『日本近代文学館 夏の文学教室』(第55回)から (3) 

  • 国家総動員法にしろ法律の原案を考えるのは各省庁の役人である。官僚は優秀な人がなるのであろうが、頭の悪い国民など簡単にだませるとおもっているのであろうか。改ざんなどどうやら平気のようである。それが曖昧になって映画『まあだだよ』ではないがチーチーパッパ、チーパッパである。優秀でおそらく大蔵省の官僚になったであろう三島由紀夫さんは大蔵省を辞めて作家となった。

 

  • 作家・島田雅彦さんは、三島由紀夫さんの『春の雪』などから三島さんの「文化防衛論」をはなされた。三島さんの描いた世界というものが、あまりにも一般大衆から遊離した世界で、こちらは三島さんの独自の世界という感覚である。島田雅彦さんは、三島さんはある意味のロマンス主義であるといわれる。『春の雪』は小説4部作『豊饒の海』の第1部で一番読みやすいというので読み始めたことがあるが途中で投げ出した。その後映画を観たが、読んでいないのにこれは、原作の感覚とは違うのではと勝手に思ってしまった。

 

  • 宮様と婚約した女性の愛を奪ってしまうのである。主人公にとっては愛もそこに破滅するような世界がなければならないのである。それも破滅しても、いや破滅させるに値する「みやび」がなければならないのである。三島さんにとって肉体は自分の世界に従属させるものであって、それも弱体ではだめなのである。鍛えた肉体でなければ。今回、『春の雪』読めそうな気がして購入したが、読み始めるのはもっと先になりそうで積んである。ナポレオンは文学青年で1パーセントの可能性にかけたのだそうで、三島の決起にもそれがあると島田さんはいわれた。こちらは、老人の三島さんが見たかった。1パーセントの可能性もないのであるが。

 

  • 映画『春の雪』は行定勲監督の作品であるが、行定勲監督の映画で面白いのは『パレード』である。浅草の花やしきの場面があって浅草の映画として観たのである。面白いというのはわかっているようでわかっていない、わかっているのにわからないことでつながっているのかもしれないという世界である。

 

  • 法律に関しては、作家・中島京子さんが、教えてくれた。憲法第24条の草案を考えたのが当時23歳だったベアテ・シロタ・ゴードンさんという女性であったということである。アメリカからあてがわれた憲法であるから改正しなくてはならないというが、それが現代の国民にとってふさわしいものであれば、誰が考えようといいではないかと思う。中島京子さんは伊藤整さんの『女性に関する十二章』と世界の#MeTooを考えての話しであった。セクハラ問題を #MeToo と表現するのは、アメリカの映画界での告発から知った。中島京子さんは、友人が財務省のセクハラ問題は知っているが#MeTooに関しては知らなかったのに驚いたという。

 

  • 伊藤整さんの『女性に関する十二章』(1954年)は60年以上も前のものなので今読むと古いが、憲法の24条に関しては、伊藤整さんにとっても改革であったらしい。9章で、自分だけ犠牲になればよいという情緒はよくないと書いているのだそうで、伊藤整さんは、演歌が好きであるが、情緒で行動するのは危険であるとしているらしい。家父長制を長く経験していた日本人男性がもし考えたらなら、憲法24条など考えられなかったであろう。結婚していようと、子供があろうとなかろうと、家族があろうとなかろうと幸福になってはいけないのであろうか。今の政府が家族、家族というとなぜか何をたくらんでいるのと勘ぐってしまう。クーラーのない部屋での書き込みで頭が沸騰してきているので、涼をとることにする。

 

  • 映画『まあだだよ』(黒澤明監督)は流される予告の映像でばかばかしくおもえて観ていなかった。内田百閒さんもそのため素通りであった。ミュージシャンで作家の町田康さんが、友人が町田康さんを、「まるで内田百閒みたいやな。」といわれ内田百閒を読んで「あっ!これは自分だ。」とおもったのだそうである。町田さんは、喫茶店で友人と向かい合わせに座り、テーブルのうえの、おしぼりとかコーヒーとか自分の前のもろもろを自分のこだわりできちんと並べるのだそうである。それを、前の友人の分までやってしまい「おまえ!何をしてるんや!まるで内田百閒みたいやな。」となったのである。

