中国に渡来します。雪舟さんの絵には、座禅する達磨に自分の腕を切り達磨に入門を願う僧の絵がありました。国宝です。たとえ腕がなくなったとしてもという決意をあらわしているのでしょうが、白隠さんの絵のほうがユーモアがあっていいです。

白隠禅師は日本臨済宗の教えを完成させた祖といわれているんですが、殴り書きみたいに多くの禅画を描かれていて人気のあるかたです。大きな顔のみの達磨の絵。「富士大名行列図」には、<参勤交代は庶民を苦しめる浪費>と書かれてありまして、ユーモアがあるのに鋭さもあります。

臨済宗の祖は、中国唐代の臨済義玄(りんざいぎげん)で、絵によると恐ーいお顔をされています。「喝(かつ)!」と一声を発した荒っぽさもあったとか。

気に入った禅僧の肖像画は、愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)さんです。出世をのぞまず質素な生活をされたそうで、その姿絵は、右腕を挙げた手は頭頂にあてられ熊谷直実の花道での嘆きの姿ですが、直実とは違って、こまったなあ本当に絵にするのといった感じです。座っている椅子は節だらけで、下に置かれている沓はわらでできているようです。<こころをかたちに>がわかりやすい絵姿でした。

こんなのもありました。源実朝が二日酔いのとき、栄西(ようさい)が茶と「茶徳の書」を献上したという逸話があると。

源実朝を暗殺し、三浦一族に殺されてしまうのが実朝の甥の源公暁ですが、この公暁が映画『禅 ZEN』の道元の友人として出てくるのです。となるとなんとなく時代はわかるとおもいます。さて、映画のほうに移ります。

道元は禅宗のなかの曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖です。

原作が小説なので、史実のほどはわかりませんが、道元にとって、公暁はいつも心のなかにいたことがラストでわかります。流れの筋はわかりやすく流れています。道元は留学僧として中国の宋に渡ります。そこで自分が教えを受けたい師をもとめついに巡り合い悟りをひらきます。

日本にもどり自分の学んだ禅宗の布教を共に修業した僧とはじめます。さらに宋で公暁と似ていて、道元が公暁!と呼びかけた僧も日本に渡ってきてくれます。ただひたすら、座禅による修行です。そして、そのままを受け入れる修業でもあります。

布教が広まると比叡山の僧に迫害を受け、越前に移りそこでつくられたのが永平寺なのです。生活のために身を売る女との問答、時の天下人・北條時頼との問答など、勘九郎さんの道元は台詞に落ち着きと信念があって涼やかです。時頼に鎌倉に残るようにいわれますが、越前の小さな寺が自分の場所であるとしてことわります。

台詞の声を聞きつつ、勘三郎さんの響きが時々あり、そのへんで押さえておいてと思いました。勘三郎さんの響きが多くなると、動きが違ってくるような気がするのです。自分の領域を多くしておいて欲しいです。『二人椀久』も『京鹿子娘五人道成寺』もこの道元の静かな表情が基本でいいのかもしれません。

座禅の時へその前で手のひらを上にむけて両手を重ね、親指の先を接する印相は禅定印(ぜんじょういん)といい、その空間に仏さまがいるのでそうです。子供が手のひらを毬を上と下ではさむような形にしていて、「それは違いますよ」と注意されるのですが、「雨が降っていますから」といいます。そこには小さな道元がいました。

人の進む道はそれぞれの空間に生じるわけで、それぞれの修行の道です。到達点はなく、とどいたと思ったらまた進まなくてはいけないのです。

体験しましたが座禅をして無になるのは大変です。感じて考えてあちらにふらふらこちらにふらふらしているのが今はいいです。

なんとか<禅>もつたないまま終わらせられました。

監督・脚本・高橋伴明/原作・大谷哲夫(「永平の風 道元の生涯」)/音楽・宇崎竜童、中西長谷雄/出演・中村勘太郎(現勘九郎)、内田有紀、藤原竜也、テイ龍進、高良健吾、安居剣一郎、村上淳、勝村政信、鄭天庸、西村雅彦、菅田俊、哀川翔、笹野高史、高橋恵子

 

 

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