国立劇場『仮名手本忠臣蔵』第三部(2)

天川屋義平内の場

「天川屋義平は男でござる」で有名な場です。歌舞伎では、商人の家族劇でもあります。

堺の商人・天川屋義平(歌六)は、使用人もやめさせ妻・お園(高麗蔵)も実家に帰します。幼い息子は少し気の抜けた丁稚・伊吾(宗之介)が面倒をみますが、幼いゆえ母を恋しがります。そこへ舅・太田了竹(錦吾)が何で娘を実家に帰したのか、それならかたちだけでも去り状を書けと義平にせまります。義平は考えたすえ退き状を書きます。立場によって<去り状><退き状>となるのが面白いです。<三行半(みくだりはん)>ともいいます。

この了竹が性悪で、去り状をもらったからは娘は自由の身、次の嫁ぎ先へ今日にもと自分の利益優先です。そんな後に今度は十手持ちがあらわれ、大星由良之助に頼まれ武器類を用意しているであろうとの取り調べで、長持ちをあけようとします。

ここからが義平が長持ちに座っての町人の意気地をかけた世間一般に知られている台詞となるのです。子どもを人質にとられ刃を向けられても「誰だと想う、天川屋義平は男でござる」と言ってのけ、さらに子どもを奪い取り、いっそ自分の手でと息子を殺そうとします。

そこへ、由良之助(梅玉)が現れ疑いをかけたことを謝ります。捕手は、義士の大鷲文吾(松江)、竹森喜多八(亀寿)千崎弥五郎(種之介)、矢間重太郎(隼人)の4人だったのです。由良之介の警戒心を見せる場でもあります。

義平の妻・お園(高麗蔵)は去り状を持ってやってきて、息子に合わせてくれと義平にせまりますが、義平はどうしても駄目だとお園が投げ返した去り状を突き返し、お園を外へ出します。今度はそのお園の持っている去り状を奪い取り、お園の髪を切って去る二人の覆面男にお園は悲鳴をあげ、義平が驚きお園を家にいれます。

そこへ由良之助が現れ、大鷲と竹森にやらせたことで、尼になれば嫁にはいけないであろうと時期を待つようにと去り状と切り髪を渡し、義平の働きに、義士の合い言葉を、天川屋にちなんで<天>と<川>にすると告げるのでした。

歌六さんの声と出の大きさ、啖呵の台詞の勢いで、義士を支える町人の心意気がでました。そして、由良之助の指図で行動する、義士の松江さんと亀寿さんのきびきびしてぬかりの無い動きと台詞が、種之介さんと隼人さんに一歩リードしていて舞台を引き締めました。

錦吾さんの了竹に強欲さがあり、わからずに翻弄されるお園の高麗蔵さんに自分で何とかしようとする一心さがあり、宗之助さんの丁稚に気の抜けたひょうひょうぶりが緊迫した場に変化をもたらしてくれました。

梅玉さんの由良之助の穏やかに落ち着いたたたずまいに、由良之助って、上演回数の多い場面では気づかなかった細かい所まで気遣いしているのだと、『仮名手本忠臣蔵』の別の一面を観させられました。

一転、二転する展開をはっきりみせてくれ、予想外の趣きある場面となりました。

最後の場面『十一段目』は、「高家の表門」「高家の広間」「高家の奥庭泉水」「高家の柴部屋、本懐、焼香」「花水橋引き揚げ」と流れていきます。

「高家の表門」では由良之助を筆頭に義士たちが集合していています。原郷右衛門(團蔵)、大鷲文吾(松江)、竹森喜多八(亀寿)がしっかりした佇まいと声量で脇をひきしめてくれます。團蔵さんらに続く松江さん、亀寿さんが心強く感じられる雰囲気になってきました。最後の力弥は女形の米吉さんで一同の中での幼さが出ていました。

矢間重太郎(隼人)、織部安平衛(宗之介)、赤垣源蔵(男寅)、織部弥次兵衛(橘三郎)、矢間喜兵衛(寿次郎)らによる、<天>とく川>の合い言葉の約束事。由良之介の梅玉さんが陣太鼓を打ちます。この打ち方は、来月の歌舞伎座『松浦の太鼓』につながります。

「高家の広間」は、高師泰(男女蔵)と力弥の立ち廻りと茶坊主(玉太郎)と矢間重太郎との立ち廻り。

「高家の奥庭泉水」は、和久半太夫(亀蔵)と千崎弥五郎(種之介)の立ち廻りがあり、うちかけをとって小林平八郎(松緑)が現れ、竹森(亀寿)との気合の入った雪の庭での立ち廻り。竹森足が滑って池に落ち、はい上がって来るのを小林は討とうとしますが、邪魔が入り、池より上がった竹森に切られ、織部弥次兵衛の槍で自らの脇腹を突き死闘のすえ倒れます。

「高家の柴部屋、本懐、焼香」は、柴部屋から矢間重太郎と千崎が師直を見つけ出し、切り付ける師直を由良之助が討ち取ります。

亡君の位牌の前に師直の首級(しるし)を供え焼香しますが、一番は初太刀として矢間重太郎、二番は不憫な最期を遂げた勘平の代理の勘平の義理の兄・平右衛門(錦之助)とし、その他の代表として由良之助が焼香し、かちどきの声をあげます。

「花水橋引き揚げ」は舞台正面の丸くカーブした橋の奥から義士の面々が姿を現します。そこへ、若狭之助(左團次)が現れ、由良之助と対面。由良之助は本懐を遂げたことを報告します。若狭之助は自分も師直から恥辱を受け、もしかすると自分が判官の立場であったかも知れぬと礼をいい、それぞれの名前を聞きたいと申し出ます。

ここから由良之助をはずして四十六人一人一人の名乗りとなります。これは時間がなければできない場面と思いますが、三ヵ月間、この『仮名手本忠臣蔵』に携わった人々の代表でもあり良い場面でした。

四十七士が橋の前で並んだ姿はまさしく民衆が歓喜した浮世絵のような立ち姿で、判官の菩提寺光明寺へと花道をゆうゆうと去っていくのでした。

芝居では場所を江戸から鎌倉にしていますので、両国橋は花水橋となり、泉岳寺は光明寺となるわけです。

若狭之助の左團次さんが、扇を上げ目出度い目出度いといいます。最後に由良之助の梅玉さんそれを受け静かに花道へと入っていきます。というわけで、目出度く幕となりました。

さて、こういう企画はいつになりますか、もう個人的にはお目にかかれないでしょう。幾つかの場面は観れるでしょうから、その時は、今回の役者さんたちが、どんな役をされるのかを楽しみにしておくことにします。

長く伝えられてきた作品は台詞も練り上げられ、重要な台詞が沢山あり、その配分のしかたが大変であることもわかりました。こちらを重くするか、いやこちらかなど、迷路のような感じもします。

来年の新たな出会いを楽しみに、お芝居はこれにてチョン。

 

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