木馬亭での安木節

  • 浅草に安木節とどじょう掬いが帰って来た。』のチラシを木馬亭で手にしてから行けたら行こうの気持ちでいた。川端康成さんの『浅草紅団』に登場人物が船を借りる時、船の持ち主の子供が、「船を貸すからうちの4人の安木節へいくだけおごれとよ」と伝える。安木節は、東京が先なのか大阪の吉本興行が先なのか確かなことはわからないが、浅草も安木節の常設館ができ凄い人気の時期があったのである。安木節には、ひょうきんな男踊りの可笑しさと女踊りの赤いけだしが色っぽかったようである。

 

  • 映画『色ごと師春団治』(1965年マキノ雅弘監督)で、藤山寛美さんの春団治がどじょう掬いを踊る場面がある。京都の娘・おとき(富司純子)を妊娠させ娘の春子が生まれるが家に寄りつかず、おときは京都にもどり一人で春子を育てるが春団治が来て春子(おそらく藤山直美)に会わせてくれと言っても会わせない。その後飲み屋で、流しの踊りの子が二人来て奴さんを踊るが、客は下手だと言ってもっと上手に踊ったら金をやるという。それを聞いていた春団治は、娘とその子たちが重なったのであろう。よし、おれが代わりに踊るから錢出せよといってどじょう掬いを踊るのである。春団治が踊るとあって人が集まってくる。人々をかき分けて外に出る春団治。泣いている。落語家が辛気臭い事はダメだと言っていた春団治である。それを見て人々は春団治が泣いていると驚く。「おれだって人の子や」と走り去る。寛美さんならではの芸人春団治でこういう役者さんはもう生まれることはないであろう。

 

  • というわけで、木馬亭に足を運ぶ。安木節のほかに、津軽民謡、隠岐民謡、大阪・琵琶湖周辺の民謡なども加わり、石見神楽も観ることができた。石見神楽は国立小劇場で観ているがそれよりも狭い木馬亭の舞台である。大蛇は一つかなと思っていたら、二つ、三つ、四つ出て来た。迫力満点である。大蛇もそばで見るとなかなかいい顔をしている。狭さを生かして存分に暴れてくれた。安木節は横山大観さんも地元で聴いてこれは保存すべきだと言われたようである。安木節は短いので間に他の民謡を入れてつないだりもしていたようである。今回は女踊りはなく、男踊りだけであるが、どじょう掬いも踊る人によって間やしぐさが違うものである。

 

  • 隠岐は北前船の停泊する場所なので、多くの民謡が集まり、隠岐独特の民謡ともなっているようである。踊りも、小皿を二枚カスタネットのように鳴らしたり、木の鍋蓋を合わせて鳴らしたりと、宴会となると踊りとなるのだそうである。津軽は津軽三味線での民謡であるが、青森の手踊りがまた躍動的である。扇には房がついていている。傘をもったり、長い紐が、いつのまにか結ばれて、あっという間にたすき掛けとなっている。以前テレビで青森の手踊りを見て凄いと思ったことがあるが、その後お目にかかれなかった。今はユーチューブなどでも若い人の群舞が見れるようになった。

 

  • 貝殻節もあり、吉永小百合さんの『夢千代日記』を思い出す。夢千代さんは、被爆されているので、どこか儚さのある貝殻節であるが、立派な声でかなり元気のよい貝殻節であった。淡海節もしばらくぶりで耳にした。淡海節は間の三味線が好いのである。美空ひばりさんの淡海節もひばり節ならではで聴き入ってしまう。民謡には民謡の伝えられてきた声の出し方や歌い方があるのでしょう。その他にもたっぷりと民謡を堪能させてもらった。今月は初めてどじょうを口にし、どじょう掬いも観れたというどじょうに縁のある月であった。友人はどじょうを食べた次の朝、体がしゃきっとしたという。どじょうから元気を貰ったのであろうか。こちらは変化なし。今度食べた時は気にかけてみよう。

 

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