歌舞伎舞踊『博奕十王』

DVDの『博奕十王(ばくちじゅうおう)』を鑑賞したとき猿之助さんが相変わらず洒脱な愛嬌さで踊られているなとの感想でした。そこで止まっていました。

ところが『新TV見仏記 (3) 京都編』(DVD)を観ていましたら、例によりお二人はトークを交えつつ京都の神護寺への階段をのぼっています。かなりシンドイらしく、いとうせいこうさんが江戸時代の話をしました。大山詣りでは、江戸の人はサイコロをころがしながら出た目の数をきそってのぼったというのです。

その話のあとで『博奕十王』を観なおしましたら前回よりも可笑しさが膨れていました。見仏記は色々な香辛料となってくれます。神護寺ではかわらけ投げもされていて住職さんの見本の投げ方が綺麗でした。かわらけ投げの型のようでしたし、切れよく飛んでいました。。私も神護寺で投げましたが落語の『愛宕山』を思い出しつつでしたのでこんな深さでは登ってこれないでしょうなどと思って投げていました。

みうらじゅんさんは閻魔像や地獄絵図の前に立つといつも自分が地獄落ちと決められています。さらに映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』では、みうらじゅんさんしっかり地獄にいました。

博奕十王』は、当代の猿翁さんが猿之助時代に自分で脚本を手がけて自主公演で演じられたのが始めで、同名の狂言から考えられたようです。それを当代の猿之助さんが亀治郎時代にやはり自主公演で演じられ、2014年の新春浅草歌舞伎の本公演でのDVD化です。来年2022年の浅草新春歌舞伎は中止となってしまいました。残念です。

博奕十王』の内容は、仏教に帰依するひとが多くなって地獄にくる人が少なくなったので、閻魔大王が自ら地獄、極楽の分かれ道、六道の辻へお出ましになり自分で罪人は地獄に送ろうと考えたのです。

そこへ極楽とんぼのような亡者(もうじゃ)がやってきます。彼は博奕打ちでした。浄玻璃(じょうはり)の鏡に映すと彼の罪業が次々と現れます。ところが博奕打ちは博奕は時の運で遊びなのだから負けるときもあれば勝つときもあるといいます。博奕を知らない閻魔様はまじめに博奕を知ろうとしました。それが運のつきでした。閻魔様はサイコロ博奕に熱くなります。

何とか詣りにも祭式にも今なら悪行の遊びをしっかり取り入れた江戸庶民の動向が、冥土でも発揮されるというわけです。

博奕打ちが猿之助さん、閻魔大王が男女蔵さん、獄卒が弘太郎さんと猿四郎さん。男女蔵さんの後見が蔦之助さんです。当時は左字郎さんでした。自主公演『蔦之会』の二回目では『博奕十王』を踊られたようです。この時の後見がきっかけだったのでしょうか。

博奕打ちは、まんまと極楽への切符を手に入れ、博奕で勝ち取った浄玻璃の鏡らを背負い極楽に向かうのですから閻魔大王もお手上げです。

< そもそも博奕の始まりは >と踊りで解説するところが端唄も入り楽しいです。天武天皇の時代の九月、菊の宴のときが始まりだそうです。衣装の花札とサイコロの模様が映えるところでもあります。出から入りまで憎めない博奕打ちなのでした。

追記: 『空飛ぶ雲の上団五郎一座 アチャラカの再登場』(DVD)は、いとうせいこうさんとケラリーノ・サンドロヴィッチさんが中心になって旗揚げ公演(2002年)した舞台で、出演者が個性的でさらに文芸部(井上ひさし、筒井康隆、別役実、いとうせいこう、ケラリーノ・サンドロヴィッチ)が豪華です。一番笑ったのは、興行主のいとうせいこうさんが、興行主としてもっともらしいことを言って去り際、言葉が意味不明になります。三谷幸喜さんが出てきてカチャカチャやっています。興行主がロボットだったという落ちです。見事に落ちました。もとを変化させてさらに新しくする。冒険であり博奕です。

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