京マチ子映画祭・『有楽町で逢いましょう』と『七之助特別舞踏公演』

映画『有楽町で逢いましょう』(1958年・島耕二監督)と『七之助特別舞踏公演』とどんな関係があるのかと言えば、七之助さんのトークからつながってしまったのである。千葉市民会館での鑑賞だったのであるが、七之助さん市民会館から千葉駅へむかいぐるっと回って市民会館まで散策したのだそうである。駅が大きくて「そごう」があって凄いですねと話される。千葉市民会館の緞帳には「千葉そごう」の名があったので、こちらはその前から反応していたので、さらに反応してしまった。

 

映画『有楽町で逢いましょう』は、フランク永井さんの歌の『有楽町で逢いましょう』の歌謡映画ともいえるが、歌は「そごうデパート」の宣伝用でもあった。今はもう宣伝ソングとは知らずにフランク永井さんの代表曲として受け入れられている。こちらもそんな話を聞いたことがあるなと思いつつ映画を観るまでどこかに飛んでいた。映画を観て、この歌は、フランク永井さんのあの声と佇まいのダンディな雰囲気が成功し、有楽町のそごうがあこがれの場所となったことが想像できた。その後この歌は自立し、大人の恋の歌となる。

 

有楽町駅前の読売会館に「そごう」が東京進出を果たしたが、閉店して今はビックカメラが入っている。その同じ建物の8階の映画館で『有楽町で逢いましょう』の映画を観ているのであるから不思議な感じであった。映画を観終ってから建物を眺めたが映画の中のおしゃれさはないが、建物はそのまま残っていて、そばにレンガ造りの電車の高架下も残っており今もそのアーチ下を通れるのは嬉しいことである。映画を観ると、二階の喫茶に座りレンガの高架を走る電車も実際に見たかったと思う。この建物は今も電車から見ることができる。

 

有楽町の「そごう」は、都庁が西新宿に移転、それが大きな痛手であったようである。都庁あとが東京フォーラムである。大阪の心斎橋にあったそごうも今は無いようである。有楽町の「そごう」に入ったことは無いように思う。

 

映画『有楽町で逢いましょう』は、クレジットが入る前にフランク永井さんが『有楽町で逢いましょう』を歌う映像がでる。フランク永井さんが出るのはそこだけで映画の流れとの関連性はなく、斬新である。そして大阪城が映り、パリから帰った新進デザイナー・小柳亜矢(京マチ子)が大阪のそごうでファッションショーを開いている。映画は東京と大阪を行ったり来たりもする。亜矢は今は東京に住んでいるが大阪生まれである。早々、東京の有楽町のそごうでもファッションショーを開く。エスカレーターを使ってのショーで、おそらく今のエスカレーターであろう。

 

弟で大学生の武志(川口浩)と亜矢のお客で大学生の篠原加奈(野添ひとみ)が、ひょんなことから恋仲になる。加奈の兄・練太郎(菅原謙二)は建築技師で大阪から東京への列車の中で亜矢とは偶然顔見知りであった。歌の歌詞は若い武志と加奈の恋愛模様に合っている。武志は家出して大阪に住んでいたころのばあや(浪花千栄子)の家に転がり込む。東京の家には祖母(北林谷栄)がいて、若い者をそれとなく後押ししている。大阪と東京の二人の老女の演技もそれぞれに光っている。

 

歌の『有楽町で逢いましょう』のB面が『夢見る乙女』で、道頓堀と思うが武志とばあやの娘がボートに乗っていてそこから『夢見る乙女』を歌っている藤本二三代さんが見える。歌詞が「花の街かど有楽町で 青い月夜の心斎橋で」で始まる。大阪から東京へのそごう店を意識して使われたのかもしれないが、映画の中の武志はこの歌から東京の加奈を思い出す。そして加奈は武志を想っている。この二人のデート場所が有楽町のそごう二階のティ―ルームなのである。その下に女神像が掲げられていたらしい。入ってすぐにティ―ルームへの階段がありおしゃれである。

