ピアニスト・室井摩耶子さんと映画

思いがけないところからピアニスト・室井摩耶子さんが飛び出してくれた。映画『ここに泉あり』でご本人で出演されていて、室井摩耶子さんは今どうされているのであろうかと検索したら、現役99歳のピアニストであらせられた。人生楽しいです。

室井摩耶子さんの著書を読んだらこれまた元気の出る本で、黒澤明監督の映画『わが青春に悔なし』(1946年)では、原節子さんのピアノ場面の指導と、ピアノを弾く手で出演されていると。

原節子さんの白魚のような手ではないのでと書かれてあるが、このピアノの手の場面は重要な場面である。『わが青春に悔なし』は、滝川事件(京大事件)を扱っていて大学を追われた滝川教授を八木原と名前を変えている。その娘・幸枝が原節子さんである。学生たちとの交流の中でピアノを弾き、終盤になって突然ピアノを弾く手が映し出され、そこから農婦となった原節子さんの手が映し出される。ただ映画では農婦となっても手は簡単に農婦の手にはならないので、それを隠すように水田の水にさらしてすかし、はっきりとは見えないようにしている。

ピアノの手から農婦の手にかわることによって、幸枝の生きかたが変わったことをあらわしているのです。室井摩耶子さんの手がきちんとピアノを弾くことによってその手が農婦の生き方を選んだことに悔いがないことを伝えてもいるわけである。観返して重要な場面なのだとあらためて感じた。

映画『ここに泉あり』(1955年)では、高崎市民フィルハーモニーと東京管弦楽団との合同演奏会でチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第一番」が演奏される。指揮者が山田耕筰さんでピアノが室井摩耶子さんである。市民フィルハーモニーの速水かの子(岸恵子)が弾くことになっていたが妊娠していてつわりと腕に自信がなく辞退し、室井さんの演奏をじっとみつめる。これまた重要な心理が交差する。

この時の室井さんの髪型が縦ロールに巻いている。映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのような髪型である。室井さんによると映画が日本で上映される前で自分で考えられたとのことである。「他人と同じではつまらない」というおもいが強いようである。

東京音楽学校(東京藝術大学)に入っても何かが違うとおもいつづけ、『ここに泉あり』の次の年には日本を飛び出すのである。ふたたび日本にもどるのは30年後である。

チラッと触れているのが映画『カルテット!人生のオペラハウス』である。かつて活躍した音楽家たちが暮らす老人ホームで、金銭的に継続が難しいというのでガラコンサートを開催し資金を集めるのである。それぞれ自分の音楽にかけてこられてきた方々なので個性的で色々あるがガラコンサートは盛況であった。そのなかでもヴェルディの歌劇『リゴレット』の四重唱のかつての仲間が再び披露するまでの4人の人間関係が中心になっている。

この映画について室井さんは言われている「こういう人を自由に暮らさせるホームは素晴らしいと思ったけれど、もし日本にあったら、どうかしら。私はやはり音楽家同士で暮らすのは大変な気がするわ。」

この老人ホームのモデルとなったのがミラノにあるそうでドキュメンタリー番組もあり室井さんは観たとのこと。その中で、一日中『エリーゼのために』を弾いているピアニストがいて「私は彼女の奏でる音を聴いて、ベートーヴェンの半音の使い方の美しさを知った気がして、とても印象的だった。」と。

室井摩耶子さんは、一音を求めてピアノを弾かれ続けておられる。室井さんの本を読んでいるとピアノが聴きたくなる。室井さんのCD『「演奏の秘密」~聴けば納得~』を聴く。楽譜は読めないが、解説の語りには一音一音に恋している室井さんの爽やかで強い想いが伝わってくる。こちらもただ流れを追っていたピアノの聴き方に違いが生じたようにも思える。勝手にそうおもっているだけであるが。ピアノとの新しい出会いである。

「音楽とは音で書かれた詩であり、小説であり、戯曲です。物語のない演奏には感動がありません。」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です