市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(2)

文芸評論家・中村光夫さんが「ときどきの世間の注目を曳いた事件から取材するのは、この作者にめずらしいことではなく」とし『親切な機械』『青の時代』『宴(うたげ)のあと』をあげています。さらに「評判の事件を小説か戯曲の仕組む伝統は、我国においてはジャーナリズムの発生とともに古く、近松や西鶴に多くの名作がかぞえられます。」としています。

さて今回は、描かれいる場所のほうに視点をかえます。

主人公が住んでいた日本海側から金閣に住むようになってからで舞鶴周辺と京都ということになります。時には三島由紀夫さんは実際に取材して歩いたであろうと思われる詳しい表現の場所もあります。そういう場面になると読み手も気を抜かせてもらい一息つくのです。

ただその場所の歴史的解説もあり、その場所を選んだ三島さんの計算もあるのだろうとおもうのですが、そこまではついていけませんのでただわかる程度に楽しませてもらいました。

溝口の生まれたのが、舞鶴市の成生岬です。そこから中学校がないため叔父の志楽村の家から中学校に通います。そこで有為子に出会います。有為子は舞鶴海軍病院の看護婦で、海軍の脱走兵と恋に落ち安岡の金剛院に隠します。憲兵に詰問され、隠れ場所を教え、金剛院にて脱走兵の銃弾に倒れます。

水色丸が成生岬で黄色丸が金剛院の位置です。

溝口は京都の金閣寺の徒弟となります。

心を許す同じ徒弟の鶴川と南禅寺にいきます。三門の勾欄(こうらん)から天授庵(てんじゅあん)が眼下に見え広い座敷が見えます。そこで戦地に向かう陸軍士官と長振袖の美しい女性との別れを目撃します。

 

溝口は大谷大学へ進学させてもらいます。

大学で出会った柏木が女性二人を連れて来て嵐山へ遊びに行きます。今まで知らずに見過ごした小督局(こごうのつぼね)の墓にも詣でます。

渡月橋そばの水色丸が小督塚です。今の小督塚は女優の浪花千栄子さんがあまりにも荒れていたので化野から石塔を運び設置したのだそうです。この近くに浪花さんが経営していた旅館があったようです。今はありません。美空ひばり館もすでにありません。

四人はもう一つの水色の丸で印した亀山公園に行きます。この公園の門からふりかえると保津川と嵐山が見え対岸には小滝が見えるとあります。

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溝口が金閣から逃れて旅に出る時寄ったのが船岡公園にある建勲神社(たけいさおじんじゃ)です。ここでおみくじを引くと「旅行ー凶。殊に西北がわるし」とあり、西北に向かいます。

京都駅から敦賀行に乗り、西舞鶴駅で降ります。そこから宮津線と直角に交わってから由良川にでて、その西岸を北上して河口にむかいます。そして海に向かいここで「金閣を焼かなければならない」という想念に達するのです。

途中、溝口は和江という部落で由緒の怪しい山椒太夫の邸跡のあるのを思い出します。立ち寄る気がないので通り過ぎてしまいます。

山椒大夫で、出ました!とおもいました。溝口健二監督の映画『西鶴一代女』『雨月物語』と観て『近松物語』を観ました。『近松物語』はその特報と予告で、三つの作品が三年連続ベニス映画祭で賞をとり、その勢いで期待される新作と凄い力の入れようです。受賞した三作品とは『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』で、『山椒大夫』ももう一度観なくてはと思っていたところだったのです。

近松物語』は長谷川一夫さんに色気と貫禄があり過ぎて長谷川一夫さんは溝口作品向きではないとおもいました。

桃色丸が西舞鶴駅で、白丸が山椒太夫の邸跡です。

こんな感じで少し地図上の旅を楽しみました。舞鶴方面と京都の小督塚と亀山公園には行っていません。

現在の雪の金閣寺です。

金閣寺垣。

銀閣寺も。

追記: 水上勉原作の映画『五番町夕霧楼』(1963年・田坂具隆監督)を鑑賞。金閣寺炎上と関連していたのを知りました。水上勉さんならではの視点でした。

 

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