歌舞伎座 猿若祭二月大歌舞伎 夜の部

夜の部は、話題の中村屋二兄弟の初舞台『門出二人桃太郎』です。新しい三代目勘太郎さんと二代目長三郎さんという役者さんの誕生ということになります。父である勘九郎さんと叔父の七之助さん初舞台の時に、萩原雪夫さんが桃太郎の昔話を双子にしたということです。五歳の勘太郎さんと三歳の長三郎さんにとっては、勘太郎さんは年上の責任があり、三歳の長三郎さんにしてみれば双子と言われてもというところでしょうが、まずは目出度き新しい小さな役者さんの誕生です。

山に行ったおじいさん(芝翫)が川にいるおばあさん(時蔵)のところへもどると、大きな桃がながれてきて家まで運びます。息子(勘九郎)と嫁(七之助)も加わり桃を切ると、双子の男の子(勘太郎、長三郎)が飛び出します。桃太郎兄弟の誕生です。この兄弟勇敢にも鬼ヶ島に鬼退治にいくといいます。そこへ、犬彦(染五郎)、猿彦(松緑)、雉彦(菊之助)が家来を申し出て、さらに吉備津神社神主(菊五郎)、巫女(魁春)、庄屋(梅玉)、庄屋妻(雀右衛門)その他村の人々もお祝いに駆け付け、口上となり、無事に桃太郎兄弟は鬼退治に向かいます。

見事鬼退治をして鬼の総大将(勘九郎)から金銀財宝をもらい意気揚々と花道をもどってきます。弟の桃太郎はかなり疲れているようです。先に進む兄の桃太郎との距離が少しづつあきます。三歳ですからね。花道も長道におもえることでしょう。兄の桃太郎は自分のやるべきことはやるという力強さで、弟の桃太郎もその姿を観つつ最後はしっかりとつとめました。

祝い幕には二つの桃が描かれています。誕生は一つの桃からですが、これからは、それぞれの役者さんとしての二つの桃が何回も大きくなっては割れ、大きくなっては割れていってくれることでしょう。

絵本太功記』は時代物です。これが、睡眠薬をしみこませたハンカチでも嗅がせられたように途中から意識不明でした。鴈治郎さんの十次郎は雰囲気が違うな。孝太郎さんの初菊はどう兜を運ぶのかで意識不明。ところどころ意識がもどります。

初菊が母の魁春さんに連れられて奥へ引っ込むときの身体の折れ具合に悲しみがある。錦之助さんの久光の声の響きがなかなかである。光秀の芝翫さんの笠を外しての出もいい。皐月の秀太郎さんの息子へのいさめだな。妻・操の魁春さんの嘆きか。正清の橋之助さん動きに力と安定感がでてる。そして光秀と久吉のそろっての後日という幕切れです。これだけで、ヘボシャーロックホームズであれば、筋だけは説明できますが、実態がわかりません。

ということで、今回はこれも一幕見をすることになってしまいました。時間をあけたはずなのに、風邪薬が変な眠りを誘い込んだようです。

梅ごよみ』は大丈夫でした。この芝居は2回ほど玉三郎さんの芸者仇吉と勘三郎さんの米八で観ています。お二人の時は二大スターを観ている感じで、お家騒動のほうが二の次でしたが、今回はバランスがいいという感じで、すべてに目がいきました。丹次郎(染五郎)は恩ある人のために茶入れをさがしています。その茶入れを、古巣佐文太(亀鶴)が持っているという事を知った仇吉(菊之助)は丹次郎のために佐文太になびき茶入れを手に入れることを約束します。

他愛ない話しなのですが、深川芸者の気っ風のよさの見せ所といった芝居でもあります。丹次郎は許婚お蝶(児太郎)がいるのですが、深川芸者の米八と暮らしています。ところが、同じ深川芸者の仇吉が丹次郎を見初めて惚れ込んでしまいます。その出会いが、隅田川での舟の上ということでなんともいい川風が梅の香りを運ぶような風情ある舞台です。

