手児奈霊堂~真間山弘法寺~里見公園~小岩・八幡神社~野菊の墓~矢切の渡し~葛飾柴又(1)

市川市真間にある『手児奈霊堂』は、万葉集にも歌われていて、手児奈という美しい娘が複数の男性から言い寄られ、身を恥て真間の入り江に入水したという伝説があり、その手児奈を祀っているのである。

都人はこの伝説を聞き及んで、歌に詠んだわけである。高橋虫麻呂さんは「勝鹿(かつしか)の真間の井見れば立ち平(なら)し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」(葛飾の真間の井を見ると立ちならして水を汲んだと言う手児奈が偲ばれる)。この手児奈の井戸は『手児奈霊堂』の向かいにある『亀井院』にあり、ここは北原白秋さんが一時住んでいたことがある。

手児奈霊堂』の先には『真間山弘法寺(ままさんぐぼうじ)』があり、ここにいたる大門通りは<万葉の道>として万葉の歌のパネルがあるらしい。20首ほどあるらしいが、かつての資料では、32首あって、真間ゆかりの歌は8首あった。この道は歩いていないのである。

もう一つ<文学の道>があり、桜の季節でもあったので、京成市川真間駅からこの道のほうを歩いた。市川に縁があったり、この地を作品に描いた文学者は大勢いて、その一部のゆかりのかたが木製の案内板で紹介されていた。

江戸時代の真間の文学は、万葉集のゆかりの土地としてだけではなく、紅葉の名所でもあったらしい。小林一茶さんもたびたび弘法寺を訪れ、上田秋成さんの『浅茅が宿」は手児奈伝説を踏まえているとし、滝沢馬琴さんは『南総里見八犬伝』は国府台の里見合戦に基づく伝奇小説で、弘法寺の伏姫桜はこの作品のヒロインに因んで名づけられたとある。

『浅茅が宿』と『真間山弘法寺』に関しては、 浅草散策と映画(2) で思いがけず出会っている。

伏姫桜>と名づけられた枝垂れ桜は実際に満開であった。『南総里見八犬伝』に関しては、ある研究家のかたの話しから、里見家の系図と広い分野の歴史を踏まえた下地があることと、江戸幕府を批判してもいるということを、学ばせてもらった。それから時間がたってしまい、歴史がまずややこしくて未整理の状態である。単なる伝奇小説ではくくれないという入口に立っている状態である。

もちろん、北原白秋さん、幸田露伴さん、幸田文さん、永井荷風さん、水木洋子さん、宗左近さん、井上ひさしさんらも紹介されている。途中に小さいが明治からの浮島弁財天があり技芸の神様として多くの信仰を集めていたそうで、この弁財天があるかどうかでこの<文学の道>も造られた道から伎芸天に呼ばれて出来た道の趣きとなった。

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真間川にぶつかり、「手児奈橋」を渡って『手児奈霊堂』へ。大門通りからは、「入江橋」を渡ることになり、その先に「継橋」があるようだ。「継橋」というのは入江の海岸の砂州と砂州を繋ぐ板橋で、真間には沢山あったようである。『手児奈霊堂』にもその入江の名残りといわれる池がある。『手児奈霊堂』の桜も場所柄をわきまえた咲き方で愛らしかった。

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亀井院』の説明板には、北原白秋さんがここで生活したのは大正5年5月中旬からひと月半とあり短かったのである。彼の生涯で最も生活の困窮した時代として、白秋さんの歌「米櫃(こめびつ)に米の幽(かす)かに音するは 白玉のごと果敢(はかな)かりけり」を紹介している。

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ここから『真間山弘法寺』の二王門めざして階段を登る。『弘法寺』は、奈良時代、行基菩薩が真間の手児奈の霊を供養するために建立した「求法寺」がはじまりで、平安時代、弘法大師空海が七堂を構え『真間山弘法寺』としたとある。あの水戸光国さんもこられたそうな。

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境内では伏姫桜を描いているグループのかたたちがいた。皆さんかなりの腕前である。伏姫桜は、枝垂れる姿にどことなく儚さがただよう。境内の見晴らしの良い所から下の市街地をながめる。かつては入江だったわけである。

さて本堂の裏をまわって『里見公園』を目指すのであるが、裏のほうに元気な大きな桜が満開で裏技に出会ったようであった。

里見公園』まで足を伸ばしたのは、白秋さんが小岩で住んでいた「紫烟草舎」が、桜祭りで公開しているという情報からである。この家は江戸川の改修工事のためとりこわされ、解体されたままになっていたのを、建物の所有者の提供により、この地に復元するにいたったと説明板にはある。

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六畳と八畳の二間であるが、かぎ型に縁側があって、障子が開けはなされ明るくて周囲の外の様子がよくみえる。「紫烟草舎」については、小岩の八幡神社でつけ加えることにする。

里見公園』は、里見家と後北条氏との二回の合戦の場であるが、歴史的なことは省かせてもらう。ようするにわからないので。史跡としては「夜泣き石」があった。北条軍に負け戦死した里見弘次の末娘が父を弔うため安房からこの地にきて、戦場の悲惨さに石にもたれ泣き続け息絶えてしまった。それから毎夜この石から泣き声が聞こえるというのである。

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お墓のような碑が三つあった。<里見広次公廟><里見諸将霊墓><里見諸士群亡塚>で、里見軍は5千名が戦死したと伝わっている。この合戦の265年後に碑は建てられ、それから今は190年ほど経っている。

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江戸名所図会にも描かれた<羅漢の井>が今も水がどこからか流れてきていた。この井戸のそばの道を曲がると江戸川である。里見公園は高台にあって東京スカイツリーと東京タワーが見えるのである。案内板の写真によると、富士山も頭を出していた。

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ここから、小説『野菊の墓』の舞台にも行けるのであるが、『里見公園』で一旦散策は終了である。次回は、白秋さんが江戸川を渡って引っ越した「紫烟草舎」があったであろう近くの小岩の八幡神社へ行き散策を開始することにした。

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