『日本近代文学館 夏の文学教室』(第55回)から (4)

  • 日比谷図書文化館での『大正モダーンズ』展を最終日に観にいった。そのことはまた別のこととするが、図書館のほうに「ジェーン・スーさんと考える 親のこと、わたしのこれからのこと」という講演会の案内があり、そこに、三冊の本が並べられていた。その一冊に北杜夫・斎藤由香・共著の「パパは楽しい躁うつ病」があった。

 

  • 作家・磯崎憲一郎さんは、北杜夫さんの作品が好きで、芥川賞を受賞したとき北杜夫さんの本のことを書いたところ、娘さんの斎藤由香さんから手紙をもらい北杜夫さんの自宅で会うことになった。北杜夫さん、奥さん、斎藤由香さんとで話すことになったのであるが、北杜夫さんは話しの輪に入らないで始終黙っておられる。磯崎さんは、北さんの小説について話をふってみたら、黙っていた北杜夫さんが乗ってこられた。それが2011年2月で、2011年3月に対談を計画したが、東日本大震災で中止となり、2011年11月に再度決まるが、その前に亡くなられてしまう。斎藤由香さんは、父は忘れ去られた作家ですからと言われたがそんなことはない。全国紙の一面のコラムが北杜夫の死にふれていたのは井上ひさし以来で忘れ去られた作家ではないと。

 

  • 北杜夫さんは、子供のころは野っ原で昆虫と遊んでいるのが好きであった。父の斎藤茂吉が怖くて避けていた。斎藤茂吉は医者になれしか言わなかったのだそうである。動物学を勉強したかったが許されず東北大学の医学部に入り、ペンネーム・北杜夫は茂吉の子供であることを隠すためでもあった。北杜夫の自然描写は風通しがよく『谷間にて』は台湾に蝶を取りに行く話であるが、実際に台湾にいく予定が埴谷雄高に空想で書けと言われて中止している。風景描写を人の内面としては描かない。そこが当時の作品としては異質であったとされる。

 

  • 『楡家の人々』は40代になって書く予定だったが、亡くなる人が多く30代で書くこととなった。磯崎さんが、小説家になって『楡家の人々』を読むと、外向きの視線に驚かされたと。青山の病院がすごい建物となって表されていて表現の過剰さ、大げささをあげる。読み手に感情移入させない、近代文学の中では乾いていて(ドライとは違う)個人の内面から離れていて外に向かっているとされる。文学少年ではなかったことがそうした作風を生んだのであろうか。

 

  • 北杜夫さんの行かなかった時の台湾から時代的にもう少し前の台湾について、評論家・川本三郎さんが話された。佐藤春夫、林芙美子、日影丈吉、邱永漢、丸谷才一の台湾関係の作品名などを資料としてプリントしてくれた。台湾の人々が日本に親日的であるだけに、台湾という国の過去も知っておいたほうがいいのではないかということだと思う。

 

  • 日清戦争の勝利によって日本は台湾の統治国となる。それが第二次世界大戦のポツダム宣言まで50年間続くのである。他国に統治されるということは、その国の人々とっては様々なおもいがある。佐藤春夫さんは、台湾を舞台とした幻想的な作品『女誡扇綺譚(じゅかいせんきたん)』。林芙美子さんは、新聞社の主催で台湾にいき、総督の官邸の招きより、庶民の町を歩くことを好んでいる。日影丈吉さんは、戦時中の台湾にいた日本軍人を主人公にしたミステリ。邱永漢(きゅうえいかん)さんは、自伝の『濁水渓(だくすいけい)』、『2・28事件』。丸谷才一さんは日本在住の台湾人が「台湾共和国」という独立国家を夢見る『裏声で歌へ君が代』。時間のながれによる台湾に関係した作品である

 

  • さらに映画として紹介されたのが『悲情城市』(侯孝賢・ホウ・シャオシュン監督)である。第二次世界大戦が終わり、長男を中心とした一つの家族・林家が、外からの侵入により内から崩壊していくのである。この映画では外の力がよくわからないのである。一日一日を生活している者にとって政治がどう動いていてそれがどうやって襲ってくるのかなどわかりようもない。特に戦争のときには。観終ってからどういう事だったのかと台湾の日本統治をへてから中華民国からの国民党による2・28事件にいたるという歴史を知ると、林家が翻弄された経過がわかってくるのである。独立を望んでそれが違う形で抑えられてしまう外からの力である。4男の文青(トニー・レオン)がろうあ者なのであるが、どの言葉も正確にはわからないという象徴でもあるようで、さらに弱者が主張できないままに闇のなかに閉じ込められる恐怖が伝わる。

 

  • 内田百閒さんは怖がりであった。闇も怖がった。それを笑われると君たちは想像力がないから怖くないのだといった。作家で演出家でもある宮沢章夫さんは、悲劇と喜劇の横滑りのようなこととして内田百閒さんの『豹』を紹介した。檻のなかの豹をみてその豹が自分を狙っているとして恐怖をいだきある家に逃げ込み皆に話すが皆笑っていてとりあわない。そして豹がその中にいたという小説である。話しを聞きつつ、着ぐるみの豹がふっと浮かんで苦笑してしまった。そういう話しではないのであろうが。宮沢章夫さんは、横光利一さんの『機械』を一行づつ読むという企画で11年間連載したのだそうだ。読んでいないので想像できない。

 

  • 『機械』『日輪』の二字の題名にあこがれ、図書館に本を返しにいったら図書館がなかったという小説を思いつきその題名を考えた。こちらの頭にぱっと浮かんだ。『返却』。当たり! 別役実さんが面白いという話し。別役さんは喫茶店に一緒にいても話さない人で、ある時「ああ、今日はめずらしく話した。」といったのだそうである。いつもと変わらないのに。あるインタビューで別役さんのことをほめて終わったら別役さんが「いやぁ!」といって離れたところにいた。どうしてそこにいるの。聞いているほうは、何も起こっていないのに可笑しい。

 

  • チェーホフは『桜の園』を喜劇『桜の園』としていて悲劇とはしていないのだそうである。そして桜の園の敷地は千代田区の広さなのだと。ちょっと待って下さいな。そんな広さなら嘆くまえに何とかなったんじゃないのですか。持っていない者のひがみか。それを一緒に悲嘆している観客は喜劇。

 

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