映画『ふろたき大将』『はだかっ子』

戦後自分たちの撮りたい映画をと始まった山本薩夫監督や今井正監督を中心とした独立プロの映画を観つづけていて目にとっまていた作品がいくつかありました。その中から今回、映画『ふろたき大将 花咲く少年の島より』と『はだかっ子』を観ました。

独立プロ映画に関しては書くのが観るペースに追いつかず、1950年から1954年までの映画でとん挫してしまいました。 ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』まで (3)

映画『ふろたき大将』(1955年・関川秀雄監督)は東映の児童映画の第一号で、関川秀雄監督は1953年に映画『ひろしま』を撮られています。映画『ひろしま』に関しては ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』まで (2) で少しふれています。

関川秀雄監督は児童映画でも広島での原爆孤児たちのことを描いています。原爆から5年がたち広島で浮浪児となって仲良くなった二人の少年がパンを盗み捕まえられ大人たちに責められます。

2019年に放送されたテレビのBS1スペシャルドキュメンタリー『さしのべられた救いの手~原爆孤児たちの戦後~』では孤児となり広島駅の近くで野宿していた方が語られていました。大人たちが捨てた新聞紙を奪い合いそれを柔らかい食べ物として口に入れ水を飲んだと。口に入れるものがないときは石をなめて水を飲んだと。一年以内に次々と子供たちは死んでいったそうです。

映画のほうは、瀬戸内海にある原爆孤児たちの似島(にのしま)学園の園長にシュンちゃんとトクさんは助けられ島へ渡ります。トクさんは学校や勉強が嫌いで行きたくありませんでした。トクさんは学園ではやはりみんなの行動についていけずノロトクと言われて仲間から離れて行動します。ひとり浮浪児の時に身に着けたたき火をします。遠く広島を眺めては、広島にもどればはぐれたお母さんに会えるかもしれないと思うのでした。

たき火の上手なトクさんを園長先生はふろたき大将に任命します。風呂を沸かすだけではなく、分担されている寮の入浴する順番を決めたり、使ったマキの代金も計算しなければなりません。徳さんはシュンちゃんから字を習い、計算も習います。邪魔されたり、嫌がらせを受けたりしますが、応援してくれる友達もいて次第に皆に認められ誰もが信頼するふろたき大将となります。新聞にも載ります。その新聞記事を読んである工場から中学を卒業したらかまたきの仕事を頼みたいとの就職依頼があり、お母さんも生きていて会うことができました。トクさんは学園から新しい社会へと出発するのでした。

見始めてトクさんが石橋蓮司さんに似ているなと思いました。この表情は石橋さんに間違いないと確信しました。芸歴が長いんだと意外でした。見なおすと出演者名に石橋蓮(若草)とありました。石橋蓮司さんのデビュー作だったのです。2016年にはこの続きとしてのNHKドラマ『ふろたき大将 故郷に帰る』が放送されたようです。

関川秀雄監督が人選されたのでしょうか。石橋蓮さん、役柄にピッタリでした。この作品は45分と短いです。

関川秀雄監督は児童映画では『トランペット少年』(1955年)があります。東北の田舎に赴任した教師が子供たちに音楽の素晴らしさを教えようとします。反発してその仲間に入らなかった少年をトランペット担当にします。トランペットを父親に捨てられたりと紆余曲折がありますが、少年は好きなトランペットを高らかに吹くのでした。

映画『はだかっ子』(1961年・田坂具隆監督)は長編で146分ありましたが、長さを感じさせない展開でした。原作・近藤健さん、脚本が成沢昌茂さんです。成沢さん、今年の2月に亡くなられていました。(合掌)。 6月に溝口健二監督の映画を観、関連本を読み、新藤兼人監督の『ある映画監督の生涯』も観直し、その中で成沢昌茂さんが溝口健二監督についても語っておられた映像が頭の中に残っています。監督もされ多くの脚本を書かれ、この『はだかっ子』も力作です。

小学校6年の元太(伊藤敏孝)は、父がインドネシアで戦死して、母(小暮実千代)と二人くらしです。母はチンドン屋の三味線弾きなのですが仕事がないときは道路工事の仕事に行きます。住まいは大工だった父の弟弟子の尾沢(三國連太郎)の長屋の屋根裏に住まわせてもらっています。尾沢は義理人情に厚く兄弟子の家族だからと元太をかわいがってくれます。

元太は正義感が強く元気で、学校も担任の高木先生(有馬稲子)が子供たちの気持ちを受け止めてくれるので楽しく通っています。

大人には大人の事情があるようですが、元太は自分の正しいと思うように進んでいきます。学校での親と子供の討論会では元太はきちんと意見を言います。生徒たちもそれぞれ臆することなく意見をいいますが、その中に子役時代の風間杜夫さんがいました。話し方に特徴があります。この討論会によりまたまた母の大人の事情を知ってしまうのです。

母は無理が重なって床に伏してしまい、元太の運動会の活躍を観れないままに亡くなってしまいます。元太がいなくなり尾沢は高木先生のところに行きます。先生はおもいあたるところがありました。先生は尾沢と一緒にそこへ行きます。そこはユネスコ村でした。

そこに写生に行ったとき元太はインドネシアの家を見つけ父を思い出しその家を描いていました。母にもそこへ連れてってやると言っていました。大工になりいつかこんな家を建てそこに父親の写真を置くのだとも言っていたのです。

やはり元太はそこで泣きつかれて眠っていました。

元太は尾沢が育ててくれることになり、大工を目指すことになりました。今日も元気に元太は学校に向かうのでした。

このユネスコ村というのは色々な国の建物を紹介しているテーマパークです。1951年に国際連合教育科学文化機構( UNESCO)に60番目に加盟したことを記念して埼玉県の所沢市に開園され1990年に閉園しています。

映画の中でUNESCOとは何ですかという授業場面があります。生徒が高木先生の質問に次々と答えてユネスコ憲章の理念を学んでいくのですが、こちらも学ばされました。

「戦争は人の心の中でうまれるものであるから人の心の中に平和の砦を築かなければならない」

本と演技と撮影がしっかりしています。元太を中心とした子供たちの行動が明快で、学校行事が元太の心の動きの伏線としてつながり元太の心の動きがわかります。自転車も有効に働いていました。新しい命の誕生と死という命題も描かれています。そして子供たちを導く大人たちも子供たちによって教えられ負けじと生きていく爽快感が映画の長さを感じさせない作品となっているのです。

元太が学校に通う道路は車の行き来が多く、遊園地なども昭和30年代の戦後の復興への動きをとらえています。

田坂具隆監督の映画『『五番町夕霧楼』を6月に観ていて女性の描き方の上手い監督だなと思いました。非常にジャンルが広い監督だと知りました。監督自身は広島で被爆されていました。

追記: 田坂具隆監督の『女中っ子』(1955年)は名作です。秋田から出てきた女中の初の左幸子さん、お見事。自分が生きてきた生き方を信じていて、都会の東京を物珍しいとはおもいますが惑わされないのです。さらに初を慕う次男・勝美が今大事な成長段階であることをしっかり受けとめるのです。聡明な初です。この初を引き出した田坂具隆監督もお見事。

 

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