 

大阪のばあやの家で亜矢と武志そして練太郎も加わり若い二人のことを話し合う。亜矢と練太郎も言いたいことを言い合っていたが好意をもったらしい。二人は大阪の帰り、仕事、仕事、と忙し過ぎるからと箱根に寄ってゆっくりする予定が、やはり仕事優先となる。そして「有楽町で逢いましょう。もっと頻繁に。」ということになるのである。軽いコメディタッチの娯楽映画であり楽しめる映画である。京マチ子さんのデザイナーとしての洋服も着物もしっかり着こなしていて仕事優先の気持ちが伝わる。

 

菅原謙二さんの建築現場から江戸城が見えておりあの近辺の開発も急ピッチですすんでいたのであろう。かつてはその中で高級感と新しさの夢を売っていたのが、今は欲しい物を安く手に入れようという庶民の買い物の場所になっており時代の流れである。他の開発が周囲に影響を与えると言う事は多い。

 

ここからが、七之助さんの驚いた話しにつながるのである。七之助さんは、千葉駅と駅前が高層化していて驚いたのである。そしてなるほどと思って歩き進み橋を渡ったところから、風景が一変したのだそうである。摩訶不思議な気持ちで市民会館にもどられたようでその話をしてくれたわけである。会場、会場で違う話がでてくるのだそうであるが、司会の澤村國久さんが、地元の話しがこんなに出たのは初めてですねと言われていた。

 

少し調べてみたところ、千葉市民会館の場所がかつてのJR千葉駅だったのです。ですからそこから伸びる栄町と言われる町はかつては活気ある千葉の商店街だったのでしょう。ところが戦災に合いその後千葉駅はそこから西に移動して建てられ開発もそちらに移動してしまったわけで、今の千葉駅前があるわけです。そういう事情があって七之助さんが歩かれた場所は開発とはほど遠い地域となってしまったところのようです。七之助さん、その落差に初めて歩いた街で突然遭遇し驚かれたのでしょう。

 

さて舞台のほうですが、舞踊『於染久松色読販より 隅田川千種濡事(すみだがわちぐさのぬれごと)』の四役早替りにの七之助さんには観客は声をだして驚かれていました。歌舞伎座の見慣れたお客さまとは違う新鮮な驚きかたです。帰りの出口のところではポスターを見て、こんなに全部演じていたかしらできるわけがないと主張されているかたもいました。どこで替わったのかしら、どこか解らないけど替わったのよ、などの声もあり、もめないでお帰りくださいと思いました。主張するかたのお気持ちもわかります。とてもスピーディーにスムーズでかつ美しい早替わりでした。

 

トークの時に登場人物やどんな関係かも説明され入りやすかったと思いますが、お光、お染、久松、お六とそれぞれの役が一人一人にうつりました。だからお客さまも同じ人が演じているわけがないと思われたのでしょう。お光の久松を想っての踊りがやはり心に残りました。(猿廻し夫婦・いてう、國久)鶴松さんの舞踊『汐汲』は扱う物も多いのでそのバランスなどに目をとられてしまうところがありました。可憐さがありますが、物語の世界と登場人物と同じ気持ちに入り込めるところまでには至りませんでした。時間がたってみると両演目とも、もう一度観てたしかめたいなあという気分である。

 

時代の移り変わりで街も変われば、役者さんたちの成長も変わって来る。しかし芸は、伝えたいと思う気持ちと踏ん張りどころで、伝えたいことはつながっていくのではないだろうか。それにしても、変化に飛んだお話と舞台でよい刺激をいただき、さらに大阪から有楽町そして千葉へとつながりました。

 

追記: Eテレの『にっぽんの芸能』で「中村七之助 歌舞伎の里に舞う」の放送あり。4月5日(金) 午後11:00~11:55 再放送 4月8日(月) 午後0:00~。

 

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