浅草映画『清水の暴れん坊』

映画『清水の暴れん坊』(1959年・松尾昭典監督)は主人公が浅草六区の映画街を闊歩する。それも数秒でどこの映画館の前なのだというのが判別しづらいのである。

石原裕次郎さん主演の『紅の翼』に赤木圭一郎さんはエキストラ的役で出ているらしく、『清水の暴れん坊』はお二人の初共演作品となる。

放送局の清水局から東京の本局に転勤になった石松俊雄(石原裕次郎)は、東京駅ホームに立つ。当時は、今のようにホームの足元に乗車位置の表示がなく、柱に8入口とか表示があり乗車するときそこに並んだのであろう。ホームで待つのは先輩プロデューサーの児島美紀(北原三枝)である。石松は当分山登りができないであろうと穂高に登ってその登山姿で降りたつのである。

あきれる美紀。石松は寮を寮へ行く途中お腹がすきソバ屋に入る。ソバ屋は待ち人来るとばかりに、石松のリュックに白い粉の袋を入れる。石松が帰った後、同じ格好の男があらわれる。品物を受け取りに来た戸川健司(赤木圭一郎)である。赤木さんの登場は、裕次郎さんのイメージから一変させる印象付けは効果的である。健司は品物が間違って渡してしまったのを知る。

石松のリュックから見つかった不審物が麻薬であると判明する。ラジオのプロデューサーである石松は、麻薬の実態をリポートして放送で流したいと企画を出す。石松はかつて、クスリによる悲劇に立ち会っていた。新劇の役者が仕事が上手く行かずクスリに手を出し奥さんを殺害してしまう。その時、姉と弟は逃げるのであるが鉄道自殺をしようとしているのを危機一髪で石松が助けたことがあったのである。

クスリを持ち去られた健司は、クスリを取り返すべく仲間と石松を追いかける。健司の顔をみて石松は「健坊!」と声をあげる。「兄貴!」。健司は命を助けた弟のほうであった。

健次の姉・令子(芦川いづみ)も田舎から出て来て、健次をいさめるがそう簡単には悪事から足をあらうことは出来なかった。石松はそれとは関係なく、麻薬取締官(内藤武敏)の力も借りて、自分なりの情報をあつめに動き出す。それらしき恰好をして「にいちゃん、ヤクあらへんか?」とさぐりをいれる。

そして、学生服を着てワル大学生気取りで浅草の六区の映画館街を大股に歩く姿が。石松の右手の映画館が映るが、名前がはっきりしない。電気館と千代田館かなと思うのであるが。そうなると映っていない左手は浅草日活劇場ということか。その辺りが確信がもてないのである。映るのは数秒である。

小沢昭一さんと川本三郎さんの対談で、小沢さんが話されている。浅草でお客が入れば間違いなく全国制覇できるというきまりがあって、封切の日には各社首脳部が浅草に集まり、石原裕次郎さんや小林旭さんの映画の封切には日活の常務さんが浅草日活の入口に立ち客の入りを点検していたと。

映画のほうは、麻薬組織とのおきまりのアクションがあり、健次は石松の仕事のために利用されたとして石松のことも信用できなくなっていた。そして拳銃を交番から盗み追いかけられる身となる。その健司を説得する石松。若者の何を信じていいのか解らなくなった状況を、まだ俳優として経験の浅い赤木圭一郎さんが上手く役にはまり、ゆとりをもって語りかけ説得する石原裕次郎さんは兄貴として役者の先輩としての貫禄が映る。そういう意味で面白い共演作品といえる。

六区は江戸時代は伝法院の敷地である。国際通りを挟んで国際劇場(現・浅草ビューホテル)側は古地図(1853年・嘉永6年)によると大きなお寺が並び、国際通りを挟んだ向かい側は小さなお寺が並んで、後方に浅草寺がひかえている。そして伝法院があり、その南西部分に蛇骨長屋というのがある。その長屋のあったところに蛇骨湯という温泉の銭湯がある。江戸時代から続く銭湯であるが5月31日で閉店となってしまった。何んとも残念である。蛇骨(じゃこつ)の名前が何かの形で残って欲しいものである。

追記: http://saint-girl.hateblo.jp/entry/2014/11/01/184035  こちらのかたが、古地図の蛇骨長屋を載せてくれています。蛇骨湯の紹介も。

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