ところがどっこい深川芸者の意気地は、誰にも負けられないよといったところで、深川芸者の男言葉の使い方や仇吉が丹次郎にあつらえた羽織を米八は下駄で踏みにじったり、自分のお座敷に踏み込まれた仇吉は米八を下駄で打ちすえたりと大変です。そんな二人の仲裁にはいるのが藤兵衛の歌六さんは貫禄で去り際のささやかな仕草さがこれまた粋で格好いいんです。

丹次郎の染五郎さんは、もてるのは俺のせいではないよといった感じで、モテる男のどっちつかずですが、茶入れを探すという仕事があるのでまあ男気もほのめかせられます。深川芸者にとってはおあつらえ向きです。おとなしく娘娘している児太郎さん、言ってみれば、お姉さんがたが騒ごうと私は許婚よの強さであります。

為永春水さん原作で、春水さんは式亭三馬さんの弟子で、講釈師として寄席にでたこともあります。師匠の三馬さんから読本や滑稽本の書く才能無しといわれますが、「春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)」で評判をとり、次の「修春色辰巳園」で大流行作家となります。しかし、天保の改革で手鎖りをかけられそれが原因でお酒におぼれ54歳でなくなります。のちに円朝の速記よりはやくに口語文としての礎を築いたという評価もあります。

上演は、木村錦花脚色による1927年(昭和2年)です。正妻がいて二人の妾をもつという内容らしく、今観るとずれているのは、そういう時代ということでしょうからずらして観て愉しむ必要があります。

仇吉と米八の喧嘩は、舞踊『年増』にも関係してきているようですので、この際、舞踏『年増』『黒髪』を見返し、為永春水さんの『春色梅暦』も読んでみようととおもいます。そして、福助さんと勘九郎さんの『猿若江戸の初櫓』と玉三郎さん、勘三郎さん、澤瀉屋一門の『梅ごよみ』の録画もでてきました。復習が大変。

二回目一幕見『絵本太功記』ですが、外国人のかたが多かったのには驚きました。歌舞伎座に行けば日本の古典芸能に接することが出来るということが浸透しているのですね。熱心に観られていました。

歴史的な明智光秀が信長を討ったことを軸として、芝居は、光秀の母が息子を謀反者として、その謀反者の息子として初陣にでる孫やその許嫁の初菊にたいする想い、息子の行動を予想して久吉の身代わりとなり、ひん死の重傷の孫とともに息をひきとるといった悲劇です。

光秀が竹槍で久吉を討とうとして母を刺してしまうのは、光秀が竹槍で農民に殺されたことを取り入れ、母の息子の裏切りへのいさめもあるですが、光秀には光秀の春信に謀反するだけの積もり積もった屈辱があります。それも、息子が負け戦であると報告し、逃げてくれと父を想う時それは家族の悲劇の絶頂へとつながりますが、そこを堪え戦の物見をして、どうどうと久吉と対峙する大きさが光秀役者には必要です。芝翫さんは出はいいのですが家族全部の悲しみを受けて、それでも貫くにはもう少し大きさが欲しいところです。

鴈治郎さんの十次郎が若者なのに襟を落とさない衣装の着方に戸惑いましたが、動きで自然に納得しました。戦の報告と父への哀願も上方風の柔らかな動きは今まで見た事のない若者のやるせなさをだしていて悲劇性を膨らませます。

初菊を思いやり母と同じ気持ちで夫にせまる魁春さんのしどころがしっかりしていていますが、皐月は気丈といっても刺されていますから、皐月を後押ししてもっと強く出てもいいのではと思いました。孝太郎さんの一律な泣き出し方がちょっと気になりましたが、身体はしっかり赤姫の基本を守られています。

錦之助さんも声に甘さから重厚さがでてきて、久吉のような押さえのきく役どころなどが増えてくる時期なのでしょう。

一幕見『梅ごよみ』も観ようかなと思ったのですが、映画『ショコラ ~君がいて、僕がいる~』も観たかったのでそちらに急ぎました。『絵本太功記』が6時45分に終わり、映画が7時から。シネスイッチ銀座でしたので間に合いました。名探偵ではないので、今後薬には気をつけます。一幕見もいいのですが、待ち時間がもったいないですので。

 

 

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