『日本近代文学館 夏の文学教室』(第55回)から (6)

  • 作家・佐伯一麦さんは仙台在住で、東日本大震災にあわれている。そのあとなぜか月を眺め、月を友とする生活であったという。そして、敗戦の後、鎌倉で月を見ていた川端康成を思い出していた。活字では、『方丈記』と『源氏物語』の<須磨>が心に入ったそうである。映画『まあだだよ』での先生が東京大空襲で持って逃げるのが『方丈記』一冊である。震災のあと(半年後とおもうが)読書会があり、それは前もって決めていたのであるが川端康成の『雪国』である。震災を経験した読書会の人々は、主人公の島村に否定的であった。

 

  • 死、食べる、住まうとかの困難を経験した人々にとって、はっきりしない島村がなんともいらだたしかったようである。佐伯さんは、浮いた言葉を言わない島村にかえって矛盾した人間性をみたといわれ、筋のほかの関係のないところの風景描写の細部が上手いとおもったと。震災で佐伯さんは、底が無くなってしまったような感覚で、それが川端さんの底が無くなった魔界の世界のような『みづうみ』と重ねての話しとなった。『みづうみ』は三島由紀夫さんは否定的で、文芸評論家の中村光夫さんは高く評価したようである。不浄なものみにくいものの中に聖なるものがやどる。

 

  • 川端康成は徳田秋声を敬愛していて、川端は、『仮装人物』のただれが怖いと。『仮装人物』は踏み外しが激しいのだそうだ。『雪国』は温泉場で火山で『みづうみ』は爆発の後にできるもので、手書きのうちの思いつきの表意文字もみうけられるそうだ。みづうみ→水虫、天の虫であった『雪国』の駒子が我のある虫になる。蚕→蛾。美しいものがグロテスクになる。それを聞いて反対の矢印も←成り立つということにもなると思った。『みづうみ』の銀平は、みにくいとおもっている足の指をもっていることを意識しつつ、若い美しいものを求めて、その足で後をつけ追いかける。結論は書かれていないが、銀平は母のふるさとにある「みづうみ」に沈んで死ぬような気がする。そこに向かっていると思えて。そこにしか銀平の底はないのではないか。実際に底があるかどうかはわからない。

 

  • 『雪国』の読書会の最後に年輩の女性が、戦争中、親に怒られながら中里介山の『大菩薩峠』を読んでいて、その時間はその世界に没頭したと発言されたそうである。そういう時間空間をもてるのが文学の魅力であろう。反発も自由である。

 

  • 作家・池畑夏樹さんは、石牟礼道子さんについて話された。石牟礼さんといえば、『苦界浄土』で水俣病を世に知らしめるきっかけをつくられたかたでもあり、あまりにも崇高のイメージがあって近寄りがたいかたとのおもいがあったが、染色家の志村ふくみさんとの往復書簡などを読むと、公害の運動家的なイメージが、ただ自然と対話していたら自然も人も傷つけるのはいやであるとする想いが、言葉で表せない自然や人の叫びを文字に表してあげたら社会現象とつながっていたという印象が濃くなった。

 

  • 池畑さんは石牟礼さんの過去について話してくれた。おじいさんが、石工で道を造っていたのであるが、自分の造った道は崩れてはならないと、請け負うお金よりもお金をかけてしまうことになり、山を売り、そのうち家も差し押さえられるような人だったのだそうである。吉田道子さんが結婚されて苗字に石牟礼の「石」がついたのも縁であろうと。5歳の頃の様子には同年配の子供が出て来なくて、上手くコミュニケーションができなかったようである。次第に自我も出て来て代用教員となり短歌をつくるが自分を出し切れず、「サークル村」の文学運動に加わり、その時水俣病と出会うのである。

 

  • 『苦界浄土』は、患者さん達を書いているところは小説家で、医学的なところは官僚の人間ではない記述で、ノンフィクションではないからと大宅壮一賞をことわるのである。石牟礼道子さんは古代の人で、山に行ってたから、頭を下げて山の物を食べ海の物を食べる。チッソはプラスチックを作っていた。それに水銀を使った。それが有機物質としてながれ、プランクトンが食べ、魚が食べ人間が食べる。高度成長であったため、国も止めるわけにいかなかったのだと。

 

  • 歴史小説『春の城』は島原の乱を描き、そこでは3万人の人が殺された。キリスト教は異民族で、異民族であるから殺してあたりまえであった。地方にいるという文学者は、近代文学者ではめずらしい。石牟礼道子さんは、料理でも縫い物でもなんでもできて味にもうるさく、体が不自由になって人に作ってもらったものでも味のあわないものは食べなかったそうである。なんでも受け入れ耐える人ではなかったのである。何かほっとする。

 

  • 文芸評論家・安藤礼二さんは、折口信夫さんの『死者の書』についてであるが、『死者の書』は奈良の當麻寺の當麻曼荼羅の中将姫伝説とも関係している。そして當麻寺と二上山の大津皇子のお墓とを結ばせている。人形劇アニメ映画『死者の書』(川本喜多八監督)では大津皇子が暗い顔で現れた。ただわかりやすくまとまっていたと思うが時間がたってしまっているので記憶が薄い。折口信夫さんの原作の難解さはすんなりとは進んでくれない。

 

  • 貴族の娘の郎女(いらつめ)は、二上山に人の姿をみる。それは悲しそうで衣服をまとわず郎女に衣服を織らせるきっかけとなる。それが蓮の茎の糸で織った布である。當麻寺曼荼羅伝説では曼荼羅を織ったことになっている。折口さんは、郎女に絵をかかせたらそれが曼荼羅になったとしている。さらに、安藤礼二さんのお話は聞いている時はそうなのかと思うが、メモをみるとどうしてこうなるのかがわからない。聞き手は、『死者の書』を捉えているだろうとの前提で話されているのかもしれないが、『死者の書』は筋を追うだけではとらえきれない語り部、大津皇子と郎女の代を経ての関係などなどがでてくる。

 

  • 死者がよみがえり、それをよみがえらせたのが郎女で、郎女は死者の無念さとか想いということまではとらえていないと思う。ただあのくらい悲しい顔と衣をまとわぬ白い姿に被うものを作ってあげたいとの想いである。とまあそこまででギブアップである。それだけでは折口信夫さんも困ったものであると嘆かれるであろうが面目ないである。當麻寺を囲む風景は現代を離れた日本の原風景のようである。

 

  • 書き込みさせてもらった講師の方々の順番は、実際の講義登場の順番ではない。何となくそうなったのである。テーマにも意識しないで聴いて心動いたことに基づいた。今回出てきた小説はいままでより沢山読んだ。まだ、積ん読を平にしなければならないが、来年は前もって少しは読んでから聴講したいとおもったが、一年先のことである。

 

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