 

  • 町田さんは、お財布のなかの札もきちんと表で向きも同じなければいやで、コンビニのレジのお金も、銀行のお金も、強盗のようにピストルをつきつけて綺麗にならべかえて、終わったら解放してやりたいくらいなのだそうである。内田百閒さんのこだわりについて話された。そのこだわりは、よそからみると滑稽でもあるが、本人にとっては重要なことなのである。百閒さん(明治22年)は、岡山の造り酒屋で生まれ、わがままは全て聞いて貰える環境で育ったが家は没落し、その処分したお金で学校へ行き、明治44年に夏目漱石さんの弟子となっている。

 

  • お金はないが育ちのせいか、自分のしたいようにするのである。そのため借金もするが、収入支出が百閒さん独自の使い方であるため合わない。借金で免職になったりもしている。お金のない人は人にお金を借りるため頭を下げたりして修養できるが、お金のある人はそれがないから傲慢であるとし、生きているから借りるのであって死んだらちゃらであるから、死んだとき返しますという理屈が百閒さんのなかでは成りたったりもするのだそうである。死んで返しますではないのでお間違いのないように。

 

  • 映画『まあだだよ』は、百閒さんを慕う生徒が開いた『摩阿陀会(まあだかい)』で、かくれんぼ(亡くなられる)にかけて、生徒が「もういいかい」「まあだだよ」「まあだかい」「まあだだよ」によっている。映画は黒澤監督の百閒像である。百閒さんの作品を読むと黒澤監督よりもっと面白い百閒像を自分でつくることができる。百閒さんは、列車の旅が好きである。行先に目的があるわけではない。もちろん目的地に着かなくてはならないが、列車に乗っているのが旅なのである。

 

  • 目下『特別阿房(あほう)列車』『第二阿房列車』と読み進めているが、こだわりとその通りにすすむかどうかのせめぎ合いが愉しいのである。お金のことも出てくる。考えた収支決算のゆくえはいかに。鉄道唱歌の第一集、第二集の付録もおつなものである。

 

  • 百閒さんは、50歳になったときから汽車は一等に乗ろうと決めた。「どっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである。」という。大阪へ用事のない汽車の旅を思いつき、行きは、一等で帰りは三等と決める。金銭的には二等の往復である。きちんとそこまで考える。ところが、切符が取れなくて行きは一等、帰りは二等となる。帰りは、帰るという用件があるから我慢する。ところが、お金の脚は長すぎてしまう。

 

  • 陸軍士官学校の教官のとき、仙台に出張となる。自分は京都に行きたいとおもう。仙台は初めてなので仙台も行きたくないわけではない。そこで、出張の途中京都に立ち寄ることにした。仙台、東京、京都では立ち寄るとは普通考えない。東京を通ったのでは駄目なので、仙台から常磐線で平へ出て、磐越東線で郡山に出て磐越西線を通って新潟へ行く。新潟から北陸本線を廻って、富山、金沢、敦賀、米原、京都へ行く。遠回りであるが、一日の内に太平洋の平から、日本海岸の新潟へ出てみたかったのと磐越東線という新路線を通りたかったのである。銭金(ぜにかね)は年度末の出張旅費だから心配することはないとしている。現代であれば、公費の無駄使いと炎上である。もしそうなっても、百閒さんは自分なりの決着をしたであろう。それにしても汽車旅名人である。

 

  • 映画『まあだだよ』の中で、先生は可愛がっていた猫のノラがいなくなって意気消沈する。食べ物ものどを通らない。先生の祈るような気持ちをあらわして戦争のガレキの中からノラが出てくる映像なども映される。小学校の門に立ち、ノラの様子を書いたビラもくばる。小学生が「猫なら沢山いるじゃないか。」というと先生は「君は弟がいるかね。」と聴く。「いるよ。」「その弟でなくどこの弟でもいいかね。」「いやだよ。」「おじさんもそれと同じなんだよ。」「わかった。いたら報せるね。」「頼むよ。」 黒澤監督は、戦争で子供と別れてしまった親の気持ちと子供の不安を、先生と猫の関係から描かれているなと感じた。ノラは帰ってこなかった。

 

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