浅草映画・『ひとりぼっちの二人だが』

久しぶりの浅草映画である。近頃、出会えるのに時間がかかる浅草映画となっている。観たり観ないようだったりが『ひとりぼっちの二人だが』である。観ていた。だが、浅草の場面は飛んでいた。観た頃は浅草にそれほど興味が無かったからである。江東区古石場文化センターの「江東区シネマプラザ」で月イチの映画鑑賞会を開催しており、『ふたりぼっちの二人だが』を上映される情報を得た。

 

江東区古石場文化センターには、小津安二郎監督の「小津安二郎紹介展示コーナー」もあり訪れるのは久しぶりである。小津監督の喜八モノと言われる作品には小津監督が子供時代に深川で目にした庶民の姿を作品に挿入されていた。

 

映画『東京画』(1985年)を観たばかりだったので、小津監督作品の解説などもさらに近く感じられた。映画『東京画』は、ドイツの映画監督・ヴィム・ヴェンダースが小津監督の鎌倉のお墓を訪れ、映画『東京物語』(1953年)に出てくる風景を30年後の1985年(昭和60年)に東京と尾道をたずね、東京の風景は様変わりである。笠智衆さんや小津組の名カメラマン・厚田雄春さんにインタビューしているが、厚田雄春さんが、小津監督の死後他の映画に参加したが、どうしても小津監督の撮影法が忘れられず、小津映画に殉死するかたちで映画を辞めることになったと言われたのが強く印象に残った。

 

ひとりぼっちの二人だが』(1962年)は、吉永小百合さん(田島ユキ)が踊りの会で踊る場面から始まる。ユキは芸者置屋の叔母に育てられ水揚げされることが決まったいる。ユキはそれが嫌で逃げるのである。浅草寺でユキはつかまりそうになるが同級生の浜田光夫さん(杉山三郎)と出会い助けられる。そこまでくるとこの映画観ていると気が付いた。とにかく吉永小百合さん浅草を走り回る。1962年(昭和37年)頃の浅草が映される。チンピラの三郎は兄貴分の命令で柳橋一家からユキをかくまうことになる。追われて飛び込んだのがストリップ劇場である。そこで、もう一人の同級生・坂本九さん(浅草九太)に逢うことになる。

 

九太は、コメディアンを目指していた。浅草で育ち小中同級生の三人はそれぞれの道を歩いての再会であった。ところが、三郎の兄貴分がユキをかくまうことが自分の所属する組にとってまずく自分の身も危ぶないこととなる。三郎は兄貴分からユキを連れてくるように言われる。ユキに心を寄せ始めた三郎はそれに逆らいリンチを受けつつもユキを助けることになる。もう一人ユキの兄の高橋英樹さん(田島英二)が登場する。ユキの本当の兄ではないが叔母のところを飛び出し行方不明になっていたが、今はボクシングの新人戦を目指し、ユキの倖せのために助力するのである。三郎が嫌な命令には従うなと仲間たちに訴え、最後はハッピーエンドとなる。

 

先に映画『上を向いて歩こう』(1962年)があり、舛田利雄監督をはじめ出演者も同じである。坂本九さんの主題歌『ひとりぼっちの二人』も作詞・永六輔さん、作曲・中村八大さんである。坂本九さんのキャラが光っていて、九ちゃんの音楽性とコメディぶりが見ものでもある。

 

とにかく浅草たっぷりの映画である。逃げる立場であるから吉永小百合さん中心に走る、走るで、観ている方も浅草の風景を早回しで観ているような感じであるが、花やしきの人口衛星塔のゴンドラが映像の中では主役級であった。この映画の浅草については『昭和浅草映画地図』(中村実男著)で詳しく書かれているので読んでから観ると映画の中の浅草の風景への集中度がちがうであろう。

 

吉永小百合さんの芸者役では『夢千代日記』のどこか儚さの漂う夢千代さんが代表的であるが、映画『長崎ぶらぶら節』の愛八さんもいい。三味線を芸者の刀にしているようなきりっとした名妓ぶりである。大衆演劇で『ぶらぶら節』を踊るのを観たが着流しであった。悪くはなかったが映画の関係上芸者姿でのが観たかった。

 

先頃、松竹映画で吉永さんののデビュー作映画『朝を呼ぶ口笛』(1959年・生駒千里監督)を観た。『ひとりぼっちの二人だが』は高校に行けない若者の屈折した部分も描かれているが、『朝を呼ぶ口笛』は、新聞配達をしつつ高校受験を目指す中学生を周囲の皆が応援するという内容である。吉永さんは、主人公を励ます配達先のお嬢さんの役で、彼女は引っ越すことになるが彼女とさよならしつつも主人公は元気に新聞配達に励むラストとなる。映画『朝を呼ぶ口笛』ではビルの上から浅草方面が見える映像があり、仁丹塔が見えていた。

 

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