京都の旅 ・京都の建具、工芸術(2)

角屋(すみや)』さんは、今、『角屋もてなしの文化美術館』として公開しています。記念館となって公開しているのであろうとずーっと思っていましたが、実際には何代も続く御当主が保存に努力され、唯一の島原の揚屋を残されていて、島原という花街の認識を新たにしました。

花街と遊里の違いは、花街は歌舞音曲の芸を宴会で楽しむところで、歌舞練場があります。今は島原にはその跡しかありませんが、祇園などには残っていて今も活躍しています。東京の新橋演舞場は、大阪や京都の歌舞練場を目指して、新橋の芸妓さんの踊りの発表の場としてできたもので、今も東おどりがあります。島原もかつては、青柳踊があったようです。

金沢生まれの友人が実家に帰って、初めて金沢おどりをみてきてよかったと言っていまして、観光した金沢の花街や泉鏡花さんが浮かびます。

「島原」は最初は秀吉さんの頃、柳馬場二条に「柳町」として始まり、御所に近いため六条柳町に移転させられ、大変なにぎわいで町中すぎると朱雀野(しゅしゃかの)に移転させられ、移転騒動が九州の島原の乱に似ているとして「島原」とよばれるようになったそうで、そう呼ばれるほど注目されていたわけです。

その当時は辺鄙でたんぼばかりのところでしたが、『角屋』は格調高い揚屋であったため文人も訪れていたのですが、次第に便利な非公認の祇園のほうにお客が流れてしまい衰退していくのです。

二階は、緞子(どんす)の間(襖が緞子ばり)、御簾の間、扇の間、草花の間、馬の間、青貝の間、檜垣の間と趣向を凝らした部屋が並んでいます。釘隠しも部屋によって違い、障子の組子が一枚の板を曲線に細く削ってたてにはめ込んでいたり、腰板に工夫があり、天井ががまむしろだったり、大きな仏壇置きに似た浄瑠璃を語る場所があったり、その建具類が京の専門の職人さんが腕を奮ってこしらえているのがわかります。

壁も種類を替え、九条土のくすんだ青がこれまたいいのです。金沢の料亭でも鮮やかな群青色の壁を使っていましたが、日本海側と内陸の風土の違いの色かもしれません。さらに名家の絵なぞも飾られ、蒔絵の食器なども出されたわけで、そこで太夫さんの博識と芸妓さんの踊りの芸が花を添えていたわけです。

周辺には七つの名所に文芸碑が建立されています。大銀杏、島原住吉神社、末社幸天満宮、島原西門、東鴻臚館(こうろかん)跡、歌舞練場跡記念碑、大門。

 

大銀杏と弁財天社

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1759-576x1024.jpg

 

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1760-661x1024.jpg

 

島原

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1761-1024x695.jpg

 

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1763-1024x686.jpg

 

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1764-727x1024.jpg

 

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1765-716x1024.jpg

 

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1766-765x1024.jpg

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1820-808x1024.jpg

 

大門

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1767-1024x881.jpg

 

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1768-1024x599.jpg

 

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_1769-1024x576.jpg

 

かつては太夫、芸妓をかかえる置屋でした輪違屋さんは、今はお茶屋さんとして営業していて非公開ですが、意匠をこらしたお部屋があるようです。

 

丹波口駅近くに京都の中央卸売市場がありました。京都の食材はここから運ばれているんですね。

 

細見美術館』は、<麗しき日本の美 -秋草の意匠ー>の展示で、秋草の絵画や工芸がならんでいました。『角屋』さんにも唐紙の引手に『角屋』の紋・蔓三の蔦をあしらったり凝っていましたが、ここにも七宝で楓をかたどった引手がありました。秋草と虫の蒔絵の小箱や団扇、屏風などが人工的空調の中に秋風を感じさせてくれます。

酒井抱一さん関係が中心で、こんなに多くの一門のかたがいたのかなどと思いながらじっくり鑑賞させてもらいました。

面白かったのは、<きりぎりすの絵巻>で、美しい姫が輿入れする様子で顔がきりぎりすで、馬の代わりに蛙だったり、家来がトンボで裃から羽が飛び出していたりします。鳥獣戯画より衣装を着ていますので人に近いです。

秋の葉の一枚一枚を眺めていると、北斎さんが狩野派も土佐派も琳派も、その描き方の違いを学びたいと思った気持ちがわかります。一つの部屋の一枚の絵がその部屋に秋を運ぶためにはどう描けばよいのか。

料亭では絵画や床の間に飾られた工芸がお客さんを秋の気分にさせ、障子を通して届く名月のくすんだ光などを愉しんだのでしょう。美術館ではそんな贅沢な空間を味わえませんが、時々入館者はありますが程よく一人貸し切り状態で、6時の閉館時間ぎりぎりまで優雅な時間をもてました。

ここで手にしたのが、高島屋で開催されている『ぼくらが日本を継いでいく ー琳派・若冲・アニメー』で、この時点では行く予定ではありませんでした。

 

2017年9月26日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です