国立劇場 公演記録鑑賞会『東大寺修二会の声明』

国立劇場主宰の公演記録鑑賞会は毎月第二金曜日に伝統芸能情報館でおこなわれていますが、昨年あたりから自由参加から応募方式をとって応募者が多い時は抽選となります。

今回は『東大寺修二会の声明』で、1996年(平成8年)に公演されたものです。東大寺修二会のお松明(たいまつ)は二月堂の下で眼にしていますが、二月堂の中での行法が映像で見れるのです。国立劇場の舞台上で二月堂での行法を再現したのです。

『薬師寺の花会式声明』のほうは、国立劇場で拝見しています。いつだったのか調べてみましたら、1999年(平成11年)でした。記憶に残っているのは須弥壇に飾られた紙で作られた幾種類かの花々と、行法の途中でまかれる、紙製の散華の蓮の花びらです。

正式には修二会(しゅにえ)のことを薬師寺では<花会式>とよばれ、東大寺では<お水取り>と親しみをこめて呼ばれています。

東大寺の修二会というのは、さらに正式の名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といわれます。われわれが日常犯しているさまざまな過ちを本尊の十一面観音菩薩のまえで懺悔(さんげ)することを意味し、さらにひとびとの願いの究極は、<除災招福>で、世の中が平和で国は安泰に、五穀は豊かに実り、天変地異が起らず、悪い病気もはやらないように、懺悔の誠を尽くして究極の願いを果そうとするものなのだそうです。

この儀式に参加する僧侶は十一人で、籠衆(こもりしゅう)とか練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれています。この練行衆が初夜に二月堂に上がっていく時足下を清め照らすのが松明のあかりです。お松明は3月1日から14日まであります。初夜というのは、一日を6時に区切り、日中、日没、初夜、半夜、後夜、晨朝(じんじょう)となる初夜の時間を差します。この初夜と後夜の行法は内容が複雑なものになっているようです。

『娘道成寺』の詞にも出てきます。「鐘に恨みは数々ござる 初夜の鐘を撞くときは 諸行無常と響くなり 後夜の鐘を撞くときは・・・・」

練行衆は修二会の時にだけ着る白い紙子(かみこ)を自分で作りますが、この紙子が京橋の『WASHI 紙のみぞ知る用と美 展』(LIXILギャラリー)で展示されていました。紙といってもしっかりしていて、揉んだようにシワをよらせていて保温効果もあり軽いのかもしれません。これだけの和紙をすくのは布より大変かもしれません。ところどころロウソクの灯りのため煤けていました。二月堂の須弥壇は椿の造花だけでこれらも、練行衆が作ります。

散華は蓮の花びらではなく、ハゼといってもち米を炒ってはぜさせたもので、これがまかれるのですが、踏み進むときの音はわかりませんでした。皿籠に大きな器から手ですくってハゼを入れる時にさらさらと涼やかな音がしていました。薄暗いのでぼんやりと床に何か散らばっている感じだったのがハゼの踏まれたあとなのでしょう。

お経とか様々なことがあるのでしょうが、そのあたりはよくわかりません。ただ声の響きとか、何人かの声が合わさったりしたときの太い響きとかに耳を傾けつつ、立ったり座ったりの作法を見ていました。差懸(さしかけ)という歯の無い厚い板だけの履物の心地よい音などが混在したり、差懸で走る音だけが静けさを振るわせたり、時にはほら貝が吹かれたりします。この差懸で走る音は二月堂の下に居ても聞こえていましたので、こういう作法をしていたのかと映像で具体化しました。

ほら貝も大きいのと小さいのがありましたが、荒貝、学(まね)貝、長貝と種類があるようで、五体投地といって、膝を打ちつけますが、暗くて見えなかったのですが、膝を打つとよく響くように板が置かれているらしく、暗さが尊厳さを深め、興味もつきませんでした。

<走り>とか<達陀(だったん)>とよばれる行法もあるようで、二代目松緑さんが創作した舞踊『達陀』はこの行法の名前を使われたのです。

声明とそれに用いる法具などは仏教音楽といえるもので、暗くてよくわからなかった法具なども、展示されることがあれば、これなのかと興味を持ってながめることができるとおもいます。

<お水取り>は、3月12日に本尊十一面観音菩薩に供える香水(こうずい)が、二月堂下の閼伽井屋(あかいや)の若狭井から汲み上げられ運ばれるので<お水取り>といわれるのです。香水は翌日、須弥壇の三つの香水壺に入れられます。

この行法は正午から深夜まで続き、日によっては明け方までかかるものもあるそうで、みている者は流れにそってみていますが、練行衆はすべての行法を覚え込んで厳かに時には激しく毎日六回づつ十四日間この行法をされるのです。

毎年12月16日の良弁僧正開山忌に練行衆とそれを補佐する人々が発表されれます。2月20日から本行前の前行がはじまります。

修二会は、良弁僧正の高弟である実忠和尚が、大仏開眼の年(752年)に始められ、あの平重衡による大火のときにも止むことなく続けられたそうです。

歌舞伎に『良弁杉由来』があり、「二月堂」と呼ばれます。「二月堂」といえば「お水取り」、「お水取り」といえば、ニュースの映像に出てくる「お松明」ですが、「二月堂」の中で響いている音楽性もご注目あれと思わせられる公演記録でした。

 

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