えんぴつで書く『奥の細道』から(4)

白河の関から進みますが、次の目的地塩釜松島は『趣味悠々 おくのほそ道を歩こう』の録画がありませんので、私の旅と本からたどって行くことにします。

檜皮(ひわだ)で芭蕉は安積山へ向かい「かつみ」の花を探しますがみつかりませんでした。今は安積山公園となっていますが私は残念ながらここへは行っていません。同じ郡山として開成公園そばにある「開成館」と「こおりやま文学の森資料館」の地図をのせておきます。歴史と文学に興味ある方は参考にされてください。

二本松では、芭蕉は歌舞伎に興味のある方ならご存じの「黒塚」を訪れます。

黒塚 | 二本松市観光連盟 (nihonmatsu-kanko.jp) 

二本松は『智恵子抄』の高村智恵子の生まれたところでもありますので興味があればこちらもどうぞ。

高村智恵子 | 二本松市観光連盟 (nihonmatsu-kanko.jp)

芭蕉は、<「かつみかつみと」と尋ね歩きて、日は山の端にかかりぬ。二本松より右に切れて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。>そして向かったのがしのぶの里の『文知摺石(もぢづりいし)』で歌枕にもなっています。ここは私的な旅でご案内。

長野~松本~穂高~福島~山形(3)

芭蕉は『文知摺石』をみてから『医王寺』にむかいます。飯坂温泉の近くだそうです。ここからは知らないことでしたので魅かれました。藤原秀衡に仕えた佐藤基治一族の墓が『医王寺』にあるのです。芭蕉は義経びいきです。その義経のために戦って死んだ基治とその息子二人の墓に手を合わせます。息子二人とは継信と忠信です。忠信といえば歌舞伎好きには狐忠信が浮かびます。『吉野山』、『四ノ切』(『義経千本桜』四段目)。

さらにこの二人の嫁が息子の死を悲しむ姑を慰めるために、亡き夫の甲冑をつけて「ただいま今凱旋」と声をかけ凱旋姿として見せたのです。この話に芭蕉は涙します。

松尾芭蕉ゆかりの地|真言宗豊山派瑠璃光山 医王寺 (iou-ji.or.jp)

この嫁の甲冑姿をのこしているのが白石の田村神社の境内にある甲冑堂です。田村神社といえば坂上田村麻呂が祭神です。となれば『阿弖流為(アテルイ)』です。いえいえお嫁さんの話でした。継信の妻の名前が楓、忠信の妻の名前が初音です。初音とは驚きです。狐忠信が慕う鼓の名が初音の鼓。芭蕉さんいろいろなところへ連れて行ってくれます。

しろいし観光ナビ (shiroishi-navi.jp)

芭蕉は、仙台では伊達家や政宗ゆかりの神社仏閣を訪ねています。私は青葉城跡だけですので進んで塩竈松島にむかいます。

でこぼこ東北の旅(4)『伊勢物語』

芭蕉が松島の月が心にかかり『奥の細道』の旅を思い立ったのですが、松島では宿の二階から見事な月と松島をめでたのです。松島の風景を賞賛していますが句ができなくて眠れない夜となりました。

④松島や 鶴に身を借れほととぎす(曾良)

松島は鶴が似合っているからホトトギスよ鶴の姿を借りるほうが良いだろうということです。声のよいホトトギスも松島の美しい姿にかなわなくて声も出なかったとするなら、句作できなかったホトトギスは芭蕉のことにも思えます。曾良の句が面白いと思った芭蕉がそこにいるような気がします。

今回は観光案内と自分の旅の紹介が多く登場することになりました。次の旅もつながっていました。

司馬遼太郎 『白河・会津のみち』

能 『融(とおる)』

さらに文楽の『義経千本桜』の四段目「川連法眼館(かわつらほうげんやかた)の段」はどうなるのであろうかと思いましたらユーチューブにありました。嬉しいですね。思ったらすぐ観ることができたのですから。歌舞伎とは違うこれまた斬新な演出でした。

芭蕉さん、にぎにぎしい旅で申し訳ございません。

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