ヒッチコック映画『鳥』と『マーニー』そして・・・(3)

  • グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』では、グレース・ケリーの最後の出演映画『上流社会』(1956年・チャールズ・ウォルターズ監督)の撮影が終わる。撮影セットでの車から降りるグレース・ケリー(ニコール・キッドマン)は白いフードつきのコートを着ている。映画『上流社会』でこの場面は、フランク・シナトラがグレース・ケリーの運転する車に乗せられ、上流社会のお屋敷が税金のために売られたり、維持費がなく閉じられたりする情景を案内されるシーンである。スピードを出す運転など車の事故で亡くなることと重なるのを意図してであろうか。

 

  • 1961年12月、ヒッチコック監督がモナコ宮殿を訪れグレース大公妃と会う。『マーニー』の出演依頼のために。その時、ヒッチコック監督は『』(1963年)の脚本をケリー・グラントに渡したのでその意見を聞かなくてはならないと言っている。まだ『』の撮影には入っていず、ミッチの役は、ケリー・グラントに要請したようであるが、実際には、ロッド・テイラーとなった。グレース大公妃はマーニーの役が気に入り、遣り甲斐があるとして映画出演に心動かす。ところがモナコは大変な時期であった。

 

  • この時期のモナコとフランスの関係はこの映画から知った。ただ映画からなので偏るかもしれないが。フランスはド・ゴール大統領の時代である。アルジェリアに手を焼いており、戦費調達を急務としていた。そのためモナコが無税で誘致した企業に所得税を払わせフランスに納めさせ、フランス企業の誘致を中止するように言ってくる。その大変な時期にグレース大公妃がアメリカ映画『マーニー』に出演するとの情報が流れる。グレース大公妃は発表の時期の機会をうかがっていて秘密にしていた。ところがモナコ宮殿内から漏れ、アメリカ映画会社ユニバーサル側は急きょ発表したのである。時期が時期だけにグレース大公妃はモナコから逃げるのかと非難される。

 

  • フランスはさらにモナコ国民にも課税してフランスに納めるようにと言う。モナコ大公は要求を一部飲むがモナコは独立国だとして拒否する。国境は封鎖される。食料も水道も電気も全てフランス経由であった。グレー・ケリーはモナコ大公妃としての古くからの礼儀作法を学び直し、モナコ大公妃になりきる訓練を始める。モナコはオナシスの提案で、ヨーロッパの首脳に集まってもらいモナコ支援を取り付けようとするが、ド・ゴール暗殺失敗の情報が入りこの集まりもとん挫する。そして、モナコ大公の実姉夫婦がフランスと親密な関係であることが発覚。まるでヒッチコックのサスペンス映画のようである。

 

  • グレース・ケリーはヒッチコック監督に映画出演を断る。ヒッチコック監督は忠告する。フレームの端によりすぎないようにと。グレースは、大公妃主催の国際赤十字慈善舞踏会を催し、世界各国からの著名人を招待する。そこで、モナコが独立国であることを各国に披露するのである。ド・ゴール大統領も出席した。これが、グレース大公妃の切り札であった。モナコ国民にも愛される圧倒的存在感のモナコ大公妃である。

 

  • 人の集まる重要な場面にオナシスがいて、深くかかわっていたようである。投資したものは守らねばという。複雑極まりない世界である。グレース・ケリーもこのモナコとモナコ宮殿の複雑さに困惑気味で、ヒッチコック監督の映画出演で自分の力を発揮し、本来の自分をとりもでしたい希望を持ったのかもしれない。しかし、その希望を封印しグレース大公妃への演技力に全力を傾ることになる。赤十字のパーティーで、マリア・カラスが歌劇『ジャン二・スキッキ』(プッチーニ)より、「私のお父さん」を歌う。それを聴くグレース・ケリーは、お父さん見ていて私はしっかりやりとげて見せるわよと静かな闘志を秘めているようである。

 

  • 1963年5月にフランスの徴税の要求を取り下げ国境の封鎖は解除した。ラストには、映画『上流社会』のセットの中で白いマントのグレース・ケリーが座って静かにクールな微笑みを浮かべる。それはかつてのグレース・ケリーである。どう、この私が最後に到達した演技はこんなものじゃないでしょ。完璧だったでしょうと言いたそうである。

 

  • 忘れていたが映画『ヒッチコック』のことを記していた。 「ヒッチコック」と「舟を編む」 ヘレン・ミレンに関しては映画『ホワイトナイツ 白夜』を見直すことになりこの映画に出ていたのかと改めてその演技力を確信する。好みというものはそう変わらないのかもしれないが嫌いなものもそう変わらないものである。

 

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