シネマ歌舞伎『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖』・映画『万引き家族』

  • シネマ歌舞伎を観る。『歌舞伎座捕物帳』。そのまま読めば、「かぶきざとりものちょう」であるが、そうはさせないのが歌舞伎である。東劇で面白いものを手にした。PCでも シネマ歌舞伎HP「やじきた謎解きキャンペーン」 で検索すればでてくる。十問のなぞなぞがのっている。答えを応募して正解の中から抽選で賞品があたる。応募資格がない。忘れていて帰ってから解いて見たら三問のなぞが解けないのである。応募は別として、ちょっと悔しい。いや相当くやしい。興味のあるかたは、事前に問題を頭に入れておいて見ると楽しさも増すと思う。

 

  • 細かいところまで見させてくれるので、台詞をいう役者さんの脇にいる役者さんの表情もわかる。ミステリーなので一つ一つの台詞に対する反応の演技が臨場感を増してくれる。観劇では、途中で聞き逃してしまった鷲鼻少掾(門之助)と若竹緑左衛門(笑三郎)の語りと太棹も耳に心地よく響く。時として床を上から映してくれる。座元釡桐座衛門(中車)のカマキリの産卵の位置でその年の雪の降る量が解るという講義あり。観劇の時の講義の記憶がない。日替わりで多くの講義をしたらしいが。衣裳としゃべり方に気を取られていた。そんなわけで、隅々まで鑑賞できた。

 

  • 犯人が座元の女房・お蝶(児太郎)と芳沢小歌(弘太郎)とに絞られて「どっちを取り調べまSHOW」の場面があり、お蝶と小歌のどちらかをお客が選ぶのである。選んだ人物によって犯人が違ってくるのである。それによって芝居も違ってくる。観劇の時には観ていないバージョンだったのでラッキーである。第九問で「どっちを取り調べまSHOWの場で踊っている社中の名前は?」とある。社中に名前があったなんて全然気がつかなかった。

 

  • 殺された毒薬の名前を瀬之川亀松(鶴松)が身体で表現したり、多人数のだんまり、それは誰のコピー、そして「四の切り」の舞台しかけの再現と視覚から脳への伝達は、かなりの笑いと納得の刺激でいっぱいである。弥次・喜多に手柄を横取りされた伊月梵太郎(現染五郎)と五代政之助(團子)の報復で弥次郎兵衛(現幸四郎)と喜多八(猿之助)は空中へ。今度はどんな出方をするのであろうか。

 

  • 続けて観たのが『万引き家族』。脳が活性化されたので、映画『万引き家族』の一人一人の言葉とそれにどう答えるのか、頭の中で選択する。予想外の返答や、ずらしての答え方、二者択一の選び方、沈黙、納得にさらなる裏を感じたり、そうかあの時の答えはそうっだたのかとさらなる回転で進んで行く。一週間くらい前に映画『三度目の殺人』(2017年是枝裕和監督))を観ていたので、簡単な答えとはいかないであろうが、そのひねりに人の正しさの多様性を感じさせられていた。『三度目の殺人』は、自分の大切な人を守るためには、三度目の殺人の犠牲になろうとする人。最終的にそう伝わった。ただ、そうなのかどうかは、実証できないようになっている。そしてまたまた、実証できない是枝裕和監督の映画である。

 

  • 映画『万引き家族』は題名のとおり訳ありの家族である。そこに少女が一人加わる。万引きしてまで生活費をなんとかしようとしているのにさらに一人加わるのである。夫婦はその子を連れ少女の家の近くに行く。そこで聞いたのは、激しくやりあう少女の親の喧嘩である。誘拐になるんじゃないかとの疑問も身代金を要求していないんだから誘拐じゃないでしょうとなる。少女が寒い外に一人でいたのである。皆、その子の事情は口には出さないが判っている。家族の一人翔太も事情のあった子なのである。

 

  • 翔太は、生きるための手段として、万引きを受け入れている。この家族の中での名前が新たなる名前である。少女の名前はゆり。少女の反応の仕方にかつての家族との生活が垣間見える。それを新しい家族のやり方にそれとなく受け入れさせていく祖母。家族はこの祖母の初枝の年金もささえのお金である。夫の治は日雇いに出るが怪我をする。休んでもお金が出ると言われ喜ぶが、出ない。正規社員へのあこがれをつぶやく妻の信代。

 

  • 信代はクリーニング工場でパートで働いている。ワーキングシェアという格好のよい言葉で仕事のない日ができる。そして、時給が高いから経営に響くと二人のどちらかを首との経営者の言葉。首になるよりもいいではないかとおもわせておいて首にする。食べて言けないなら他を探したらの無言の圧力。死活問題であるのに信代は自分が辞めることを決める。守りたいものがあったのである。浅草が出ている映画で『下町の太陽』(1963年山田洋次監督)をみたら、正規社員のことが出てきて、時代は変わっていないではないかと驚いた。

 

  • そんな中で翔太は万引きに疑問を持ち始め、学びたいという気持ちもでてきているようである。歩いていて学校に通う小学生とすれ違う。ここで何か映すかなと思ったら是枝監督はただの風景としている。そんな方法をとらなくても伝わることは描けるとのことであろう。翔太が、万引きはいいのかと信代に尋ねると「店がつぶれない程度ならね」とこたえる。万引きする駄菓子屋が「忌引」の張り紙で閉められている。翔太は「つぶれたのかなあ」とつぶやく。翔太には「忌引」の意味がわからない。ここのおやじさんは翔太に大切なことを教えてくれた人である。

 

  • 家族がばらばらになって、施設に入った翔太は、治と釣りをする。小津安二郎監督の映画『一人息子』を思い出す。治は情だけはある人である。翔太は釣り道具について語る。彼は知識を取り込みたいたと思っている。警察で、「学校は家で勉強できない子がいくんでしょう」という翔太。屈折しているが、勉強にもいろいろあるよなと思わせる。彼は、居心地はいい家族だが、何か違うかもと思い始めているようである。信代は、翔太に出会ったときのことを話す。翔太が思い出したくない現実に立ち向かう時だと考えたのだ。親の着ぐるみを身につけている親よりも親になっている。

 

  • もう一人の家族、風俗に勤める亜紀にも事情がある。どうも、祖母初枝がその事実を知っているようないないような。信代が「亜紀もお金を入れなさいよ」というと祖母が「亜紀はいいんだよ」という。事情のある人たちなので言葉一つ一つに何かがあったり、ため口であったりとこんなに人の話す言葉に注目したりする映画もめずらしい。まだまだ、もっと違う捉え方をしたり、もっと現実の生活に密着させて感じたり、想像したり、着ぐるみの人間の多いことに想いがいったりするであろう作品である。動物的臭覚が必要な時代かもしれない。翔太とゆりの名前であった時のことを彼らのどこかに残っていくであろう。
  • 出演・リリー・フランキー、安藤サクラ、城桧吏、佐々木みゆ、松岡茉優、柄本明、緒方直人、森口瑤子、池松壮亮、高良健吾、池脇千鶴、樹木希林

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です