新橋演舞場『舟木一夫特別公演』

友人と暖かくなったら会いましょう、涼しくなったら会いましょうと言っているうちに一年が過ぎ、はや年末であります。今年のうちに会いましょうと、新橋演舞場での観劇となりました。

一、『華の天保六花撰 どうせ散るなら』 二、シアターコンサート

天保六花撰とは、河内山宗俊、片岡直次郎、三千歳、金子市之丞、暗闇の丑松、森田屋清蔵の六人のことらしいです。

歌舞伎では、河内山、河内山の弟分の直次郎、直次郎の情婦の三千歳、三千歳を想う市之丞、直次郎の弟分の丑松といった関係で登場しますが、今回の芝居は全くそれにこだわらず、6人が、自分たちの面白いと想う生き方をしようという無頼の徒のお話しです。筋書は市之丞が考えます。

金子市之丞(舟木一夫)、河内山宗俊(笹野高史)、片岡直次郎(丹羽貞仁)、森田屋清蔵(外山高士)、三千歳(瀬戸摩純)、丑松(林啓二)

市之丞の道場に、宗俊がある藩の家老・北村大膳(小林功)を案内してきます。「さあ、さあ、さあー」と。笹野の<ささ>と音をかけているらしいのですが、こちらは、出始めから河内山が北村大膳を案内してきてどうするの、「ばかめ!」はこの芝居にはないのであろうかと思いました。そこは齋藤雅文さんのこと、これが上手く回っていくのです。

北村大膳は松江藩の家老で、その松江藩のお殿様(真砂京之介)相手に、河内山は高僧に化けて直次郎の許嫁の腰元・おなみを助けに行くのですから。河内山は行きたくありません。河内山は市之丞にぼやく、ぼやく、超ぼやくです。すでに大膳に顔は知られていてウソが発覚する確率は高く、ウソとわかると命は無いものと思ったほうがよいのです。

河内山ぼやきつつも、知恵者の市之丞から人差し指を一本出されたり、「ご老中」とのヒントをもらうと、まあ弁の立つこと、見得まで切ってしまいます。笑ってしまいます。

笹野さんが河内山宗俊をすると聞いたら、勘三郎さんはきっと「え!」と言って面白がったことでしょう。「あなたが演るなら、私も演りますよ。その時は観に来てくださいよ。」と言われたとおもいます。

河内山は市之丞の作戦通り「ばかめ!」とのたまって花道を去ります。なるほどこうくるのかと流れの自然さに拍手です。

もうひとつ大きな人の情の流れがあります。直次郎の母(富田恵子)が、田舎からでてきます。直次郎は母に殿様になっているとウソをついており、市之丞の発案で天下の影の実力者である中野石翁(里見浩太朗)の別宅を拝借するのです。この直次郎親子と市之丞に生じる情愛。

そして、勝手に屋敷を拝借したことが石翁に知れてしまいます。筋を通す市之丞と石翁との心に通う後戻りできない人の世。家斉の死によって石翁は権力が失墜し老中水野忠邦の改革の時代で、そばに仕えていた者が忠邦の実弟で(田口守)屋敷には捕り方が。

石翁の中に自分と同じ無頼をみた市之丞は死に場所をみつけます。そして、そこには、河内山と丑松もいました。空には守田屋の上げた花火が大きな音をたてます。

最後の<どうせ散るなら>の立ち廻りは圧巻です。久しぶりに時代劇映画の実践版を楽しめました。捕り方の六尺棒の扱いに動きがあり、そろって床に倒す音もきまり、舟木さんも美しくきっちり受けを決められ殺していきます。

市之丞と石翁の場面も、時代劇の良き時代の空気が漂い、時代劇ファンにとっては、見る機会の少なくなってきた風景の生の舞台と思います。今の若い人たちの殺陣とはまた違った息があります。

笑いあり、涙あり、立ち廻りあり、豪華な舞台装置と、若い人では出せない芝居となりました。

ピンポイントで面白いこともありました。直次郎の母が、直次郎の座っている椅子を、和尚さんの座るような椅子に座ってというのですが、まさしくで、台詞細かいと思いました。京橋のギャラリーで和紙展をみてきましたので、舞台の行灯、唐紙、障子、市之丞が盃を拭く<和紙>の果たす効用などにも目がいきました。

流れる音楽にも注目です。

作・齋藤雅文/演出・金子良次/その他の出演・伊吹謙太郎、川上彌生、近藤れい子、真木一之

二、『シアターコンサート

こちらは、あっけにとられていました。どうしてこんないい声がでるのであろうかと。友人は高橋真梨子さんのファンなのですが、舟木さんの歌を聞いて、コンサートのあと「これは相当訓練しているわよ。それでなかったら、芝居のあとにあんな声出ないわよ。舟木さん歌い方変えたわね。舟木さんは音を長くつなげる歌い方で、こんな響きのある歌い方ではなかった。もともとじょずな人だけど、今の歌い方のほうがいい。」といっていました。

私は柳兼子さんの「みなさん、年を取ると歌えなくなるのではなくて、歌わなくなるんでしょ」の言葉を思い出しました。

舟木さん歌の途中でトークしてくれましたがよく覚えていません。A面とB面のとき、A面はこういう流れでいこうという指針があっての曲が多いですが、B面はそれに比べると結構その流れでないものがあって面白いものがあるとそんなことを話されていました。

コンサートも重くならずに、流れがよく声の響きを愉しませてもらっているうちに終わってしまいました。歌って芝居より儚いものですね。

友人も行きたいとは言ってくれましたが、暮れに時間をとらせて満足してもらえなかったらどうしようと案じましたが、愉しんでくれてホッとしました。私も、齋藤雅文さんの舟木さんとの三部作見れたので、一丁上りです。

友人がこんなことも言ってました。「里見さんは流石の貫禄ね。でもいつも変わらないのよね。この方、天狗にならないのよ。」言われてみるとなるほどと思いました。

かつての時代劇映画見始めると止まらなくなります。年末には厳禁です。

 

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