えんぴつで書く『奥の細道』から『義経千本桜』

文楽『義経千本桜』の「川連法眼館の段」を観ると、通称「吉野山」(道行初音旅)が観たくなります。録画がありました。2009年大阪の国立文楽劇場開場25周年記念公演が『義経千本桜』の通しだったのです。その放送が2010年お正月三日間にわたってあったわけで録画していました。「道行初音旅」は人形だからと思っていたところがありましたが美しくて面白くて驚きました。豊竹咲大夫さんの解説もわかりやすくやっと霞が晴れたような心持です。前のほうがオーソドックスなので四段目はケレンで楽しませてくれるようになっていると。

奥の細道』の次の場所は平泉です。義経最期の地でもあるわけで、『義経千本桜』を通過しなければ平泉には飛べません。 

初段「堀川御所の段」で咲大夫さんのおかげで『千本桜義経』の構成がわかりました。義経は兄頼朝から裏切りの嫌疑をかけられその使者が川越太郎です。嫌疑の一つが、平知盛、維盛、教経の首が偽物である。二つ目が、後白河法皇から頂戴した初音の鼓で、鼓は打つものなので頼朝を打つという印。三つ目が、正妻の卿の君が平時忠の養女であること。卿の君の実の父親が川越太郎でした。彼女は自ら命を絶ち太郎は娘の首を取ります。一つは疑いが消えますが、出足から悲しい始まりです。

その後主人公が違ったりもしますが、知盛(二段目)、維盛(三段目)、教経(四段目、五段目)が関係しているのです。(この上演は四段目、狐が飛んで終わりでした。)平家は敗者です。義経も敗者。敗者の美学と咲大夫さんは言われます。

四段目に初音の鼓の秘密が明かされ、それが狐の親に対する思慕で、義経はこの狐に自分の名前と鼓を与えます。義経が自分は何もいらないのだ、兄と和解できればとおもっているかのようです。

人形の狐が出るのですが、人形同士だから効果抜群です。二段目「伏見稲荷の段」から狐忠信の登場がわかりやすくなっており、狐の登場ということからこの場所が選ばれたのでしょう。きちんと意味づけもぬかりありません。

別枠にしたほうがよいかもと思わせられるほど全体の納得度が高い鑑賞となりました。二段目で知盛が幽霊として登場。三段目「すし屋」では維盛登場ですが、主人公はすし屋のどうしょうもない息子いがみの権太です。その権太の驚くべき行動も梶原平三が全て把握していました。梶原平三は頼朝が維盛の父の重盛が池の禅尼の口添えで助けられたことから維盛の命を助け出家させます。しっかり過去を顧みる梶原なのです。頼朝へ義経の事を悪く伝えたのが梶原ということで悪者の梶原ですが、ちょっと印象が違ってきます。だからでしょうか、義経は三段目には登場しません。

そして武士ではなく市井の人を主人公にもってくる。本筋から離れて幅を広げて観客に身近にさせていきます。四段目のケレンなどどと合わせて、書き手の作劇術と咲大夫さんはいわれていました。書き手は三人です。そしてこの三人は『菅原伝授手習鑑』『仮名手本忠臣蔵』も書かれているのです。恐るべき三人です。竹本出雲、三好松洛、並木千柳。

2009年の文楽『義経千本桜』の公演の出演者については<文化デジタルライブラリー>で検索してください。

こうなれば教経の登場の場が観たいなと思っていましら、DVD「歌舞伎名作撰」の『義経千本桜』(川連法眼館の場・奥庭の場・蔵王堂花矢倉の場)が封も開けないでおりました。「四の切」は何回も舞台で観ていたので映像で観る気が起きなかったのでしょう。三代目猿之助さんの舞台映像久しぶりでしたが見慣れている感じですーっと入れました。静御前は玉三郎さんでした。(1992年歌舞伎座)

教経が登場するのは「奥庭の場」からです。「川連法眼館の場」で源九郎狐は横川覚範が僧兵と攻めてくると知らせ手助けし、貰った鼓を手に大喜びで宙を飛んでいきます。

覚範(段四郎)は実は教経で忠信の兄・継信の敵でした。源九郎狐の仲間が教経をはばみます。こちらは着ぐるみの可愛らしい狐が多数登場です。忠信は教経を打とうとします。それを止めるが義経(門之助)です。二段目の大物浦で知盛から預かった安徳帝を教経にたくすのです。

教経は、建礼門院の大原で安徳帝を出家させ自分も出家するといいます。静御前は大和の源九郎狐の里へ行くといい忠信はお供しますと。義経はみちのくへ旅立つとし、弁慶(彌十郎)がそれに従うと。吉野山からそれぞれが旅立つのです。

平泉へ義経さんについて行かなければなりませんが、義経さんが亡くなったあとですのでもう少し残ります。

シネマ歌舞伎『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖』をアマゾンプライムビデオで観ました。歌舞伎座での「四の切」の舞台稽古で殺人事件が起こるのです。「四の切」の舞台裏がみれます。床下から弥次さんが飛び出したり、僧兵に代役の喜多さんが隣の人を見て真似をすればいいと言われて、隣の狐忠信の真似をするのがやはり笑えます。

さて、平泉にそろりそろりと向かいましょうか。

追記: 文楽『義経千本桜』の放送で「すし屋の段」の弥助寿しのモデルとなった釣瓶鮨屋(つるべずしや)の紹介がありました。そのお鮨屋さんが谷崎潤一郎さんの『吉野葛(よしのくず)』に出てくるというので読みました。主人公の作家は作品の取材で、友人は亡き母の実家を訪ねるという内容です。浄瑠璃『妹背山女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の風景、初音の鼓、狐など谷崎さんの知識と独特の情感が満載で、さらに紀行文としても読めて、初めての道を分け入る気分をかきたてる作品でした。

友人の母の実家は紙漉きを仕事としていますが、『趣味悠々 おくのほそ道を歩こう』のテキストで、白石の和紙工房を紹介しています。かつては300軒ほどあったのが今は1軒だけで、奈良の二月堂お水取りの練行衆が着る紙子の和紙として納めているのです。大和と陸奥の様々な交流です。

追記2: 文楽『妹背山女庭訓』の「妹山背山の段」の録画を観ました。『吉野葛』の見えない架空の風景を感じながら聞いて観てでした。大夫、三味線が妹山、背山に分かれての二か所での出演。観終わってDVDケースにシールを張り幼稚園児のように満足。一つ一つ終わらせます。

追記3: テレビ『にっぽんの芸能』で「中村吉右衛門 こん身のひとり舞台“須磨浦”」を放送していましたがこの時期の新歌舞伎として様々な古典芸能を融合させ凝縮した作品でした。そぎ落としたり加えたりとこういう方法も伝わり方に力があることを確認しました。竹本の義経と対峙するのも息があっており、やはり納得できない逆縁のつらさが身に沁みます。橋懸りで見せる親としての姿。この後、武将<熊谷直実>を保つ孤独感に思い至りました。新たな挑戦でした。

追記4: 『  妹背山婦人庭訓 魂結び 』(大島真寿美著)をよい時期に読みました。面白くて作品の渦に巻き込まれました。

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