北原白秋の小田原散策道

新元号の文字「令和」を見て「命令」がぱっと浮かび「命令に和す」と思いました。「れいわ」。響きがいいです。「令」が「よい」という意味があるとは知りませんでした。元号にならなければ一生知らないで終わったかもしれません。「令嬢」、「令息」、「令夫人」は周囲にいないので思い浮かばなかった。漢字は奥が深い。

現皇太子さまは皇太子妃が病と日々闘われていることを深く理解され、そのサポートをしっかりなされておられる。そのお姿は美しい令月のようでもあるからして、美しく優しい時代となるのではないかと期待しているのである。おそらくこのままでいくと私は令和の時代にこの世を去るであろうから良き時代であったと思って去りたいものである。

言葉に様々な解釈があるように旅もまた、その場所に行ってみればそのもっと前の時代の痕跡が残っており、やはり時の流れというものは、その都度その都度過去を思い出させるものなのだと感じてしまった。

小田原は北条氏の城下町で秀吉に攻め滅ぼされてしまう。それでも小田原城は北条氏の城として今も人気を集めている。今回はお城ではなく北原白秋が小田原に住んでいたときに散策したであろう道を歩くことであった。小田原は白秋さんにとって童謡を沢山創作した場所でもあり、生活的にも家庭的にも精神的にも穏やかな場所であった。白秋さんが歩いたと思われる道を整備して散策できるようになっているのを知って数年たちやっと実行できた。

「小田原の白秋散策道」とでも検索すれば散策路の地図を入手できるし、小田原観光協会にもあると思う。JR小田原駅の西口から出発して白秋さんの童謡の書かれた案内板をながめつつ歩くことになる。『からたちの花』が生まれるきっかけとなった水之尾道、野外劇場と称した場所、『木兎(みみづく)の家』の呼ばれる家を建てた伝肇寺(でんじょうじ)境内、最後は白秋が小田原に最初に住んだお花畑から小田原文学館・白秋童謡館にいたるのである。5・5キロ/180分と書かれてあるが、小田原文学館・白秋童謡館は2回行っているので『あわて床屋』の童謡案内板でJR東海道線にぶつかり、そこからJR小田原駅にもどった。このもどりが結構歩いた。

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やはり歩いて見てわかったのであるが、この白秋童謡散策路は白秋さんの道としても面白いが、小田原城の中ともいえるのである。所々に小田原城の堀と土塁の跡が残っており距離的に近いのでそちらを眺めに行ったりした。小田原城は堀と土塁で周囲9㎞にわたる総構を構築し、それ以前には総構の内側に新堀と呼ばれる外郭があり、その新堀と土塁の名残りが残っていてそれがまた美しい曲線となっているのである。小田原城の総構などに興味のある方は、白秋散策路がお薦めである。京都の北野天満宮の御土居を見れなかったので、小田原城の総構が見れて満足である。

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そして秀吉さんである。小田原城攻めである。途中で、秀吉軍が相模湾も含め小田原城を包囲している図もあり白秋さんが「野外劇場」と称した場所は、小田原城を攻める敵方の動向が見える場所でもあったわけで、相模湾まで観える絶景の場所なのです。白秋さんが散策してしていたのは小田原城からの眺めでもあったのです。美しい風景が堪能できる場所で、白秋さんんの観た景色を眺めることができますが、時間をさかのぼれば戦場でもあったわけです。

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今は白秋さんが観たときより開発されているでしょうが、趣のある散策路です。総構の後には桜が満開で、途中の道には桜、桃、実を付けた柑橘類の木、下には菜の花と狭い場所に春の彩を人工的ではなく全く我関せずの自然さで招待してくれました。才能があれば童謡か詩の一つもできそうな道です。トゲのあるからたちの木もありました。アニメ映画の怪しい場所に出てきそうなくらいとげとげしく入り組んだ裸の枝の木でした。

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三の丸新堀土塁から伝肇寺までは下りながら相模湾を眺めるという道で、登っただけの価値はある散策路でした。総構に出会えたのはよかったですが疲れた。秀吉は小田原城を包囲し時間がかかるからと家臣たちに妻などを呼びよせることを許します。そして自分も茶々を呼び寄せるのである。ただし、茶々を呼びたいのでそちから言い伝えて欲しいとねねに手紙を書いている。そういうことは正室から側室に伝えるのが筋だったようで、本妻の承諾を得ているのである。そんなこともあった小田原城攻めである。

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童謡案内板は『赤い鳥小鳥』『待ちぼうけ』『ペチカ』『揺籠のうた』『からたちの花』『この道』『砂山』『あわて床屋』である。唱歌は学校教育として作られた歌であり童謡は子どもたちに歌って欲しいとして創作した歌である。川村三郎さんが映画『二十四の瞳』で『あわて床屋』や『七つの子』などの童謡が歌われるのは高峰秀子演じる大石先生が子供たちを教室の外に連れ出した時や遠足の時など教室外であると指摘されている。(『白秋望景』)桜は、桜の下で子供たちが遊んでいる姿が一番合っているように思う。シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』も始まります。

今お気に入りの花は、花桃の照手シリーズの白です。近くに咲いていてまだ小さい木なのだが、上に伸びた枝にもこもこっと縦一列に咲いているのである。名札をみて、照手シリーズがあるのだと知った。綿のようにもこもこっと花をつけて小さな固まりをつくっていて、まだ時には冷たい風におしくらまんじゅうをしているようなのである。

さてもう一つ白秋関連の場所へいった。市川市の里見公園である。そこに、白秋さんが小岩時代に住んでいた家「紫烟草舎(しえんそうしゃ)」があり、「桜まつり」のとき公開しているということなので出かけた。ここがまたお城跡なのである。そこにいくまでの道がこれまた白秋さん関連の道でもある。そのことはいつかまたである。

追記: 帰り道、小田原駅の東口のそばに「小田原市民交流センター」というのがあり寄ってみた。そこで、「小田原ガイド協会養成講座 自主研究発表会」展示をやっていた。パネルに研究発表が張られていたがゆっくりながめる気力がなかったのでレジメをいただいてきた。それを読ませて貰ったら興味湧く報告でした。

三件あった。『北条氏綱の軌跡』(早雲の嫡男で北条氏二代目である。北条早雲が初代であるが、北条は後の名前で伊勢氏を名のっていた。二代目が北条氏を名のったのである。二代目の政治的手腕について。) 『今昔 国府津駅と御殿場線』(御殿場線はもとは東海道線であった。丹那トンネルができ今の国府津駅から熱海、三島、沼津の東海道線ができたのである。) 『小田原の領主ゆかりの寺院』(その一つ、枝垂桜で有名な長興山紹太寺は稲葉氏ゆかりの寺院であった。)簡単に書かせてもらいましたがもっと多くのことを教えてもらいました。素晴らしい活動です。7日(日)まで。

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