国立劇場『仮名手本忠臣蔵』第三部(1)

三カ月続いた忠臣蔵も終わりの月となりました。三ヶ月に分けてということでしたので上演時間にもゆとりがあるためでしょうか、ラストは、浮世絵に出てくるような引き上げの場となりました。

道行旅路の嫁入り

加古川本蔵の妻・戸無瀬(魁春)と娘・小浪(児太郎)が、許婚の大石力弥のもとへ行く旅路です。舞台の後ろの背景と竹本を聞いていますと、東海道を使って京の山科へとむかっているようです。詳しく知りたいので上演台本を購入しました。

松並木から富士山の姿となり、薩埵峠(さったとうげ)、三保の松原、駿河の府中、鞠子川、宇津の山、島田、吉田、赤坂、琵琶湖の浮見堂、庄野、亀山、鈴鹿越え、土山、石部、大津、三井寺、山科へと、こんなにたくさんの宿場名がでていました。富士山からは煙が出ていたころのようです。

この舞踊は観かたを誤っていたのかもしれません。次の『山科閑居の場』での内容が頭にあって、『道行旅路の嫁入』も悲劇的に捉えてしまいますが、まだ先の運命はしらないのですから、もうすこし愉しむ気持ちで受け取ったほうがよいのかもしれません。

小浪の児太郎さんは力弥に会えるのですから嬉し恥ずかしで振りも一生懸命です。戸無瀬の魁春さんは歌右衛門さんの面影が垣間見られましたが、義理の母親ということもあって責任感のためか老けた感じでした。反対にここは生さぬ仲の娘と、旅で出会う様々なことを楽しむということでもいいのではないかとも思いました。

そして『山科閑居の場』できりっと母の腹を見せるというかたちで、その想像できなかった変化と闘う姿として強調されてもいいような気がします。<限りある舟急がんと、母が走れば娘も走り>のところが戸無瀬について走る小浪も可愛らしく一瞬たのしかったので、『道行旅路の嫁入り』の台本の全体像から考えて、娘のための旅で初めてこころが通い合う時間とも考えられました。

自分の中でも、もう一回考え直したい作品の一つとなりました。

師走に舞台での思いがけない東海道中の再現に出会い、友人の個人的事情から鈴鹿越えは残っていますが、東海道中の今年の締めとなりました。

山科閑居の場

<雪転し>から始まりました。祇園から一力の女将(歌女之丞)等を連れて山科の自宅に帰る由良之助(梅玉)、大きな雪の玉を転がしつつのご帰還です。むかえる妻のお石(笑也)がお茶をだすと無粋と言われます。せっかくの酒が覚めるということですが、栄西が二日酔いの源実朝にお茶を出したのいわれを思い出しました。

<雪だるま>といえば胴とその上に乗せた頭で<だるま>となりますが、台詞に<雪まろめ>の言葉があり、コロコロ転がしていくうちに大きな雪の玉となることをいうのですね。素敵なことばです。

その雪まろめに対して由良之助は、力弥(錦之助)に何と思うかと聴きます。この由良之助と力弥の問答、さらに、この場の終焉に大きな意味を持って雪まろめは出現するのです。

戸無瀬(魁春)と小浪(児太郎)大石宅に到着です。戸無瀬はどんなことがあろうと小浪を力弥に嫁がせる覚悟です。それに反しお石はつれなく力弥に代わって去るとしてその場を立ち去ってしまうのです。戸無瀬の帯に差した扇子が真ん中にあって、これは、主人本蔵に代わってという意味で刀を持参していて、その刀を差す場所をあけているということなのでしょう。

残された戸無瀬、義理の母ゆえかと自刃を決意し、小浪は力弥に捨てられては生きて行けぬと母の手で死にたいと申し出ます。ふたりはお互い納得し、母は娘に刀を振り上げます。今回嬉しかったのは早い段階で自分の耳が虚無僧の尺八の音をとらえたことです。気にせず舞台に集中していたのですが、ふーっと音が入ってきたのです。「やったー!」です。

「御無用」と二回声がかかり、戸無瀬は虚無僧の尺八の音かと戸惑いますが、止めたのはお石でした。二人の心意気に免じ祝言を許すというのですが、差し出す三方へ本蔵の首が欲しいというのです。

凄い展開です。主君塩冶判官が本懐を遂げられなかったのは本蔵が止めたからで、そんな男の娘と力弥をそわせられるかということです。

そこへ虚無僧に身を変え尺八を吹いていた本蔵(幸四郎)が現れ、お石を愚弄しお石は槍をとります。しかし女の身にて本蔵にあしらわれてしまいます。母を助けるため力弥が飛び出し本蔵に向かいます。ところが、本蔵はここぞとばかり、力弥の持つ槍で自分の脇腹を刺すのです。

幸四郎さん、現れた時から悪役のような憎憎しさの大きさを見せ、自ら引きつけた死を由良之助の梅玉さんは見抜いており、初めて本蔵は誰にも語らなかった本心を由良之助にあかします。そして、せつせつと小浪に対する親心となります。自分の死をもって娘の倖せを願う塩冶側から恨まれている親子の情をここでは描かれているのです。

力弥がサァーと障子をあけると、そこにはあの雪まろえが二つの五輪塔となっていました。力弥が日蔭に作り置いたのです。由良之助は力弥に言いました。< みな主なしの日蔭者。日陰にさえ置けばとけぬ雪 > 良い台詞が散りばめられています。

本蔵は嫁の親として信用されたことを喜び、婿への引き出物として師直の屋敷の地図を渡します。さらに身内として心配する本蔵に力弥は雨戸を外す工夫をみせます。ここは大石家と加古川家の縁戚となった特殊な交流でもあります。そして由良之助は、力弥に一夜の暇を与え、一足さきに虚無僧姿で堺へ向かうのです。

この段は、大きな武家社会の流れのなかで、加古川本蔵の娘が力弥の許嫁であったという設定によって、主役である大石家と加古川家の家族劇となっています。そうすると、勘平がおかるの実家に落ちたことで、こちらは貧しい田舎の猟師の家族劇ともいえ、山科は武士の家族劇をあらわしているととれます

火花散る場面の多い山科ですが、お姫さま役としての印象が強い笑也さんのお石には驚きました。風格は無理としても芯のあるお石で、新境地を開拓されました。錦之助さんの力弥、隼人さんの力弥とは違う芸による若さの力弥で、小浪の初々しさに負けぬはじらいと仇討の一途さをあらわされていました。児太郎さんは、国立劇場と歌舞伎座での大役に押しつぶされることなく頑張られ、充実した師走となられたことでしょう。

『仮名手本忠臣蔵』三部の中心的九段目を、魁春さんは義理の身の複雑な心境をあらわし、梅玉さんは短い出でその腹の内をおだやかに静ひつに出され、幸四郎さんは、武士のたたずまいと風格を崩さずに主君に仕える身と、一人の親としての情愛の変化を起伏をもってあらわされ、この段の見どころをささえられました。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です